レッスンの時間とお金をまるごとドブに捨てるベストな受け方

(シータ)ヒーリングのスキルアップレッスンと称して、人様を指導させていただくという大それたことをさせていただいてますが、レッスンを受ける方って、以下の2つに二極化されるんですね。

・目的意識があり、どこをどう伸ばしたいか明確に把握し、できるようになることを指向している人
 (自分自身でいろいろ試行錯誤や分析をしてみて、ここをこうすればいいのでは?というアタリもつけてくる)

・できない自分を正当化したい、できなくてもいいのだと言ってもらいたい、できると豪語するほうがデタラメと証明したい……など、とにかく「できない」現状を肯定し承認してもらおうとする

レッスンである以上、後者のスタンスを採るのがなにより、レッスンのために割いた時間とお金と労力を無駄にするベストな方法だと感じます。

後者の中でもいろんなバリエーションがあり、

・セミナー自体は別のインストラクターから習っており、そのインストラクターの悪口をひたすら並べ立てる
 (悪口、というよりは『被害者意識むきだしで、そのインストラクターの教え方がよくなかったと嘆く』)

・「べつにヒーリングなんかできなくても自分には別の◯◯に関する才能があるから生きるうえでは困らないけど」などと、ヒーリングをできるようになる必要が自分には無いのだと宣言する。
(なら今すぐやめれば?と思います。つか、そんなふうに思ってんならレッスンなんか受けに来んじゃねーよ)


・「なにもそこまでヒーリングをどうしてもできるようになりたいわけじゃない」と、ヒーリングを習う姿勢は本気ではない(だから現状はできずにいるだけ。もし本気を出したらできるようになる)と主張する。
 (余裕ぶって『まさかこんなこと本気でやるわけもないしw』などとせせら笑ってみても、結局は『できてない』ことへの劣等感や悔しさ、できるようになりたいけど本当になれるだろうかという焦燥感・不安が丸見えだよ?)

・お金に余裕がないとか家族や会社で自分につらくあたる人がいるなど、何か自分以外の人・状況がよくないために自分はヒーリングの練習ができない(から上達できてなくても仕方ない)のだと主張し、
「自分は頑張ってる。やることやれてる。なのにできないのは他人のせい。だから私は悪くない。でしょ?同意しろよ」
とこちらへの承認欲求を脅迫ばりに出してくる

・「小学校の頃は勉強ができてみんなから褒められていた」など、ヒーリングのレッスンと全く無関係の、そして往往にして過去の武勇伝(どこまで本当だったのか、自分の中で勝手に脚色しているのかすら怪しい)を語り、ヒーリングの分野では落ちこぼれであることを埋め合わせしようとする(損なわれた自尊心を過去の栄光で補おうとする心理的な補償行為)。
 (結婚している女性だと、夫の勤め先が一流企業で年収も高いから生活には困らないし恵まれているほうなのだ、というネタでの遠回しかつ直截的な自慢、多いです。ついでに言うと、『自営業でヒーリングみたいな頼りない稼げない世間でも認められない変人扱いされる仕事で食いつなぐしかない人は可哀想ねw』的な蔑みをヒーラーに対して抱いていることがあります←こういう思考がある時点で、ヒーリングができるようになったら自分自身が変人ということになってしまうわけだから、よほど積極的に変人になりたい人でない限り、ヒーリングができるようになることを選択しないのでは……と思います。自分にできないからって、できる人のことを屁理屈こねて悪く言ってる時点で、もう上達なんてありえないんじゃ……と)

・ヒーリング技法自体の信憑性に異を唱えはじめる。創始者をインチキ呼ばわりして、そもそもそのヒーリングはデタラメのまやかしだと断じる主張をする(←『そんなに疑うならいっそ関わらなきゃいいじゃん?』感すごい)

などなど様々。

出方としては様々だけれども、図式としては共通してるんですよね。

現在の自分のありのまま > なりたい将来の自分の理想的な在り方

という天秤の傾きっぷりなんです。

この価値観(≒現状至上主義)にハマってしまうともう、何をどうやっても成長も上達も発達もない。

現状の自分を鍛えて向上させてくれるかもしれない、現状の自分には難しくて厳しいなんらかの試練のすべてを「攻撃・迫害・被害を被った・不運に遭った」と被害者意識で捉え、非難し、排除しようとしてしまうんです。

