ストレスは人を成長させ、健康で幸せにする

「ハァ? 何いってんの? ストレスっていうのはぁ、人をボロボロにしてぇ、不幸にしてぇ、人生をつらいものにする悪者でしょう?」

無限の反論が聞こえてきそうです。

この記事タイトルの言葉を言ってるのは、この方。
    ↓


この方自身、ずっと「ストレスは体に悪い」というスタンスで大学で授業をしてた側なわけですが、ストレスは悪いものではないという論文を目にします。
この本の冒頭では、著者が自分の持論と正反対の論文を目にしてしまった動揺が述べられます。
私の言ってきたことはみんな間違っていたということ?(いっそ、この論文を見なかったことにすれば……)と。

ストレスが悪いのではなく、「ストレスは悪いものだ」と思ってストレスを感じている人にだけ、(寿命が短いなどの)マイナス現象が起きる
(ストレスを悪いものだと思っていないで、強いストレスを受けて生きている人は、ストレスなく生きている人と比べてなんら、寿命の短さや心身の健康への悪影響が見られない)


という衝撃的なデータと、どう向き合えばいいのか。

それで、葛藤の末、自分の目にした論文の真偽を探る旅(≒研究)に乗り出した……と。

で、出るわ出るわの、

ストレス(を感じること)による恩恵。プラスの側面の数々!

(ストレスを避けてラクな生き方が理想!という思想は、うっかりそれを信じたバカがどんどん弱く不幸になってダメになっていくのを助長する策略だったんじゃねえかくらいの印象ですわ、ホント)

ストレスというのはいわば、ドラクエでいう、敵(を倒したときに得られる経験値)。
敵を倒さないと、ましてや出会わないと、レベルアップなんて夢のまた夢。
それじゃあ、いつまでたってもラスボスなんて倒せるはずない……というもの。

ただ、(大)部分的に、言ってる内容がそこまで学術的根拠がないというか、ふわっとした文体のため、意地悪にツッコミを入れたい人はいくらでも入れられる余地アリ!
クソリパー(クソリプをする人)は、格好の餌食発見!って感じでしょうか。
ひたすら、この本に書かれていることを、(これまた、たいした根拠もなく決めつけと偏った主観のゴリ押しで)けちょんけちょんに貶す(という作品を制作する)ことが可能ですよ!!



さて。

個人的に、今年は「もっとちゃんとしていこう」と思い直した年でした。

ヒーラー業は順調でうまくいっていて、生活には困らない。なんら嫌なこともない。

ただ、その「一見、幸せっぽい感じ」はどこか空虚で、自分が本来ならもっと高めていける領域をほったらかしにしている(そのことによって将来もしかしたら、遭遇するチャンスを掴みとりきれなかったり、試練を乗り越えられないかもしれない)という感覚がありました。不安というのとも違い、なんていうか、「もっとやれる気がする。やるべきことがある気がする」という感じ。

それで「自分にはネガティブがたりない」という感慨が高まっていったのが夏場。8月にピークでした。

で、そこでいうネガティブというのは要は、ストレスフルな環境だったんです。

しかも、単に人が悪意を持ってネチネチ苛めてくるというような生産性のないストレスではなくて、チャレンジングでタフさが要求される仕事の完遂といったほうの意味合いでのストレス。

これは単純に、身体的能力・体力の面についても思いました。
特段の病気というわけでもないのに(あえていえば痛風が、発作を起きてないときでも慢性的な関節痛になりどんどん悪化して)一時期は寝たきりに近い状態になってしまっている。まだ30代なのに。
こんなんでいいの?いくらなんでもおかしくない?……という思い。

そんなこんなで、会社勤めを部分的に復活したわけです。
当初は週3でテキトーに……と思ってましたが、いろいろ考えて「どうせなら」と、なんだかんだほぼほぼフルタイムでガシガシ、以前なら絶対に耐えられなかったであろうストレスフルな状況で、快活に立ち回ることができるようになってきました。

その経験や、

世界のエリートがIQ・学歴よりも重視! 「レジリエンス」の鍛え方
脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方

を読んだことから、

「ストレスは、筋トレの負荷と同じ。問答無用で悪いのではなく、負荷のかけ方をうまく利用すれば、体(神経その他もろもろ)が強くなり、かつてつらいと感じた負荷をへっちゃらに感じるようになる」

