選ばなかった人生への憧れ

先日、

「usamimiさんっていつも、普通な生き方とか高ステータスなものをdisってるけど、ほんとはものすごく憧れてるんじゃないですかぁ〜?」

とドヤ顔で聞かれたので、「いつも普通な生き方とか高ステータスをdisってる(イメージな)のか、俺は」と思いつつ、

「そりゃあ憧れるよー」

と(マトモに相手するのがバカバカしいのでテキトーに無難に穏便に済ませてしまおうという算段の建前で)返したら、カッコつけの本性見たり!みたいな超ドヤ顔で

「ですよねぇ!素直になればいいのに。欲しくても手に入らないから憧れてます、って」

と最強に勝ち誇られましたw


でも後々から考えて、いわゆる「フツー」の生き方や、そういう生き方を良しとする感覚を持つ人間に自分がなることについて、1つ、憧れというか気がかりなことは、確かにあるなぁ、と思いました。



高校の頃、「リクルーター霊」と遭遇しました。

日本を陰で操る支える、英霊集団みたいなのがあるんですが、そこから派遣されてくる霊で、若者たちの中から自分たちの傀儡として利用する意思を体現する手伝いをしてくれる有望な人材をスカウトするんです。
(ほとんどの場合、霊感がそこまで育っていないと、自覚的にリクルーター霊のアクセスに気づく若者はいないでしょうけど)

で、要は「俺らの言うことを聞くと約束すれば、現世利益を保証してやるぞ。そのかわり、いいポジションをあてがわれたらしっかり働けよ」という奴隷契約加護を受けるかどうかなんですが。
(リクルーター霊のアクセスに気づかない人は、基本的に、拒否できません(拒否の意思表示自体を持ちようがないから))

私の場合は気づいてしまったので、2つの選択肢を選んだ場合の自分の将来を、リクルーター霊に聞いてみたんですね。

1つはまさに、いわゆるフツーな考え方の枠組みでいう、優秀な人材として堅実に働き、安定を得る……という道。

もう1つは、実際こちらが自分の選んだほうなのですが、得体の知れない未知数な道。

当然、リクルーター霊は前者を選択する前提で、バックアップするという旨のことを言ってきました。

そのとき、ビジョンを見せられたんですが、公務員官舎で子供を高い高いする、将来の自分がいたんです。

いかにも会社勤め(厳密にいうと民間企業ではなかったようですが)してる人、という風情のかっちりした表情、カッコいいかどうかでいえばややダサだけど会社では好印象とされるのであろう無難な髪型。

子供をあやして喜ぶ様子から、なんとなく思考パターンの全貌が見えたのですが、わかりやすく人生のスタンプラリーを着実に制覇していき、制覇できたことに感謝しつつ、自信を持ち、次のスタンプ制覇のために頑張る……という、絵に描いたような真面目路線。

全然、悪くない感じがしました。世間から見たら。

当時、自分は早くも?、変な家庭の境遇で育ってしまって感覚というかが一般とズレてヤバいのかも、だから普通の幸せは掴めないんだろうな的な思いを抱いていたのですが、こんなふうに、想像以上にしっかりちゃんと、真っ当に人生を送る可能性があるんだ、と思えて安堵したのを覚えています。

ただ。

反抗期にありがちな反発精神とは別に、「こっちを選んじゃいけない」という感じが強烈にして、そちらを選ばないとリクルーター霊に宣言しました。

それで今に至る、と。(少なくとも個人的にはそう思い込んでいる次第です)



だから、普通とか高ステータスという概念を思い浮かべるたび、

「もし、あっちの選択肢を選んでいたときの自分の人生は、どうなっていたのだろう?」

という素朴な疑問というか、ある種のメルヘンぽい空想がふと、よぎるのです。

本気で「そっちのほうがよかった。そういう人生のほうがマシだった」とは全く思わず、むしろ死んでも嫌だと感じるのは強がりでもなんでもなく本音でもあって。
(世間とか一般常識的にいう安定でいえば不安定な生き方なのかもしれないけど、自分としては、それがどんなに、安定した生き方とやらよりもつらく苦しいものであったとしても、逃げたり避けたりやめたり変えたりしたいとは全然思わないんですよね……。不思議と、人生が苦しいかどうか、幸せか不幸かということにまったく興味も関心もなくて、自分の望む体験を見聞きできて欲しいものが手に入るなら、どんなに世間の感覚からしたら苦しい生き方だろうが不幸だろうが、だからどうした、くらいの勢いで捉えています)

同時に、

「他の人たちもそれぞれ、フツーとされる生き方を今回は選んだ人であっても、そうでない生き方を選ぶこの人生、というバリエーションが、ありえたかもしれないってことだよな」

という視点もあり。

注:個人的感覚でいえば、「フツーか、フツーでないか」という区分は持っていなくて、あくまで雑に他人に何かを説明するときに便利だから横着して使っている単語にすぎないのですが。。。

真面目に一般常識の範囲内で得た知識だけで世界観を構築し、これが唯一の?いいことだと信じて、よく躾けられた家畜のように(だから社畜なのか)黙々と会社に向かって月曜の朝でも出勤するメガネスーツリーマンとかを見ると、「もし彼が別の生き方を選択していたら、きっとこんなだったかも!?」とあれこれ妄想して楽しむことがあります。1年に1秒くらいの頻度で。

同時に、視野なんて広くないほうがいいのに。霊的な真実なんて知らないほうがいいのに。限られた、一般常識という名の柵から決して逸脱することなく、この柵の中だけにしか世界は無く、柵の外などそもそも存在しないと心底信じて、霊だの神だのと言う連中は頭のおかしな迷信家か妄想癖か精神病患者だ、と割り切って思考停止して一生を終えていく人生って、イージーでいいじゃないの、とも思います。

そう、堕落への誘惑としての、「フツーな生き方への憧れ」。

バリバリあります!!w
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