一言でいうと、

今の自分が完璧にすべて正しい、という思いに固執し、その考えをあくまでも保持して護ろうとする

んです。

それでいて、(人の目からは見えないところで、襲いかかる無数の試練とどんなにつらくても向き合って克服するという日々を送ったために)何かができるようになった、上達した、向上した、成長した人を指さして

「あの人はズルい。きっと生まれ持った才能があったから、なんの苦労もせずにうまくなって。卑怯だよ」

と、よりによって非難しつつ、なんの努力もしてない自分が「才能」とやらで報われないことを不平等だ理不尽だと嘆く。

(特定の人、というよりは『みんな』と言う人、多いです。『私以外のみんなは、何の苦労もなくなんでもできてうまくいってるのに、』という言い方。ほんとでしょうかね!? そんなにみんなみんな、世界でただ1人の『私』を除いて、他のみんなは何もかもがうまくいってるんでしょうか!?←ということを質問するとたいてい『少なくとも私にはそう見えます。いえ、私の周囲の人たちは、できてます!』と、妙に自信たっぷりに言うんですよね。。。そんなに他人が本当にラクしてホイホイうまく物事をこなせてるかどうか見極められる目があるなら、自分自身の現実の対処の仕方、社会との関わり方も見出せそうなもんなのに……)

……こんなスタンスを選び続ける以上、(あるいは、頭では『そんな状態から抜け出したいです』と思い、口でもそう言うには言うけれども、いざ試練と向き合うと結局『やっぱり無理~、つらい』と逃げ出してしまうなど、とにかくスタンスを変えられないならば)ヒーリングだけでなく何事も、できるようになっていくわけがない。

もっと深刻なのは、現状至上主義でなおかつその現状が「◯◯ができない」だと、

それができるようになっていく変化の兆しそのものを、自分の価値観を否定して攻撃しようとする脅威とみなし、排除しようとするようになる

こと。

自分の考えが間違っていた、おかしかった、真実ではなかったと認めざるをえない現実が成立してしまうことそのものが、耐えられない屈辱なんですね、そういう人にとっては。
(そこにそれだけのプライドを持てるってのが凄いなとも思うんですが)

だから、自分の考えが間違っていたと思い知らされてしまうような、今の自分のプライドを崩されてしまう現実を創り出してそれと向き合うくらいなら、どんなに何かができないままだろうと落ちこぼれな状態を継続せざるをえない憂き目に遭おうとも、現状をいつまでもキープしようとしてしまうんです。

そしてそのスタンスに見え隠れするズルさ、卑小さのようなものにうすうす感づいてはいるからこそ、逆噴射的に開き直って

「私は、どんなに努力しても報われない現実に耐えてる!この試練に耐えることができている私は尊い!」

という点にプライドを見出そうとしはじめます。
(これってヒーリングだけでなくあらゆる芸事、会社の仕事やそれにより稼ぎ出せる収入の額など、なんにでも当てはまりますよね。心底『ここでもう十分』と思えているならばまだしも、そうでないのにあいかわらずいつまでも向上できてないのは、それ自体が本来は恥ずべきことというか、少なくとも誇れるものではないはずなのに、なぜか『望みが叶ってない、貧しい、不幸な状況であっても、黙々とそのつらさを背負って生きていってる自分万歳すげえかっこいい』の自画自賛で鼻高々&努力して成功していってる面々を『不幸と貧しさのつらさを背負うこともせずにラクな生き方を選んだ卑怯者』と罵り、嘲る)

もちろん、あえてそういうスタンスの生き方を貫く自由も権利もあるわけで。
こういうスタンスで生きることそのものを私自身、否定しているわけではありません。
というか、大多数の人の生き様って、多かれ少なかれ、こんなもんですよね。
そんなたいそうな立派な生き方ができてる人ばかりじゃない。
否定するもなにも、むしろ「それが普通」なんじゃないでしょうか。

できないことと面と向かって対峙し、克服できるまで決して諦めも逃げもしない……なんて、はっきりいって少数派の、いわば変態だと思います。

でもね。

レッスンを「受ける」なら、そういう少数派の変態でないと、お金と時間と労力が無駄になっちゃうんじゃないのォ?……というだけの話。

あ、積極的に「そう!私はお金と時間と労力をドブに捨てるのが何よりと捉える価値観を持って生きているの!」と思えている方ならどうぞどうぞ、ですが。
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