奴隷根性ゆえにディバインタイミングに縋(すが)る人

けっこういますよね。

スピリチュアルなことを信じないという方向性の人はむしろ、

「ハァ?人には生まれてきた使命がある?この人生で成すと決めたことがある?知らねーよそんなこと。好きなように生きる!それの何が悪い!!」

って考えのほうが一般的なんでしょうけど。

スピリチュアルに傾倒する人、なかでも「どう生きたらいいかの方向性を自分ひとりでは見いだせない、決められないから」と、縋ったり帰依したり、もっといえば依存する動機でスピリチュアルを求める人というのは、まさに縋る対象として、ディバインタイミングを捉えてしまうんです。

そしてたいていの場合、そういう流れでディバインタイミングを求める人というのは、

「どう生きれば『間違いではない』か」

を気にしています。

つまり、生き方に間違いがある、という前提を持っています(これって真実でしょうか?)。

ついでにいうと、

「間違えたら罰せられる。(来世など長期的に渡って)間違えたという罪を償わなければならない。その償いのために、ものすごい苦難を強いられる」

という幻想も抱いています(これって真実でしょうか?)。

わかりやすい、(この2千年で特に流行っている、)

「神が望む生き方に沿わないと罰せられる」

の宗教観に染まっているんですね(これって真実でしょうか?)。

教育ママ気質の親に育てられたことで、与えられたテストで満点をとらないといけないと考える点取り虫、優等生気質ゆえに完璧さを求め、そこで思い描く「完璧さ」が「ディバインタイミングを満たす」ということになっている人もいます。

もしくは。

白紙の状態から、自分がどう生きるかを決めろと言われて、何も考えられず思考停止してしまう。アイデアが浮かばない。当惑してしまう。

その、「自分で考えを生み出す」ことができないから、服を自分で縫えない人が既製服を買うように、ディバインタイミングを求める。
(だって、ディバインタイミングを満たすように生きればそれはその人にとってベストな人生になる、と言われたら、安心ですもんね。ディバインタイミングさえ満たせば)

たいていの人はこれをスピリチュアルでなく会社に求めるのが一般的のようです、昨今は。
会社から言われたことをちゃんとやったら、人として真っ当に生きてる証拠、ってね(これって真実でしょうか?)。

あるいは。

ディバインタイミングを満たすように生きるのが最高ということは、それ以外の人生は最高でないという捉え方。
そこに、欲張りやワガママが動機で、

「どうせなら最高の人生を生きないと満足できない!!とりこぼしのある人生を生きたなんて、許せない!!」

と思うタイプもいます。



どのパターンであっても、

・人生には正解(=ディバインタイミングを満たす生き方)がある、と捉えている(これって真実でしょうか?)

・正解の人生とそれ以外の人生を比較し、「それ以外」が正解よりもダメに見える(これって真実でしょうか?)

という図式を思考で持っています。

私個人の意見としては、ディバインタイミングを満たす生き方がその人にとってベストであるという点には疑問を抱いていません。その通りだと思います。

ただ。

ディバインタイミングなんて、1回の人生に数個、あるかないか。
それに、日付は決まっていません。準備が整ったら訪れるもの。基本的には、期限は無いんです。
(子供を産むのがディバインタイミングという女性もいて、その場合は生理的な期限はあるといえますが)

また、1つのディバインタイミングが長期にわたることもあります。
その長期のさなかも、24時間365日ずっと成すべきことが決まっているわけではありません。

つまり、

人生においては、ディバインタイミングよりも、自由意思で好きなように生きていい時間のほうが圧倒的に長い

んです。

そして、(人の思惑を抜きにして、ある客観的な視座から見れば)生き方に正解も間違いもありません。
(さぁ!ここが多くの人にとってのトリガーポイントだ!『でもォ、だってェ、じゃあこの場合は?』など、わんさか出るぞ!)

生き方は個々人それぞれが自分で決めて、つくっていくもの

といえるのでは。

その結果として、ある宗教を信仰するという選択もありうるでしょうし、自分で決めた厳格な戒律に従ってストイックに生きるという選択もありうるでしょう。

世間一般の価値観からすればよくないとされるような生き方をするのも、(法律や道徳という人のつくった枠組みではなく、実際に実行可能かどうかという点だけでいえば)本人の自由。

だらしない生き方をした結果、人から尊敬されないとか、お金や友人などこの世を生きるのにあるといいものが手に入らなかったり、法律を破る行動をした結果、警察の厄介になるなり司法制度で裁かれて刑罰を被るとしても、それはそれだけの話。

本人がどれだけ責任逃れをしようと、その人が行動した結果、成立する現実は容赦なく成立し、(心理的には現実逃避できたつもりになっても)物理的にその現実から完全に逃げ切ることは、誰にもできません。
責任をとるつもりがあろうがなかろうが、自分がしたことの結果は、その人自身がどうにかするしかないわけです。
(その『どうにかする』が、これまた、周りの人にひたすら迷惑をかけて尻拭いをさせる、でもべつにいいわけです。どう立ち回ろうと、その立ち回りがそっくりそのまま、また次の現実に繋がります)

そうした現世のしがらみから(少なくとも物理的には)解放されるのは、死んだときだけ。
このことも、すべての人に平等です。どんな立派とされる人にも、どんなクズとされる人にも。
それだけの話。

そして死んで、その人生の物理現実からは解放されても、カルマなど霊的な仕組みからはどこまで行っても逃げきれません。ある人生での行いは、それ相応の来世(や過去生)に影響します。

「だから!ディバインタイミングを!満たそうと!思ってるんじゃないか!!」

と思うでしょうかね。

もしかして、裁判でいう「情状酌量の余地」としてディバインタイミングを果たしたことを、自由意思で生きた時間のマイナス分(←この『マイナス分』という捉え方も、そう思う人がいるだけで、そもそもの真実として存在するのかは疑問ですが)を補ってくれる、容赦して大目にみてもらえる要因として働く……という考え方?(それって真実でしょうか?)

いわゆる人間がよく言う「善悪」でプラスとマイナスで点数をつけて査定が行われ、業績が悪ければ酷い来世を生きる羽目になる……。そんな、会社員のボーナスや昇進の査定と同じ仕組みで輪廻転生が成されていくとでも?

だといいですねー。

どうぞディバインタイミングが何かを知り、それを満たすこと、果たすこと至上主義で生きていかれたらいいのではないでしょうかね。

見事、無事、ディバインタイミングを遂行することをお祈りしています!!