美しくある責任

って、あるよなぁ、と感じます。

ここでいう美しさというのは、ファッション雑誌が美人と取り上げるタイプの造作に当てはまっているかどうか、といったカタチだけの問題ではなく、どんな顔や体の造作でさえ、その人の遺伝子配列ならではの具現化しうる美しさを誰しもが持っているという意味での美しさです。

痩せているか太っているかも、どちらが正解ということはなく、「この遺伝子配列である自分が、太ったらこんな魅力が、痩せたらこんな魅力が出る」とわかっていたり、その魅力を最大限に発揮するよう励んでいたら、どっちでもいいのではないでしょうかね。

で。

美しくある「責任」ってなんぞ?って話なんですが。

これは霊的真実というよりは、あくまで美学というか、ある意見に過ぎないことを先にお断りしておきます。
(人の意見や、主体的に選び取った信念のことを、霊的真実でないからとすべて『思い込み』という単語でレッテル貼って価値がない間違いだといってバッサリ切り捨てる風潮、好きじゃないです)

人と会うとき、ふてくされた無愛想より、不自然でない程度に笑顔だったり、親しみを表明する態度であるほうが、社会的には好ましい望ましいとされるマナー、ありますよね?よほど明確に敵対意識を表明する状況でない限りは。
また、身だしなみという概念もあります。服装とか、髪型とか。

そういうマナーを(他人が強要するというよりは、本人の余裕というかがある前提の自主性で)肉体や心に対しても持つ、という考え方、あってもいいんじゃないかな、と。

自分が授かった遺伝子配列ならではの、世界で他の誰も具現化できないタイプの美。
その、ある人の遺伝子配列ならばこそ発現しうる美・魅力・愛らしさというのは、世界一の美女と評されるモデルやハリウッド女優などがいくら頑張ってもまったく同じには体現できないものなんですよね。

で、自分のことを美しく思うというと、とんだ勘違いとか思い上がりと思われやすい風潮もあると思うんですが、そうではなくて、

自分の美しさは、この世界が、人類(祖先はもとより、無線有線いずれもの通信手段を使って互いに遺伝子の情報を共有し高め合うことに協力している、この世に一度でも生きたことのある人類全員)が、自分に恵んでくれたものなのだと、まるで「借り物」のように与えられるものだという考え方があってもいいですよね。
(仮にその美しさが過去生なども通してその人が体現した生き様、それにより獲得した美徳ゆえだったとしても、『そもそもそういう体験をすることができた場を提供してくれた、この世や関わった人々』あってこそ。他の誰も何もないところで体現しうるものではないはずです)

その感謝の1つのカタチとして、精一杯、磨けるだけ磨いた状態の自分の顔を、体を、態度や言動を、そしてそれらを通じて滲み出る心の有り様を、霊的エネルギーの洗練さを、魂の輝きを、せめてお世話になったこの世や人々にはお見せできるようでありたい、ベストを尽くしてお出ししたい……という信条。

クソリプ「意識高い系、乙w」

私はこういう考え方を、どちらかというと自分が率先して思いついて実践しているなどとは口が裂けても言えないのですが、むしろ、「そういう在り方ができてる他の人たち」を見る中で痛感してきました。

たまたま私が今回のこれまでの人生の折々に、業界トップクラスと言われるような俳優女優モデルその他いろんなビジネスやお稽古事、あるいはプロとしか言いようがないほどしっかりみっちり主婦というか、人間としてそもそも生きるとは……ということを極めて活躍する方々と接する機会がそこそこ以上にあったこともあり、そう思うようになりました。

世間では無名とされる小劇場系の俳優・女優さんなども、単に世間的にブレイクして有名になっていないというだけで、その生き様というかは有名な俳優・女優やタレントさんなどとまったく遜色ないという場合もあります。
(というか、自らの信念を歪めたくないからこそ、無理に無駄に世間で売れて営業スマイルしなきゃいけない事態を避けて、地味に地道に俳優道に精進することを選んでいるタイプの人も大勢います。意識の高さや、凛とした様子、ストイックに何かをひたすら極めていく姿勢という点だけでいえば、売れている人より売れていない人のほうが実は凄かったりします)

仕事でいえばサラリーマンだけど、その人のライフワークとしては空手などの格闘技だったり、魚釣りというような、趣味扱いされる分野にある場合もあるわけで。
生活の糧を得るために仕事はするけれども、それはすべて、ライフワークを通して自分の信条に沿ってやれることをやりきるため、という精進の仕方をしている人たちは数え切れないほど、います。

伝統工芸などの職人はもとより、肩書き上は「工員」とされて終わり、みたいな立場の、工場勤務のエンジニアたちであっても、仕事にかけて凄いプライドと向上心、プロ意識を持って臨んでる人たちが大勢いますよね。

それが外見寄りであれ内面寄りであれどっちでもであれ、ある意味ではある程度以上、「美しくある責任」を果たすカタチになっているのではないでしょうか。仮に本人に、そんな自覚がないとしても。



私が最近になって強く意識するのは、よくも悪くも、自分の遺伝子配列の持つ特徴をどう活かすとどんな魅力が出るのかは自分にしかわからない、ということです。

ダックスフントは胴長短足な体格の犬ですが、それがすなわち欠陥や欠点、醜さというわけではなく、その特徴ならではの可愛さというのは、ありますよね。
それと同じで、胴長短足な人間には、いわゆるモデル体型のように手足が長く均整のとれた骨格の人には体現できない類の魅力があるわけです。
自分ならではの美しさ(それは外見だけの問題ではなく、その外見を形作るに至る要因となった、先祖や自分の過去生の生き様、そこで獲得した美徳や熟成させた悪徳、それらの複雑なコラボレーションの結果といえます)を否定するのも、自由。
無理して、他人が体現している美のタイプに近づけていこうとするのも、自由。
それもわかったうえで、「自分にしか体現できない美のカタチを、それを知らない他人に教えてあげる、少なくとも『提示する』というのは、アリだよな」と。

