その時々の自分はそれぞれ、他人。

気まぐれに書きかけたものの、「箸にも棒にも&誰得」「文章としてクズすぎ」「何が言いたいの?」などの理由でボツにする記事もけっこうあります。

そのなかで、なぜか自宅PCのデスクトップに書きかけたままのテキストファイルが延々と残っていて、削除しようにも勿体無いが掲載するほどの価値もなさそう……というものを、思い切って掲載。

(まぁ、このブログに載ってる文章なんてどれもゴミですけど)ゴミ同然であることをご了承のうえ、お読みください。

「結局、高次元エネルギーアチューンメントって、現実逃避したい弱いイタい頭の悪い根性なしが妄想に逃げ込むための口実を与える、まやかしの提供としての役割を果たすことになっちゃうのかなぁ(だとしたら嫌だなぁ)」という思いがありました。特にヒーラーとして独立して当初は。

自分がエネルギーアチューンメントをあくまで「眠っている自分の力を呼び覚ます、具現化していない可能性を切り開くきっかけ」としか捉えておらず(←べつにアチューンメントエネルギーをバカにしてるわけではないつもりなのですが)、まさか「自分の人生がつらいから、神頼み的にエネルギーアチューンメント受けたら、少しでもラクになれるかな」なんて考えたことすらなかったんです。そういうモノの考え方をする人がこの世に存在するということすら、想像したことがありませんでした。
人はみんなもっと強いと思ってました。。。(←世間知らず)

で、ヒーラーになってみて、

「はぁ?世の中にこんな支離滅裂で心も体も何もかもこんなに弱くて拙い人が、大勢いるわけ?それでいてプライドだけは人並み以上で、自分は正しいとほざいたり、好き勝手な穴だらけの論理をいかにも真実であるかのように語ってドヤ顔するんだ!?」

とカルチャーショックを受けた次第です(←通過儀礼w)。

そのあと、「やっぱりスピリチュアルヒーラーって、ダメな弱い人の面倒を見る、世の中の最底辺介護同然なのかな。ほんとにそうなのかな」と思い悩む時期があり。(←これも通過儀礼w)。

なかには、

「何言ってんの?スピリチュアルヒーラーなんて、ただの肩書き。その実態は、頭の弱い迷信好きのイタい奴らをカモにして金づるにしてケツの毛まで何もかも毟り取ってオケラにしてナンボ!の詐欺師の世界じゃんか!!」

と割り切って「ビジネス」に精を出す人までいる。
(わかってやってる人ならまだしも、実質そういう動きをしてるのに、本人は『私は善いことをしている』と信じ込んでいる人もいたりする。一番多いのは、『ヒーラーの仕事を始めた頃は純朴に理想や規律に忠実に働いていたが、簡単に大金を稼げることや、人々から尊敬され崇拝され、自分の言いなりに他人が動いてくれることの愉悦に呑まれるうち、時間が経つにつれ別人のように変貌してしまう、というケース。それでも『私は真摯にヒーラーをやっている』と、事実を省みずに豪語してたりする)

そういう中でも仕事を継続していくなかで、素晴らしいと感じたり、何か「あ、こういうスピリチュアルの受け止め方、位置付けの置き方ってあるんだ?」と気づかせてくれるお客様の存在に助けられてきているようなところがあります。

独立して3年目くらい経ってからでしょうか。
3年やれたという自信と、「もうどんな人のどんなイシューでもどんとこい」と思える力量に到達した自負もあり、また自分の現実を100%、理想どおりに作れる自信も、実績コミで理解できてきたことも手伝って、

「どういうヒーラー活動をしたいか。どんなお客さんを相手にしたいかも、100%、狙いどおり理想どおりにしちゃえばいいじゃんか」

と思えたんです。で、そのとおりになって今に至る、と。
(ちなみに屁理屈みたいかもしれませんが、自分の現時点での好ましい環境にあぐらをかくことのないよう、1〜2割はあえて、自分のマニフェストコマンドから外れた、チャレンジングな出来事や人と遭遇することに同意する、というコマンドもコミで願いが叶っていたりします)

そして今でも、尊敬できる素晴らしい方々がお客様として現れる、というマニフェストコマンドは絶賛、継続中で。

ヒーラーとして独立して気がつけば10年近く。自分もトシをとってきて感じるのは、それこそ20代前半とか、なかには10代のお客様が、自分のその頃の年齢のときには考えられないほどしっかりしたお客様を見たときの、頼もしさ!

