15分スケッチ練習帖+手帳スケッチ

おすすめです。

絵心は無いし、わざわざ紙を用意して1つの絵画作品を描くほどでもない……という人には、うってつけ。



なんと、縦線を(何本も)描くところからスタートします。
(意外と難しいんですよね、フリーハンドで直線を描くのって)

この本は見開きの左側がお手本、右側に自分で描きこむスタイルになっており、(もし練習を一度しかしないなら)別にノートやスケッチブックを用意しなくても練習できてしまうというスグレモノ。

課を追うごとに徐々に難易度が上がっていき、後半ではそこそこ複雑な物をスケッチするようになっていきます。

著者は美大卒でなくて東京大学の工学部を卒業し、万博の会場設計をした、どちらかというと建築寄りの経歴。
それだけに、アート性というよりは、比率や角度など、理系的というか、計算して図形を正確に顕すタイプのアプローチが展開されます。
(よほどの芸術作品を描くのでない限り、ちょっとしたスケッチやイラストの巧拙はやはり、角度や比率、線が歪んでいないかなどカタチの良し悪しで決まるようなところがあるので、まさに『ちょっとした画力』を上げたい人にはうってつけではないでしょうか)

1つ、注意点を挙げるとすれば、人物スケッチの際も、靴の角度や背景とのパース、遠近感etcがおかしくないかといった図形としての正しさに(のみ)目が向いているため、「人物自体が可愛い、魅力あるキャラクターを描く」という点については一切、触れられません。



画家でもないしわざわざ絵を1枚仕上げるほど絵が好きでもないのにスケッチ力を上げてどうする、という人向けに、せっかく培った画力を発揮する余地として提案されているのが、こちら。



そう、手帳。

予定を機械的に書きこむ、備忘録としてしか手帳を使わない人には意味ないかもしれませんが、日記やライフログとしての書き込み(したこと、思ったことなどの『実績』)もコミで手帳を使っている人には、文字だけでなくちょっとしたイラスト・スケッチをささっと描くという新境地が拓かれた心地がするかも!?



手帳だけに留まらず、会社での企画書(ただし事務的というよりはクリエイティブな業種限定といえそうですが)など、幅広い用途の提案もコミで、文字とイラストの両面から丁寧に教えてくれる、こんな本も。



「これができるようになると、なぜいいのか?」など、絵や文字を習得しようとするモチベーションに関わることを漫画で楽しく解説してくれるので、

「こんなことやって、いったい何の役に立つんだろう……」

という、何かを継続的にやるとき特有の虚無感に襲われにくいかも。



「でも結局、うまく描けないとダメなんでしょ?」

という人には、これ。



学生のノートとりなどへのラクガキの導入事例も紹介しつつ、うまくなくていいから楽しく描く・ラクガキでもいいから図版が入ることでこんなにノートが見違える、伝わるということを展開してくれます。

練習なんてとにかくめんどくせーから今の画力でどうにか生活や勉強、仕事に彩りとわかりやすさ、効率などの+αを!という人はこれだけ読んでもいいかも。

P.S
つい最近、出版された、こんなムックもあります。



べつにアート作品としてどこかに出したり他人に見せたりするでもなくても、あくまで個人として、私的な使い方として、絵という記述法をマスターしておいて使う、というのはアリかと。

効率面でいっても、たとえば「チェロのレッスン」と文字で書くより、記号などをサッと書くほうが速いんですよね。

文字で書いてるとモタつくことを、自分なりのルールで暗号みたいに、記号としてのプチイラスト(それこそ、1.5〜3秒で書けるようなやつ)で手帳を記入するのは、有効かもしれません。

(見た目としても、文字で全部書いちゃうと、それを読まなきゃいけない。けど、『ヨガのレッスンに出る』など定例的な用事については、それ専用のマークを決めておいてその図形で手帳に書いたほうが、スッキリするし、瞬間的にわかる。
(文字で書いておかないといけない用事を読むのにも目が疲れません)

絵・記号を活用するというのは、もしかしたら趣味のアートではなくて、仕事術の一環としても活きたりして。


と。

絵についてただただガボっと述べてしまったけど、せっかくなのでスピリチュアルヒーラーとしての戯言も書いておこう。

「意図が現実を創る」

ってよく言いますよね。だとすれば。

意図がぼやけていたら、現実もぼやけたものになる、と思いませんか。

もちろん、だからといって、蜃気楼のようにぼやけた現実が成立するわけではありません。

ある人の意図がぼやけていて、その人の意図だけを基に現実を構築するわけにいかない場合は、補助というかが働きます。
それは、法則的に「AとBの点があるとしたら、A-B間はこんな感じの直線で結ぼう」などと決められている一般即による補助的な仕上げ力が働いたり、あるいは他人の意図が介入したり、いろいろあります。

「豊かな生活がしたい」と言っている人を例に挙げましょう。

意地悪なくらいに、「あなたの送りたい理想の豊かな生活ってなんですか」と根掘り葉掘り質問していくとします。

するとたいていの場合、想像もしてなかったから何も意図がないというポイントが出てきます。あるいは、本人の話の中に、両立しないことをどっちも願っているといった自己矛盾が見出されることも。

