バーチャルDo Over(思考実験としての輪廻転生)

巨大な夢をかなえる方法 世界を変えた12人の卒業式スピーチ巨大な夢をかなえる方法 世界を変えた12人の卒業式スピーチ
(2015/03/11)
ジェフ・ベゾス、ディック・コストロ 他

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でサルマン・カーンが述べてることの受け売りなんですが。

想像のなかで、自分が今回の人生で迎える死の直前の瞬間まで、時間を早送りします。

そして、自分が送りたいと思っていた人生の理想形を思い浮かべ、実際どうだったかを振り返ります。

「しまった!やりすごした!!こんなはずじゃなかったのに!!もっとこうしたかったのに!!」

と思うことを頭のなかでリストアップしてみます。

そこで奇跡が起きます。なんと時間が逆戻りし、数十年前の(つまり現実の自分の実)年齢に戻るのです。

ね?これぞバーチャルDo Over。

別名:ほむらプレイ

そしたら、どうにでもなりません?

(とはいえ、自分のやりたいことが何か自覚しているか、できると思えることがどの程度か……など、その人の状態によっては、ほんとにぽわーんとした空想で終わってしまうことも少なくなさそうですが)

スピリチュアルなことに理解がある人なら、死の直前じゃなくて、

死の直後で人生を振り返る

というアレンジを加えたイメプレしてみるのもよさそう。

ご参考までに。
P.S

意識の低い人は、べつに人生のなかで大きな夢なんて叶えなくていいと思います。

野生動物みたいに、生まれて、本能に備わった感覚どおりに生きて、死ぬ。それでほんとに、いいんじゃないでしょうか。

なんとなく人間社会の中には、漫然とした自己啓発至上主義がないわけじゃないような気もします。がんばらないといけないような無言のプレッシャーを感じることも大なり小なりあったりしますね。
でも、そういうの、ほんとに、影響される必要ないと個人的には思ってます。ド庶民で何が悪い、という感覚値があります(遺伝的に見ても数百年〜数千年単位でド庶民なので)。

そもそも、どんだけド庶民として生きても、人の一生を生き切るのは、そんなに生易しいものではないわけですから。
必要最低限、どんだけだらだらしてるように見えても、いつどの瞬間に野たれ死ぬにせよ、その死の瞬間までの経験値は、立派なもんだと思います。

ただ。

ほんとに何かを成し遂げるだけの能力やら気骨やら各種がないのに、自意識が肥大化したり、栄光など何かを成し遂げた人にだけ与えられるものを安易に欲しがったり、だらだら生きてる日々が漠然と退屈だから刺激を求めてみたり、自分がだらだらローパフォーマーで生きてるから類友的に現れてくるだらだらローパフォーマーな周りの人間たちに落胆したり「つまらない、くだらない人間。もっと面白い、優秀な人間と出会いたいのに」と不平不満を抱いたり……のあれこれで、自己啓発的に何か夢に向かって頑張ろう!とファッション的に思ってみる人。

「私が本来いるべき場所は、こんなところじゃない!本来関わるべき人は、こんなくだらない連中じゃなくて、もっと素晴らしい人たちのはず!!私の本当の実力は、こんなもんじゃない!!!こんなところで終わる器じゃないのに!!!!いつか必ず夢を叶えてやる!!!!!」

もちろん、そう思うのは自由なんだけど、傍で見てる人間からすると鬱陶しいよね。

今いる境遇にどことなく不満げで、どことなくギラギラして鼻息荒くしてて、そのわりにいつまでもどこにも行かないでずっとそこにとどまり続けて。
近くにいる人間からしたら、不愉快だし落ち着かないし、自分(たち)のことを否定されてるみたいで感じ悪い(実際、嫌だと思ってるんだろうし)。

そんなに嫌なら、どっか行けば?と思うけど、ほんとに夢を叶えるところまでいかない分、どこにも行けないから、立ち去ってもくれないw

……周囲からそう思われると単純に、「虻蜂取らず」ですよね。

単に孤立して、今という時間(に、その気になれば味わえる人生の喜びや楽しみ)まで犠牲にしてしまう。

ただ不満だらけの、不幸なだけの人生で終わってしまう(ことを、自分で無意識にせよ選択している)。

そんなふうになるくらいならいっそ、

夢を抱かない覚悟

をしっかり持って、どんだけ意にそぐわないにせよ、現実に成立している状況や境遇に対して、自己洗脳でもなんでもして、合わせて、馴染んで、溶け込んで、楽しんだほうが、人生コーディネート能力は高いと言えそうな……。

ついでに言うと、ほんとに叶える覚悟がないなら、

「私、この人生でどう生きればいいですか?どんな使命がありますか?何を達成すれば成功なんでしょうか?どう生きれば、無意味じゃない人生ってことになるんでしょうか?」

みたいな質問は、他人にすべきでもない気がします。
(いや、もちろん客観的にいえばしてもいい権利はあるっちゃあるんだけど、やりもしないくせに相談だけされた他人の身になってみる、という視点は持ってみてもいいような)

それか、相談するとしても、雑談のつもりというか、本気じゃない感が相手にも伝わるように、ただの戯言でお互い、後腐れなく、会話内容になんの責任も持たなくても恨みっこなし、みたいな雰囲気の中で、がマナーなんじゃないかな、なんて思ってます。

ダメ人間である自分を受け入れるスキル&才能

みたいなものって、あると思います。

自分が無能の根性なしで、死ぬ気でそんな自分を変えて、自分の境遇なりをほんとに物理的現実まるっと変えるなんて到底無理、というなら、さっさと「はい、私には無理です」と投げて、そのことに疑問を抱かない。
変に食い下がらない、って手も、あるんじゃないでしょうか。

べつに、ダメ寄りな現状がある人は全員諦めろ、とは思わないんですよ。
100%の大成功と100%の大失敗だけじゃなく、その間でいくらでも段階というかはあって、その小さい段階・状態の推移は誰にでもあるし、どんなダメぽい人間でもそこまで死ぬ気で苦労しなくても多少はどうにでもできたりするとも思うので。

ただ繰り返しますが、ほんとに変わる気がないなら、「どうすれば自分は変われるか。どう変わるべきか」なんて相談を周りの人にしたり、「変わりたいオーラ」を放って日頃の人付き合いをするのは、どうか、って話。

せめて、

「自分が夢が叶わないからといって、その不満を、全然関係ない周りの人に八つ当たりしたり、誰彼構わず相談にのってもらったり救済してもらおうとすがったりする『迷惑行為』は、しない」

くらいのエチケットを持って生きていたいものですね。というご提言。

誰にって?

決まってるじゃない、

20代までの私自身に

ですよw
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