脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方

読みました。



目からウロコだったのは、

適度な錘(おもり)を持ち上げるなどして筋肉に負荷をかける(=筋トレをする)と筋肉が超回復して強く鍛えられるように、

嫌々ではなく自主的に挑戦意欲などをもって困難に立ち向かい(←ここが最重要らしい)適度なストレスを感じると神経に負荷がかかり、神経が超回復して強く鍛えられる
(以前はつらいと感じたことを、なんとも思わなくなり、より強いストレスに耐えられるようになる)


という理屈。

つまり、

ラクすぎる生活をしていると、ストレスがない分、問題ないといえばないけど、神経が鍛えられないのでストレス耐性がつかず、何か大きなストレスを受けたときにすぐ参ってしまう

し、

自分の今のストレス耐性の限界を超えるストレスにさらされると、コルチゾール(神経を含め体を腐食する作用がある)などのホルモンが過剰に分泌され、物理的に体がボロボロになっていく

わけですね。

しかも、同じストレスを受けるにしても、自分からそれを望んで何か行動を起こして感じるのと、義務的に強制されて嫌々しているなかで感じるのでは、その後の変化がまったく逆になる。
(自分から率先してストレスを感じるようなことを行った場合は神経が物理的に強化され(神経がマッチョ化する!)、それまでつらいと感じたことがぜんぜん平気でこなせるようになる(=ストレス0でタスクをこなせるようになる)けど、強制されて嫌々やると、神経強化作用が起こらずコルチゾールなど体を蝕む物質のほうが出て、どんどんボロボロになっていってしまう)

べつにすべての人が超人的なストレス耐性を身につけなきゃいけない、というわけではありません。
自分に成立してる日々の現実を問題なく送ることができているならば、何もわざわざストレスをかけて神経マッチョになる必要は、ないわけです。

でも、何か仕事で活躍したい、今の生活をもっとラクに送れるようになりたいと思うなら、神経のマッチョ化は願ったり叶ったりなのでは。

で。

「自分から望んでストレスを感じるような行動」とはなんぞや?

って話ですが。

おそらく、事務的な仕事でも学術的な研究でも地道な単純作業でも、本人が「これをしたい」と思ってやるならどれでもいいのでしょうが、本のタイトルが提唱しているとおり、著者は

運動により適度なストレスを生み出すことが、ストレス耐性を高め、肥満といった肉体的な不健康状態から、うつやADHDなど様々な神経疾患にまで、改善効果がある

というふうに述べています。

印象的だったフレーズを引用してみましょう。

現代生活のストレスをいかに減らすかを説くさまざまなアドバイスが見失っているのは、人間は困難があればこそ努力し、成長し、学ぶという点だ。細胞レベルでもそれは同じで、ストレスは脳の成長に拍車をかける。ストレスがそれほど過酷なものでなく、ニューロンが回復する時間があれば、その結びつきは強くなり、わたしたちの心の機械はよりスムーズに動くようになる。よいか悪いかの問題ではない。ストレスは必要不可欠なものなのだ。



精神論一辺倒の自己啓発家や起業家が書いたビジネス本でなく、医者が医学的な統計データなどを基に理論を展開している点が、なんとなく説得力大!な感じ。

「ラクになりたい」

なら、

「ネガティブ思考にさいなまれていつも凹んでる」

なら、

なによりお金がかからず、やりたいだけやれる「運動」を習慣づけることが、急がば回れ的に重要だったりして!?

(そういえば、運動の習慣を実践できてる人たちで、ひたすらネガティブ思考で何をどうやっても不幸な日々から抜け出せない変われないと嘆く人って、ほぼ皆無な気が)

ちなみに、その人の体力や運動する目的などによっても程度は異なるものの、習慣づけたほうがいい運動の負荷の目安というのは

(息があがるなどなんらかのキツさを感じる程度の負荷で)1日30分の有酸素運動がミニマム

だそうです。

要は、ランニングw

P.S

自分自身、今年の5月からホットヨガのレッスンに毎日のように通うなど、運動の習慣化に取り組み、定着してきたので1個人の経験則として言うのですが。

それまで運動の習慣がなかった人が運動を始めると、

運動を終えた後しばらくして、

「こんなバカげたことを続けて何の意味がある!時間の無駄だ!何の意味もないことに希望を託して、まるで新興宗教にハマった哀れなカモみたいだ。運動で救われることなんてない。そんなことを信じてる奴はどうかしている。自分が消耗した体力、運動によって削った命をどうしてくれる!もうやめよう。騙され続けるなんて、まっぴらだ。もっと生産的に賢く生きよう。有意義な時間の使い方をしよう。同じ疲れるなら、もっと別のことで疲れたほうが、世のため人のためというものだetc」

と、最高にわけがわからない屁理屈を、いかにも正論!というふうに、どこへぶつけるでもない正義の鉄槌!くらいの勢いで、思い始めたりします。

次に運動を始めようか、ジムに行こうかと思うと、気持ちが悪くなり、気分が憂鬱になり、緊急に済ませたほうがいい用事を思いついたり、とにかく運動をすることを回避しようとします。