明らかに人類のDNAは、日々、継続してバージョンアップがかかっていると感じます。

そして、若い人ができていることを目の当たりにすると、これまた都合のいいことに、

「じゃあ、自分も、やればできるんだ。自分のDNAをバージョンアップさせて、もっと凄くなれるんだ!?」

とワクワクしたりして。

そんなお気楽な有様ですから、ある意味では、「どんなモンスタークライアントをも手なずけて癒して感謝されて評判がうなぎのぼり&知名度も広がりまくり!」な路線の強さというか経験値というか手練手管は持ち合わせていないほうかもしれません。
それにより、他の誰かよりも成功の規模というかが小ぢんまりとしたものになるとしても、それはもうなんていうか、全然気にしてないよというか。
(もの

最後、何を書こうとしたんだろう!?w

「数時間前の自分は、他人」

って、ホントですね。

確かに自分が言ったりやったりしたことだけど、もう記憶なんて全然ないし、なぜそのときの自分がそう言ったのか、そうしたのかなんて、わからない。

老化が進んで記憶があやふやになればなるほど、そうなる。

これを、「そんなこと言ったっけぇ〜?」と、すっとぼけるズルさに活かす人も多いみたいだけど、自分の場合は、良くも悪くも自分自身を他人みたいに捉えることができたおかげで、

自分を大切にするとはどういうことか

を、より具体的に理解できた気がします。

あのときの自分(ということになっている、とある人)は、こうしたかったんだろうか?こうだったんだろうか?と考える。

将来の自分(ということになっている、とある人)のために、こうしよう、と考える。

そういうことが、できるようになりました。

で。

私は(それが良いことかどうかは別として)人の役に立っているかどうかをマニア的に気にする人間なのですが、どこかの誰かの役に立とうとしても、かえっておせっかいだったりして、うまく役に立てないことがあるんですね。どうせならいっそ、関わらないでいたほうがお互いのため、ということもあったりする。

なので、

かつての自分の想いを叶える、報いてあげる

という形で「人の役に立つ」ということを、し始めました。

これだと、無理がない感じ。

ある時期の自分の、恥ずかしいくらい切実な熱意とか、それが無残にも裏切られたり夢破れたりしたときの落胆と失望、悔しさ。そういうものが、「名残り」的にはうろ覚えでありながら、「自分自身の感慨」と呼べるほどリアルでもなくなってきていて。

だから、どこか「他人」を見る感覚で、かつてのその時々の自分の有様を、見るわけです。

で、今の自分が何かしてあげられることがあるなら、やってあげたいな、という。
(そしていくつかは、その当時の自分がどんなに願ってもその時点の能力であがいてもできなかったものができるようになり、手に入らなかったものが手に入るようになってきています)

そうして、かつての自分の無念を、嘆きを、怒りを、悲しみを、癒す。

ヒーラーなのに癒しのコマンドを使わないのかよ!というツッコミもありそうですがw、やっぱり、

「これこれがほしい。これこれをしたい。これこれをできるようになりたい」

という願いには、

「はい!できるようになったよ!できてるよ!手に入ったよ!」

と現実で報いてあげたいんですよね。

そのほうが、癒しコマンドだの「すべてを赦します」みたいなアファメーションによる怒りの解放(できたつもりごっこ)なんかより、はるかにしっかり癒える。

(なんか、私の今回の人生の30代は20代までの自分の叶わなかった夢各種を叶えなおす、リベンジ強化期間みたいになってます、図らずもw)

同時に、将来の自分が顔をしかめて迷惑を感じるようなこともしない、と自然と思えるようになりました。

たとえば暴飲暴食。

日々の何気ない積み重ねで見事に不健康なデブになり、30代にして早くも寝たきりで日常生活もままならない……というザマに陥ったこれまでの実績を省みたとき、なにより現在の自分がかつての自分に対して

「お前、あんまり変なことしてんじゃねーよ!お前のせいでこっちが迷惑してんだろーが!!」

と強烈に思ったわけですw

これ、まさに現在の自分が変なことをやらかしたら、将来の自分が怒髪天なのも目に見えてるんですね。

他人のように将来の自分を捉えつつ、「いつかは『現在の自分』としてツケを払うことになる」ことも見えていて。

だったら、将来の、とある他人である自分が困りそうなことは、しない。

単純に、そう思ったわけです。


結果として、もろもろがうまくいってる感じ。

過去と現在、未来をバラバラに捉えることで自分の一貫性を見失う……という危険性も、わりとよく聞く話ではあるのですが、個人的には、我ながら上手に自分自身を他人化して客観視することに成功できているんじゃねえか、と自画自賛。

はー、ほんとにゴミみたいな記事だ。w
(いつもだがな!!)
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