ということを、知識でも身をもっての体験でもあらためて実感しました。

同時に、「たぶん自分はこんなつらい境遇には耐えられないだろう(だから上手に、ラクして生きていく方法を見つけないと生きていけない)」という、前向きなんだか逃げなんだかわからないビビリ、劣等感も払拭され、自信がつきました。

そこへ来て出会った、ここで紹介している本。

その流れがセレンディピティー的に完璧で、ちょっと気味が悪いくらい。


ヒーラーとして独立して以来、スピリチュアルに傾倒する人たちが

「もっとラクに生きたい。ストレスをなくして、嫌な思いをまったくせずに済む日々を暮らしたい」

と願っていることに疑問をもっていました。
(そもそも弱肉強食が基本原理のこの世に来て、何言ってんの?という)

また、そういう人の、(どう考えても現実逃避であり人として堕落した願望としか思えない)意向に

「スピリチュアルを使えば、ヒーリングにすがれば、その夢が叶いますよ!ラクに生きられますよ!」

と応えようとするヒーラー業者やスピ本がこれまた、わんさかあるというのも驚きで。違和感あって。

これって、それこそ

「ゆとり教育が実は、人が本来育て得る強さを育て損なうことにつながり、もやしっ子のような弱くてバカなままで社会に出る人が多くなった結果、社会全体が脆弱になる」

というのと同じ図式なんじゃ……と思えて。

必ずしも、ストレスを受けることや試練と向き合って乗り越えることと、「人生が不幸である」というのとは、一致しないんじゃ……という感慨に、(ヒーラーを続ければ続けるほど)自信を持つようになって行ったんです。

ほんとに無駄でしかない、得るもののないもののために苦労しまくるのは、能がない。

また、必要なわけでもなく、本人が望んでるわけでもない試練を乗り越えて不必要に強くなるのも、考えもの。

でも。

もし、せっかく生まれて、いつか死ぬまでどうとでも使える時間があるなら。その時間を使って、何か「今のままでは手に入らないもの、いけない場所、できないこと」を、どうせなら、やってやろうじゃん!と思ったとして。

だったら、そのために必要な、必要最小限かつ最大効率・最大成長率になるストレスフルな試練は、堂々と受け止めて、取っ組み合って、乗り越えていけばいいじゃないの、と。

失敗も挫折もしたって、もしそれでもまだやりたければ続ければいいわけだし。
ほんとにダメでも、死ぬだけの話。(どうせいつかは死ぬのよ?)

安心して、ズッタズタにでもなんでもなれるじゃないの、と。

そういう感慨を持ったわけです。
(これは自分に対してそう思う、ということであって、他人も全員そうしなきゃいけない、とは思いませんけどね)

そして不思議なことに、

「ズタズタになって死ぬかもしれないけど」

と思って、思い切って飛び込んで、どうしても無理ならすぐにギブアップすればいいやと思って捨て身でいると、不思議とギブアップしないものだし、それほどズタズタにもならず、死にもせず、それどころか、いったんはつらいと感じたことを平気でこなせるように自分のほうが強くなっていってしまうんですよね。

それが単純に、面白くて。
(これは子供っぽくてダメなことなのかも。大人の男ならもっともっと戦略的に(ズル)賢く立ち回って、しかるべき社会的地位と資産形成を……ってのが王道なんでしょうけどねw)

こういうとき、男の子特有の「強くなれてかっこいー!」という自画自賛の有頂天気質は役に立ちます。

やっぱり私の憧れは、チャーリーズエンジェル。

あんなにストレスフルな過酷な毎日のなかで、優雅さと笑顔と優しさを忘れない。それでいて仕事の業績はパーフェクト。

あくまで理想ですが。

理想に向かいつつ、(夢見心地になるのではなく)地に足つけて、毎日を「昨日の自分よりも強く賢く健康で人徳が上がっている」と事実コミで実感しながら生きてたほうが、

「あらゆる嫌なことをなくしてラクになりたい〜♪」

という理想を今すぐ神頼みで叶えたくて(叶わなくて嘆き悲しみ、他人だか社会だか神だかを怒って恨んで)仕方ないだけの「ラクな人生乞食」無限ループ生活を送るより、私は好きだし、合ってますw

「だから何?」
「ふぅ〜ん。よかったね」

というだけの戯言ですがw
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