どうせ今回の人生なんて、いくつもあるうちの1つ。しかもこの人生ですら、Do Overすれば何回か行うことができます。

私は長い間、自分の肉体が男であることに苦しんで悩んできましたが、性的適合手術を受けるほうよりは、せっかく授かった男という性別、そして今回の遺伝子配列を尊重することにしました。

この想いに至るのは、並大抵のことではなかったです。

「こんなの本当の自分じゃない!」

という葛藤。無理して自分のありのままを犠牲にして、仮の姿を演じさせられる苦痛、屈辱。

でも。

それは顕在意識だけをとって考えたらの話で、潜在意識や霊的なものも含めてトータルでいえば、同意して自分で選んでることに気づいたんですね。

で、この人生自体、ある意味では演劇の舞台公演。役者が本名を名乗って素の自分を舞台上でさらけ出してどうするよ、ということを自然と腑に落とせた気がして、いっそこのまま、役を演じ切ろうと肝が据わりました。
(当然、このことを決意すると、ものすごく他の人々から支持され、絶賛されます。なぜなら、他の人たちからみて都合がいい在り方を私が選択したからです。『ありのままの自分』なんてものを主張する人間には、よほどでなければ人は興味を示しません。人は『こいつには、こうあってほしい』と他人に一方的にでも理不尽にでも願う在り方があるもので、それを相手が叶えてくれたら、喜びます。そういう人の反応というのは、所詮はエゴが満たされたから笑顔になるわがままで浅はかな醜い在り方なのかもしれませんが、褒めてくれるなら都合よく利用させてもらうよ、くらいの気持ちで『どうだ、俺にこういう役を演じてほしかったんだろ?こういう有り様で生きてほしいんだろ?俺が本当に生きたい在り方になんかちっとも理解を示さないで、こうあってほしいという期待と要望を暗に抱いて、それが叶えられたら独りよがりに『そう!それでいい!そうあってこそお前だ!それが本当のお前なんだよ!!』と誉めそやすんだろ?わかってるよ。でもこの世は持ちつ持たれつ。拒絶されてエネルギーの循環が滞るよりはマシだ』と割り切ってますw)

そもそもこの世は、自分のために生きようとする人間には冷たく、他人のために生きようとする人間には温かいもの。
(その中で、100%、他人に捧げて自分を犠牲にしてしまうと、それはそれで切ないので、いかにバランスをとるかが一番難しくもだからこそやりがいのある、すべての人それぞれが個人個人で対応していくしかない課題ともいえますが)


個人的には、自分が男であり、社会的に求められる男としての役割に徹することを受け入れることさえ物凄い苦痛と苦悩の旅路だったのに、受け入れた後にさらに控えるのは、造作の問題。

昨今は、男でさえ、女性のようなというか、イケメンという単語で示される、中性的で綺麗な在り方が流行る風潮。
そんな中、ひと昔前の映画俳優みたいな外見の自分は、

「どうしよう、完全にプロトタイプじゃん。時代遅れ感ハンパない……」

と、泣きたくなるような心地がします。
もっと上の世代でそれなら「あぁ、あの頃の美男子だったのね」で情状酌量もありそうだけど、中途半端に若いからかえって惨めともいえなくもなく。。。

でも、というか、だからこそ。

今これからの時代を、この造作を持って生まれた自分が、(減量やトレーニングなど肉体自体の造形を自然な範囲内で変化させて)体型や体格どうコーディネートすれば、

「あぁ、なるほど。そういうやり方でそういう美しさがあるのか」

と、他の人に参考になったり、目の保養になったり、あるいは安心というか、「ちゃんとしてる人を見て社会が秩序立って安定していることを暗に感じてホッとする」ような効果を与えることができるのか……を考えたいところ。

難易度たけーーーーーーーーーーー!!!

でも、せっかく授かった難易度の高さ。逃げ回ってないで、挑んでやろうじゃん!!!

ということで、私がもともと素質バッチリ!な「男臭い要素」を否定するより伸ばす方向で、ひたすら男臭くなっていこうと思います。
自意識でいったら凄まじく苦痛だけど、そのほうがこの世でうまくいくなら。他人に支持されて、自分が成すべき使命を果たせるなら。
一生、ありのままの自分を尊重されない、仮面をかぶってでも生きていきます。
(ある意味、結婚相手というか、本当にプライベートな知人数人にだけ、認めてもらえたら案外、それで気が済むのかもしれませんし)

なんか、プロレスラーの悪役みたいだなぁ。
でも人は「あの人の素顔がああじゃないのは、わかる。でも、世のため人のために、自分を殺して、演じて、みんなのために尽くしているんだね」という点を賞賛するものですし。そのほうが、この世で何かを成すうえでの力が手に入りやすいわけですし。

自分のありのままを、誰からも喜ばれないのに独りよがりに満たすより、この世に今回、生まれた理由・使命を果たすほうが、天秤のウェイトが重いので。

自分が、男の中の男であることを、認めます。

モラトリアムは、もうおしまい。

はぁー、生まれて初めて「大人になるって、こういうことか」と苦渋を味わった心地。しかも、無理やりじゃなく、あえて自分でわざと選んで、自分の利己的な願望を捨てて、他人や世の中のために生きようと決意した感じ。

長い長い、子供時代でございましたとさ。

顔で笑って、心で泣いて。それが男でござんす。

泣かないぞ!!
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