ライタリアン ピュリフィケーションリングLv.1〜4の感想

いただきました。

 本当は各レベルでの体感とか、受けたらどうなったのかという変化を書いた方がいいと思うのです。

どうも私の場合はレベル1から4までの流れ全体で書いた方がいいようなので、そのように書かせていただきたいと思います。

 アチューンメントそのものについては、受けるたびに自分の軸がしっかりする・視野が一段高く・広くなるという感じでした。今まで(アチューンメント前)は周囲の反応にビビってしまって慌ててしまったり・行動できなかったりということがたびたびあったのですが、そういったことが減り、するべき事を以前よりすんなりやれるようになっていって、非常に助かりました。

 ここでこうした方が良いと思っている事をできるようになる。それは、気持ちの上でも楽ですし、自分自身への信頼性が増すという点で、生きる上での武器になる、本当に素晴らしいシステムだなあと思います。

 また、軸があって視野が広がるということは、以前は見えなかった・考えもしなかったことができるようになるということでもあるようです。職場や人間関係等々で以前は気づかなかった良い点が見えてきたり、個人的に嫌悪感がでていた他人の行動・言動等もそこまで嫌いになれないというか、あーあるんだなあ・そうやるのねえ、という風に見られるようになりつつあります。

 以前usamimiさんもブログ等で書かれていたと思う?のですが、こういうアチューンメントやセッションは、(昔は必要だったけど今となっては)自分を困らせている思考パターン等を解決して、楽に、楽しくなることもある。
 でも、それだけじゃなくて、むしろすることによって、今までごまかしていた部分や見ないふりをしていた部分に気づいて、それを尊重したり、そこに向かって進んでいかなければならない場合もある。そういうパターンだった時、傍目から見れば以前より悩んだりして苦しんでいるように見える時もあるじゃないかなと思うんです(嬉々ととしてがっつり楽しくやり始めるというパターンもあり得ますけれども)。

 今回の私の場合は、後者の方で、確かに悩みが深くはなったというか、どうしようって気持ちなんです。でも、それが、本当に嫌で苦しいのかっていうとそうではなく、むしろ本質に還る方向に向いたというか、ものすごい恩恵を感じられるようにサポートしてもらっているというか。そのような感じなんです。

 あとは、スピリチュアルについての理解も変わりつつある気がします。スピリチュアルは現実から逃げて楽になるような麻薬とかそういう逃避するためのものではなくて、現実をしっかり自分自身で舵取りして主体的に生きるための一つのツール、ということが頭だけじゃなくて血肉となるように(生き方として体現できるように?)染みこませているような状態なのかもしれません。

 アチューンメント後の雑談?時でも、今必要なことについて自分自身でハッと気づけるようになるまで、ご自身の経験等を交えてじっくりお話をしていただき本当にありがとうございました。この後もよろしくお願いいたします。

追伸
 あれだけぐだぐだイヤイヤしていた口で何を言ってるんだって感じなのですが、たとえ今の分野での成功が本当に成し遂げたいこととずれているのが事実であったとしても、少なくとも今は、目の前にあることをしっかりしたクオリティでやるべきだと感じています。今の制限ある状態でどうやったって最終的な姿は思い描きようがない訳で、じゃあそれを長ーい目で人生かけてじっくりやるしかないよなあ、と。

 理想を追い求めるのはいいのですが、セカセカしすぎて過程や工夫等々を楽しむことを忘れて(あるいは過程や工夫をすっとばして)、苛々する・不安になるのは自分の悪い癖だ、と再実感した次第です(書いてて本当にしょぼいですね…すみません)。
 あー…結局あの日の話の繰り返しじゃない、って気づいたのでここでやめておきます。

 というかですね、こういった部分(ゼロイチ思考かつすぐ文句言う感じのわがままな部分)をちゃんと昇華してコントロール出来るようにならないと大人としてアレな感じですよね…。

 あの日は長々とご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。


いえいえどうもです。

アチューンメント後の雑談とおっしゃってるところでは、今やってる仕事や生き方は本当にやりたいこととは違う。けどすぐに本当にやりたいことが何かをわかってるわけではないし、わかったところですぐさまシフトしてうまく生活が成り立つかと言われてもわからない……というようなことを、お互いにとりとめもなく?話した次第。

この方も感想でおっしゃってますし、自分も痛感するのですが、基本的に人は、自分の本当の本音、なんてものには幾重にもフタをして、「そんなのないよ?」といってうそぶいてやりすごしているからこそ、なんとなく目の前にあるなんとなくのものでなんとなく満足し、なんとなく不満を抱くがなんとなく流れにまかせてなんとなく生きてい(られ)るものだと感じます。

スピリチュアルな概念やエネルギーに触れることは、そうしたまやかしを自分が抱いていることにそもそも気づく、気づいた後さぁどうする、と決めて何かしらのアクションを起こす(『何もしない』というアクションもアリで)ことでもあると感じます。

それはつまり、テキトーに自分の本音にフタをしてごまかしている、ほとんどの人にとっては、脅威。
安穏とした、嘘で塗り固めた幸せっぽさが崩壊してしまうことにもつながりかねないわけですね。

いわば、「裸だ!」と指摘された裸の王様。

そう指摘されるまでは気分的に幸せなつもりでいられたのに、居心地の悪いことこの上ない可能性もある。恥と捉えて気に病んでしまう可能性もある。

それでも。

自分の「ほんとう」あるいは少なくとも「知らないなにか、どこか」を知りたい……と思い、そのために多少の大変さやつらさ、面倒くささがあるとしても厭わない……という人には、高次元エネルギーアチューンメントは恩恵と捉えられるんじゃないでしょうかね。

罷り間違っても、現実逃避して都合よく神頼みしてラクして美味しい思いをしようとする小賢しい卑怯な怠け者を援助するためのものじゃないです、スピリチュアルなエネルギーワークは。

感想ありがとうございました。
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