要は、現実の設計図としての意図として、弱い。あるいは、破綻しているわけです。

家を建てるときの設計図が現実の仕組みに即して書かれていなかったら、その設計図のとおりに家は建てられませんよね。

それと同じで、破綻した意図は、そのままでは現実化しないんです。
なので、本人がどれだけ願っていても、意図が現実化不可能なものになっている限り、代案として別の現実が成立することになります。

だからたいていの人は、「夢が叶わない」と言っているんです。


これを前提として。

絵が下手な人はよく、

「頭の中ではすごくちゃんとした絵が思い描けてるんだけど、技術が伴わないから、イメージどおりの絵になっていないだけ」

的なことを言います。

本人の頭では、ものすごく、ちゃんとした理想像が描けている場合もあります。

ただし。

常に本当でしょうか?……って話。

もしイメージが完璧なら、なんで作品として現れてきたものが歪んでて下手くそなんですか、と。

手が思うように動かないなら、線をひくのがうまい人に代わりに描いてもらって、納得がいく線がひけるまで妥協しないで理想の作品を仕上げていくという手もあるかもしれません。機械やコンピュータの力を借りるという手もあります。

が、ほとんどの場合、技術力をなんらかの方法でカバーしても、本人の「頭の中のイメージ」って、ちゃんとしてないことがかえって浮き彫りになるだけなんですね。

それで

「あっれぇ〜?おっかしいなぁ〜」

となる。

しつこく書いてきてしまいましたが、つまり、自分はどれだけ、「頭の中では上手な絵をイメージできている」と思い込んでいても、物理的に形に起こせなければ、それはまやかしだと思ったほうがいいかもしれません。
物理的に形に現れてきたことのほうが、本当なんです。

これを認めるのは、とてもつらいと感じる人が多いです。w

もし仮に、頭の中には理想のイメージがあるとして、それは本当だとして。それを現実に引っ張ってこられなければ、少なくとも他の人からすれば、存在しないのと同じです。

言葉でも、絵でも、音(楽器の演奏や歌唱力)でも、ビジネスの企画でも、なんでもそう。

形にできてはじめて、それはこの世に存在するといえます。少なくとも、本人以外の他者からすれば。

そして、意図が現実に即したものになればなるほど、願ったとおりの現実が訪れることになります。

だから、絵が上手に描けることは、現実化しうる意図を持てるようになるという効果もあるのです。

=蛇足=

スピリチュアルに傾倒する人にはわりと、

「私はわかってる。うん。知ってるよ。理解できてる」

と豪語しておきながら、じゃあ説明してみてよと言うと、できない人がいます。

それでいて

「なんていうのかなぁ、こういうのは、言葉ではこう、表現しきれないんだよねぇ」

と苦笑いをし、場合によっては「言葉で表現できないことを表現してみせろと要求するようなお前のほうが霊的に未熟なのだ、わかってないなァ」くらいの目をして優越感に浸り、相手を見下す人もいます。

スピリチュアルな事象が100%、言葉で表現しきれないことくらい、わかる……というか、想像はつくんじゃないですかね。

でも逆に、100%は表現しきれなくても、というか表現しきれないからこそ、「言葉で表現できる限界までちゃんと表現したうえで、言葉で表現できないものまでちゃんとわかってる感」が出てる説明ができるかどうか、なんじゃないでしょうか。

言葉自体ではどこまでいってもスピリチュアルなことを100%は描写はできませんよ、そりゃ。
でも、だからこそ、ほんとにわかってる人は少なくとも言葉の範囲内ではこういうふうに言う、ということくらいは、できててもいいんじゃないの、という。。。

そして。

「言う」のは簡単なんです。

「昨日である明日」と、言葉では言えます。が、それって、物理的にどういう時間ですか、現してみせてよ、というとできないですよね。

論理的矛盾あるいは霊的事象の法則や摂理に反する内容を含んだ言葉(ようするに、誤謬・嘘)を言うことは、とても簡単です。

はじめから真実味なんてどうでもよくて、中身のないうわべだけのハッタリでアピールするだけなら、べつにそういう言葉を戦術として使うことも有効でしょうね。

「我こそは人類を救済する神の使いなりぃ!」と豪語して、好き勝手な説をバラまき、それを信じた人たちを信者にして金づるにして大儲け、なんてのもオツなもんかもしれません。

ただね。

ほんとに現実を創る能力を培うという意味での、ほんとにスピリチュアルなことがわかってる人間になろうとすれば、嘘や誤謬を平気で撒き散らすと、他ならぬ自分が自分の嘘に呑まれるんじゃないすかね。どうなんでしょ。

「ごちゃごちゃうるさいわね!私が私だけの、私の信じたいことを信じて生きていて、何が悪いん?」

いえ、べつに全然。嘘や間違い、デタラメなことを信じて生きる権利も自由も資格も、みんなにありますもんね。
たとえ嘘八百のデタラメだろうと真実だろうと、本人が信じたければ、信じている状態でいるのが良いと思えるなら、それでもちろん、全然OKだと思いますよ。
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