幸福であることは、まっとうな大人として普通のこと

マルチプルアバンダンス講座(完全版)の感想いただきましたので掲載しマウス🐀

 先日は大変お世話になりました。また、感想が遅くなり申し訳ございません。
 日々の生活で使ってみて感じたことを中心に書いてみます。

 一番分かりやすい&恩恵を感じているのがtarコマンドです。毎晩かけていますが、日々仕事や家事が少しずつテキパキと段取りよく出来るようになっているのが楽しくて嬉しいです。地味?かもしれませんが、効果を実感しています。

 また、波動・波形デザインパフォーミング能力は職場で非常に役に立っています。今の職場は様々な背景を持った人がいるため、なかなか個々の人に上手く合わせるのが難しかったのですが、これをかけると接しやすさが格段に違います。自分だけでもなく相手もそう思っているよう?で、双方余計なストレスがなく、プラスの循環が生まれやすいように思います。

 これ以外にも、思いついてはいろいろ試してみているのですが、やるたびにいろんな発見があり、飽きないというか奥が深いシステムだなあ……としみじみ感じている次第です。

 本筋からはそれてしまうのですが、マルチプルアバンダンスを使っていて気づいたのは、幸福であることは、まっとうな大人として普通のことだということです。

 以前は「幸せがすぎると頭がお花畑みたいになってしまうから、気をつけないといけない」みたいな思い込みがあって、幸せについて警戒心を抱いていた部分がありました。しかし、それは幸せ=麻薬的な一種の興奮状態ふうなニュアンスでしか捉えていなかったのが原因で、本来の幸福というものは、単なるある状態(人間としてトータルで見て病んでいないという状態)を指しているにすぎないのだなと。

 そう附に落ちてから、浮き沈みが激しかった感情が落ち着いて、以前と比べてやるべきことをしっかり取り組めるようになりました。あっちこっちに向かっていた感情や思考に、一本の筋ができて、全体がしっちゃかめっちゃかにならないようになった感じになりまして。ちゃんと、自分自身の力で現実を変えて生きられると強く思えるようになった気がします。

 まだ初受講から一ヶ月ちょっと!しか経っていないのにいろいろありすぎてもう何年か経ってしまったかのようです。

 今回は本当にありがとうございました。

あざーす!

そう、体については一般的に「健康」なのが普通でノーマルで、病んでたら「一時的な、異常ステータス。速やかに健康に戻すことが望ましい」という見解が成立していると思うのですが(高齢者ワールドになると事情が違うかもだけど←案外、『どこも悪くない』という人が、『苦労がたりないんじゃないのォ~?』『お前がいつまでも健康な分だけ、他の人に迷惑がかかってるんだろ?』『何か相当、悪いことをしてるからピンピンしていられるんじゃないか』とかdisられるんでしょうかね)、こと幸せとなると、

幸せであるのはズルい、悪いことだ

みたいな考え、流布してるっぽくありませんかね。特に日本では。

そこまではいかなくとも、

幸せとは、宝くじに当たるような、ごく稀な確率で訪れる、偶然の瞬間

みたいな感覚、ありません?

でもさ。

何を幸せと呼ぶかにもよるけど、

基本的幸せ

って、あると思うわけですよ。

とりあえず、ヤバげじゃないよね、的な最低限度寄りの一定のラインを幸福値が常に越えているかどうかという。
そこを下回っちゃうとなると、鬱とか体調悪化とかが起きたり、お金や人など外部からの豊かさを引き寄せる自分自身の磁気的な力が弱って貧しく衰えるよ、というライン。

で、風邪をひいた人が人混みの中にいたら周りの人にもうつして風邪をひかせてしまうように、不幸は伝染します。

つまり、不幸な状態を改善させずそのままにして社会生活を送ることはすなわち、

自分が不幸でいることは、他人を巻き添えにする(≒人様に迷惑をかける)危険性を放置している

ということでもあるんじゃないの、という。
(なかには、それが狙いでわざと自分自身を不幸でい続けさせる人もいますけどねw)

でもこれ言っちゃうと、

被害者意識の権化「ひどい!私は精一杯やっても不幸を脱しきれないのに!そんな私は、悪い人だっていうんですか?」

みたいな人もいるし実際ハードル高めな話だと思うから、あんまり他人に強くわざわざ言ったりも、普段はしませんけどね。

アメリカなど外国贔屓というわけでもないけど、「人は、幸せなのが、当たり前。」という感覚のほうが主流の社会だと、自分が不幸な有様を他人に見せてしまうこと自体が、十分に迷惑をかけてしまうことだという感じを強く感じる気がします。
(その分、『ほんのひと時、落ち込んでるだけだし、たまにはゆっくり塞ぎ込んでみたいときだってあるのに、みんなが『Are you OK?』と聞いてきてまるで不幸でいるのがいけないみたいにプレッシャーかけるのがウザいんだよね』という感慨を抱くことも多くなるらしいですが)

幸せであることは、社会人としての責任

とまで言ったら、厳しすぎ!ってことになるのか知ら。。。

(しかも日本だと『はぁ?幸せ?じゃああんた、総資産何億円もってる?幸せっていうのはね、最低でもそのくらいはお金をもっている人だけが言う資格があるのよ』みたいなクソリプ的な幸福観の人も多いしw)

べつにいいじゃんね?不幸でいたい人が不幸でいても。
べつに不幸でいたいわけじゃないけどどうすることもできない人が不幸でい続けるのは。

そういう人は、満員電車の中で、感染するタイプのウィルス性や細菌性の病気にかかった人がどんだけゴホゴホ咳き込んでても実際に周りの人たちをどんどん感染させて病気にしても、自分がそういう人から病気を感染させられても、平気のへいざで

「べつにいいじゃんね?しゃあないしゃあない」

でなんとも思わないでいられるわけでしょう?

不幸でい続ける自分はしゃあない、というなら、病気にかかったまま治療せず、しようともせず、「だってしょうがないじゃん」で他人にうつし続ける人のことも、受け入れるでしょ?許せるでしょ?

そういうことだよねぇ?

もし違うとしたら……。

あ、ううん、なんでもない。

あ、後藤久美子がブタにまたがって空飛んでる!

うっそー。バカが見ーるー。ブタのケーツー。
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