そして(これは私の性格にもよるのかもしれませんが)どうにかそれらを気合いで乗り越えて、いざ運動を始めても

「まったくなんて無様なんだ!あれほどやめとけと思ったのに。結局こんな無駄なことのために時間と労力を使って、みすぼらしく汗だらだらになって。今の姿がどれだけ惨めに見えることか!成功しているお前の知人たちは指をさして笑うだろうよ!プロのアスリートになるわけでもない中年のデブが、希望を託していまさら運動なんざしてやがる。地に堕ちたもんだな。世界で一番、生きてる価値のない生き物だよ、お前はetc」

などと、運動している自分を呪い、運動するハメになったこの世を怨むという不毛すぎる怒りで全身がはち切れそうになります。

最初の1~2週間は、この、

なんとしても運動を習慣化したくない自分からの全力での反抗に打ち勝つ

ことができるかどうかです。

しかもそれまで運動をしていないと、それもある程度、年齢がいってるとなおさら、軽い運動のはずなのに、運動後に病的なほど疲れてしまったり(←それがまた無力感を煽り、自分が情けなくなり、運動なんかするもんじゃないという意見を支持する証拠ともなってしまうから厄介)、とにかく自尊心をズタズタにされます。
どうして自分はこんなサイテーなんだろう、と、体力のなさや、バテるはめになってる今の様子など総合的にみて情けなく感じて。

私の場合は、あらゆるプライドというか虚勢を張りたくなる自分を、深呼吸して
「認めな?これが今の自分なんだよ」
と諭す方法をとりました。

悔しくて、本当に泣けてくることもあります。

「でも現状のダメさを否定したら、変われないよ? そのまま虚勢を張って、誰にもどこにも通用せず自分の人生を舵取りする気力・体力すらもてないほど弱ってしまうなら、今よりもっともっと惨めに弱って死んでいくだけだよ? 誰を怨もうがかまわないけど、それで一時的には気は晴れるかもしんないけど、問題は何一つ解決しないし、誰も謝ってくれない。同情してくれる人はいるかもしれないけど、それすら一時的に気を紛らわせるだけ。本当の問題は解決しない。どうしたい?実際にはどんどん弱って早死にしていきながら、ひたすら誰かの憐憫をドラッグみたいに吸って、同情ジャンキーになって現実逃避したいの?」

と自分に優しく語りかけます(アホみたいだけどな)。

それで、ひとしきり、悔しさを吐き出すみたいに歯を食いしばるなり、何度も何度も深呼吸をするなりすると、あるとき、スコンとお風呂の栓みたいなのが抜けて

「はい、私はどうしようもない弱虫です。運動がろくすっぽできない体力なし、根性なしです。どんだけやっても変われなくてもともと。なんの才能もありません。でも、何もせず弱っていくよりは、できる限りのことをしたい。もしなんの効果が出ず結局弱って死んでいくだけの運命だとしても、『やれるだけのことは、やった』と思って死んでいきたいです。だから、こんな愚図な馬鹿のひ弱人間ですが、よかったらヨガのレッスンにまぜさせてください」

といった、神妙な気持ちになるんです。誰にどれだけもし本当に馬鹿にされても、ぜんぜん気にならないで

「まぁ、実際そうだし」

とスルーできるような。噛み付いて反論したくなるほどの虚勢が、もう、なくなる。

それで運動をして、もっとできる人たちがいても、自分がぜんぜんできなくても、初心者向けのクラスなのに瀕死レベルで疲れ切ってしまっても。

もう、自分を批判しない。

それでもともと、そもそもそういうものだ。これが自分の体力でいえば「普通」だ。なにもおかしいことじゃない


と思えるようになるんです。

もう、あたかも、人間ってのはみんなそもそもそうですよくらいの開き直りで、なんにも言い訳せず、おとなしくバタンキュー。

そうして2~3週間すると、(たぶん、筋力や心肺機能といった体力も、そして神経も!鍛えられて)あんなに苦しかったことが、自分を絶望の淵に追いやった運動が、なんとも思わなくなる。それどころか、心地よい。自分の体力の回復や増強を感じる。モノによっては、どんなに若い頃の自分と比較しても、今がいちばん「デキる」状態だと断言できる(ヨガの場合は柔軟性で目に見えてわかるので、勘違いや虚勢じゃなく事実として認識できます)。

そうして2ヶ月目を迎えると、

「運動って何か役に立つの? やろうと思うけど続かないんだよねー。こないだちょっとやったら尋常じゃなく疲れて、倒れてw 救急車で運ばれるかと思った。やっぱり無理なことするもんじゃないよねぇ、もうトシだし」

みたいなことを言っている、まさに1ヶ月前の自分そのまんま!な他人を見たとき、

「わかってねぇなァ」

と、クスクス笑いたくなります。小馬鹿にする意味合いじゃなく、「もし始めたら、翌月にはあなたも今の自分の発言をバッカみたいと笑い飛ばせるように変われるのに」という意味で。偉そうかもしれないけど、先輩面して。

「まだ気づいてないんだね。運動の習慣がどれだけ、あなたの人生を変えてくれるかを」
関連記事
スポンサーサイト