移行じゃなくて、積み重ね

「すべては愛!」

スピリチュアルに傾倒する人の間での常套句。

嘘ではないでしょうね。

ただ。

愛なら、動物でもできます。ていうか、動物って基本、愛と、その鏡像としての恐怖(それによる攻撃本能や逃走本能)しかないですよね。

人間であっても、根本的に愛情ゼロでまったく愛情を持たない、受け取らなくてもいいままで成立できてる人というのは考えにくいのではないでしょうか。

で。

人間はせっかく、他の動物には無い能力があるので、そういう「高度」なこともいろいろやっていこうよ、ということで転生する人ばかりなわけです。

だから、直接的な愛情愛情した愛情以外に、ビジネスライクな関係(だからこそ体験できること)なども普遍的にあるわけで。

しかし人間の器というかキャパシティには(ある時点だけを切り出せば)限界があるので、いろいろ抱え込んだり大量の情報やらに踊らされるとテンパってまともな判断ができなくなります。

それで、「愛情なんてヌルいこと言ってないで、仕事!」となる人も出てくるわけで。
それで基本的なところ(それこそ愛情とか)が抜けてしまい、バランス欠くわけです。

逆に、仕事の現場において「いくら仕事といっても人間同士のおつきあいなのだから、互いを思いやって云々」と、その状況にそぐわない「愛情至上主義」を通そうとする人も出てきたりします。
(たいていそういう人は、仕事で勝負する能力がないから大目に見てもらおうと場をグダグダにしたいか、仕事の現場でみんながドライにビジネスライクに動くのを見て『みんなが愛情をなくしておかしくなっている。人間としてあるまじき在り方だ』と危機感を感じ、啓発しようという意図を持っているかのどちらか)

これ、どっちもバランス悪いですよね。

それでこの記事のタイトルなのですが。

わりとみんな、「あれこれ同時にやろうとすると虻蜂取らずに終わるから」ということで、どれか1つを選ぼうとします。
時と場合によってはおかしくはないでしょう。やることの取捨選択。これがつまり「(意識して取り組むことの)移行」です。この移行で、家庭や友人、ありのままの自分の本音を無視して、「仕事!金!」となるビジネスパーソンも出てきたり。

それでも、まっとうなというか、無理がないというか、自然なというかな人間としての人生の充実を考えると、移行だとうまくいかない模様。

積み重ね、なんですね。

子供が、おむつがとれて服や靴を自分で履けるようになったからこそ、外で友達と遊べるようになるようなもので、ある高度・高次の何かに取り掛かるうえでは、その前段階・前提としてクリアしておくべきことや修得しておくべきことを終えてこそなんです。忘れて、やらなくなってしまってはダメなんですね。

人生がうまくいかない、物事としては問題ないけどイライラして不満だらけ……という人は、この「しかるべき積み重ね」のどこかがグラついていることがほとんどです。
(父親など一家を背負う立場の人間が仕事での成功を優先して家庭が崩壊、というケースが現代の都会だとよくあるパターンw)

もちろんこれは理想論ではあります。ただ、現実に即した理想、なんなら達成できる理想です。
机上の空論というわけではなくて、実際そうだよね、という話。

雑誌記者時代、いわゆる成功者と呼ばれる人たちに毎日のように、それこそ1日に何人も取材する日々を送っていましたが、そういう人に共通するのは、「基本すぎる基本」を決しておざなりにしないことでした。

スーツのボタンがとれそうになっているなら直すとか、子供の授業参観日に有給休暇をとるとか、大事に至る前からちょっとでも体調がおかしいと感じたら念のため医者に診てもらうとか、いろいろ。

「そんなこと、どうでもいいじゃない!」
「そんなくだらないことより、早くこれをやれ!」

と一般的には思われそうなことのいちいちを、手を抜かない。おざなりにしない。
会社の重要な会議と同じ優先順位というかで、そういう身の回りのことや私生活、体調管理といったものに取り組む。
(どうしても、ある時にどちらかしか選べないなら、必ず、近いうちにリカバリーするための手をとります)

そんなことするのは当然、面倒だし大変です。だからこそ高い能力や体力・精神力など、能力各種のステータスが高くないとできないわけですね。

よく「地頭(じあたま・ぢあたま?)」といって、もともとから持っているその人の知性の基準値みたいな概念をビジネスパーソンは話題にします(東京ローカルな流行語に近いのかな?)。

要は、そういうもの。しかも、頭だけじゃなくて、体力だったり、神経(細かいことを延々と続けても『もうダメ!』と悲鳴を上げたりしない)だったり、諸々の基礎力。

そこが十分でないのに、自己啓発本を齧って猿真似するタイプの人が意識高い系のことに手を伸ばすと、それこそ虻蜂取らずになる。どっちも満足にできない。できるだけの底力がないから。

極論すると、「積み重ね」るだけの底力が育ってない人は、それ以上、積み重ねるべきではないんです。
(実際、能力以上の責任を問われる管理職などに昇進したサラリーマンが、重圧に耐えかねて自殺したりしますよね。本来であれば出世して給料も上がって、良いことのはずなのに、自ら命を絶つほどマイナスなことに受け止められたわけです。その人にとっては。これもすべて、積み重ねしても平気でいられるだけの底力各種がまだ十分に育ってないのに無理やり、会社からの業務命令で積み重ねを強要されたが故に起きた不幸といえます)

