思いのままにお金を集める

これわおすすめ!



「はじめに」の数ページ読んだだけでもう、正しすぎて感服。思想や意見じゃなく「お金というシステムの事実」を述べてるから、反論の余地がない。

いわゆる「金持ちハウツー本」にカテゴライズされるのでしょうが、そういうジャンルにありがちな「単に金持ちになれた著者が、べつに万人にとって真実というわけでもない個人的意見・主張を無責任に展開する(だけ)」というものとは違います。

すごく理系的というか、「1+1=2」的に、お金とはこの社会においていかなるものか、の仕組みについて述べています。

「金持ちになりたいと願えばそうなる」みたいなスピ本崩れとも全然違い、ジャンルとしては経済とか資産運用に該当するくらい、実学的なことが書いてあります。

特に、

「お金は働いて成果を上げればその分だけ貰えるもの。貰う資格が生まれる」という洗脳をされている人が脱・洗脳するのに有用

な印象。

でもねー、「いいや!お金は!真面目に!働いた分だけ!貰っていい!働かずに!大金を!得るなんて!邪道!!人として最低の!!!堕落だ!!!!」

みたいな思い込みが強固な人は、この本を読んでたらワナワナ震えて、ビリビリに破きたくなるかもねw



この本を読んで、スピリチュアルヒーラーとしての私の感想をば、しばし(2日前にツイッターに投稿したものの焼きましなんですがw)。

スピリチュアルに傾倒する人は「お金はエネルギー」という言葉を過度に受け止めすぎているきらいがある。でも、お金という概念は人間が勝手につくったもので「お金エネルギー」みたいなものは存在しない。あくまで、金として動く流れの中に、人の想いを投影してそう呼ぶだけの話。

しかも「真面目に働いたら、その働きに見合う分だけ、お金を貰って良い」という、一見とても正しく道徳的に思える考え方も、いつの間にか人々(の一部、特に貧しい労働者階級側)がそう思い込むようになっただけで、絶対の真実じゃない。事実、システムとして働かず金稼ぎは可能。

本来、お金は人間がつくったシステムとしての概念にすぎないのに、人々が過度に美徳やら思想やらを絡めすぎて、かえってがんじがらめになり、思い込みと事実の違いもつかなくなっただけ。人により「真面目に働いてこそ稼いで良い」という思考に対して思い入れを持ち美化しただけ。

「働かざるもの食うべからず」などの思想も、あくまでそういう思想なだけで、事実としては、働かない人がものを食べることはできる。「そんなことは、すべきでない!」と言う人がいたとして、万人に絶対に正しい形で証明してみろといってもできない(なぜって勝手な主張だから)。

つまり、「善良な人間か・真面目に生きているか働いているか・優秀とされるステータスを獲得できたか」などの概念やら事実やらと、「どれだけ、どんな方法でお金を得られるか。得てよいか」という、本来はまったく関係ない別個の概念を、労働して賃金をもらう中で混同しただけ。



(そしてこのブログ独自のいつもの戯れ言)

スピリチュアルに傾倒していろいろお金本を読んだり、あるいはスピリチュアルとは別に、お金持ち本を読んだ人のなかには、これらのことを「知ってる」人は、そこそこ増えてきてる印象。

でも、頭では知ってるといいながら、腑に落ちてなかったり、相変わらず労働して会社など雇用主の決める賃金を貰うだけの生活を続けている人というのは(よほど、その生き方を主体的にあえて選ぶという人以外は)、わかってない証拠なのでは。

かくいう私自身、頭というよりはエネルギー的な事象の仕組み・この世の動きの全体像を霊視したうえで「お金とはいかなるものか」を把握できているほうだとは思うのですが、かといって積極的に「もっとも効率良く賢く稼げるやり方を実践しているか」と言われたら、全然だったりします(そういうとき、あらためて『あぁ、ほんとに自分は、お金については、そこまで興味がないんだ。お金をたくさん得ることで実現できること各種も、そこまで強くは現時点では望んでないんだ』と自覚するのですw)。

実際に大金持ちを目指して、この本に書いてあるようなことを実践するかどうかは別として、

「本来、事実ですらない、お金にまつわる、人々がつくりあげた迷信」をあたかも真実であるかのように思い込んでいる、愚かしい洗脳状態から脱却する

のは、誰にとっても望ましいことなんじゃないかなぁ、と思います。霊的精神的衛生面から見て。
(あ、『誰にとっても』と書きましたが、まさにお金に対する迷信で人々を自縄自縛させて支配しておくのが都合が良い、いわゆる権力者側の人たちからしたら、人々がお金の迷信から解放されるなんてのは『望ましい』わけないかもしれませんねw)


でもね。

ここまで書いてきて、日頃スピリチュアルヒーラーとして人々の心理ブロックやらと向き合う生活をしてきてる私は、こう思うわけです。

「人は、まさか自分自身の頭や立ち回り方が悪いからお金を稼げてないとは、死んでも認めたくないもの。自分のせいだ、ということを認めることほど、つらいことはない。なんとしても、自分以外の誰かや何かのせいにして『私は悪くありません』と被害者意識を決め込んで言い訳して誰かや何かを悪者にして、自分はシレッと正当化三昧したがるはず。いわば、迷信や思い込み、歪んだものの見方に依存し、自分を守る盾にすらしている。

だから、お金についての理解でもなんでも、『物事がうまくいっていないのは、すべて自分のせいだ』ということを突きつけてくる証拠物件は、なんとしても隠滅したいと思うもの。あくまでも、自分は悪くないという自分の説のほうこそ真実だということにしておきたいもの。

つまり、

なんとしても、物事をありのままに認めるなんてことは、したくない

と思うもの。

本当のことが書いてある本なんて、読みたくない

と感じ、本当のことが書いてあるからこそ、その内容が自分にとって都合が悪いからこそ、

ホンモノのほうをこそ『ニセモノ呼ばわり』して、魔女狩りばりに濡れ衣を着せて処刑・隠滅したくて仕方なくなる

だろうなー」


え?そんなこと思う人、この世に1人もいないって?みんな素直に事実をありのままに認めて、何か自分の現実に問題があればすべて自分に原因があると認めて、改善案を策定し実行に移すって?

あ、そうですよね。失礼しました!とんでもない妄言、申し訳ございません!!w
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