プライドが高かったり、上を目指したがったり、勝ちっ気で人に負けたくない・自分が1番でないと気が済まないという人は、他人のほうが多くを積み重ねてバランスとってやりくりしているのを見るのは、非常に悔しいことに映るでしょう。

ただ、そういうエゴイスティッックだったり幼稚だったりするワガママゆえに、底力もないのに他の人と同じことをしようと「移行」したり、できもしないのに積み重ねようとしてコケても、残念なだけ。
(そういう失敗をした、という経験値が入るっちゃ入るので、完全な無駄ではないんでしょうけどw)

自分がその時点で全力を尽くしても、他人より出来が悪い、積み重ねの数や高さが劣っているとしても、それはしょうがないこと。
悔しくてもなんでも、その時点では仕方がない。

悲しいようですが、それが一番健全だよなぁ、と痛感します。

できるようになってから、やる。

なかなかできるようにならずに、延々とできないままだとしても、見切り発車でやって大怪我するよりは、マシ。……という考えもアリじゃないでしょうか。
(場合によっては、『まだ無理だろう』と思っていても、見切り発車のつもりでやってみたら、どうにかこうにかやれてしまったり、ヒィヒィ言いながらギリギリのところで踏ん張ったら実力がついてきてうまくいく……ということもあるので、見極めが難しいんですよね)

ただそう思っただけなんですが。

P.S

何かを言ってるのに、やってあげようとしているのに、うまくいかない。周りが言うことをきいてくれない、評価してくれない……系の相談をよく受けます。

たいていの場合、

「ちゃんとデキるだけの能力や実績、評価がないのに、綺麗事だけ言って押し付けようとしても、他人は聞き入れてくれません。周りから尊敬され、自発的に頼られるまで、何も言わなくていいんじゃないですかね」

「やってあげた、というのは自分の勝手な言い分であって、相手が感謝したり評価しないとすれば、相手からすれば『余計なお世話』にすぎないとみなされている証拠。自分のしてあげたいことをするのではなくて、相手がしてもらいたいと願っていることを奉仕としてしてあげるほうが、感謝も評価もされるのでは」

「今の実力でできもしないことをやりたい、成し遂げたいといっても、物理的に不可能ですよね。まずは、そのやりたいことをできるだけの実力を培うほうが先じゃないですか」

的な回答になることが多いです。

そういうとき、(エゴイスティッックな人ほど)納得しないお客様が多々。
(いうまでもなく?中高年女性、しかも会社などで仕事をしていない主婦に多いです。おそらくですが、会社などで働いていたら身につく『何かを言うからには、説得力を示せ。そうでない思いつきをただ口走られても、人はそもそもその言葉を信用していいかどうか、耳を傾けるに値するかどうかわからないのだから、無視されるか嘲笑されて終わり。マトモに相手されない』という感覚・価値観がないのでしょう。家庭では、夫相手にでも子供相手にでも、場合によっては姑でもなんでも、『対等な、人と人の関係(のはず)』一辺倒でゴリ押しして、ある程度できてしまったりするから、それをどんな他人にもそのまま適用しようとしてコケるのだと思います)

どうしても、今すぐに、願ったことは全部、願ったとおりに叶わないと気が済まないと思うタイプなのでしょうね。

そして

「だからスピリチュアルヒーラーであるあなたに相談してるんじゃないですか!普通に考えたら、実力以上のことを成し遂げるのが不可能だなんて、私にもわかりますよ!でも、スピリチュアルな奇跡の力を使えば、なんでもできるんでしょう?なんでも叶うんでしょう?なら、お願いしますよ!」

と、こちらを持ち上げつつプレッシャーをかける言い分を展開します。
(言うまでもないことですが、スピリチュアルというもの、スピリチュアルヒーラーというものをどんだけ誤解して失礼なんだ、って話ですw)

そこで、「そうはいかない」という旨の回答を差し上げると、

「結局インチキなんですね、スピリチュアルなんて」

系の、まさかのスピリチュアル否定・スピリチュアル誹謗中傷w

え、そこで悪いのって、スピリチュアルなんですか?

スピリチュアルのなんたるかを都合よく誤解して縋ってズルしようとしたあなた自身の落ち度は無いとでも!?

……と、言いたいですが、そこは客商売。うまいこと、とりなします。

(トンチンカンなことを言っているお客様であっても、せっかく縁あってお会いできた以上、その人がその人自身の顕在意識による勘違い?まやかし?をお客様ご自身で払拭しようと思えばできるきっかけとなる何か、を提供できるようでありたいと思ってます。しかもそれを、押し付けがましく説教するのではなくて、お客様自身の内なる神の心がハッとするような形で提示して←これをいかに、ヒーラー側のエゴでもなく、成すかが実は、職業ヒーラーの最難関かつクリティカルなところなんじゃないかなぁとさえ思います)

でもねー、ダイエットでもなんでもそうだけど、急がば回れ、なんだよねー。

そのほうがラクであろうから、とほんとにラクしてズルしようとすると、必ずしわ寄せがくる。メッキが剥がれる。剥がれずに済むハッタリを継続することも手練手管次第によっては可能だけど、今度はその手練手管のほうはメッキでない本物でないといけない。

必ず、帳尻は合うようにできてるんですなぁ。

そこがほんと、この世ってよくできてるなーと感心するところであります。

ズルしたい人からすれば、どんだけホゾを噛んでもたりないくらい、口惜しい仕組みに映るんでしょうけどね。
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