エゴイスティック手帳術、というプレイ

やってます。

私事ですが、先日、7つの習慣セミナーに出ました。
フランクリン・プランナー(=手帳)を展開してる会社の主催で。

実は私、18歳のときに『7つの習慣』の本を読み(←我ながら自分の嗅覚の鋭さに驚く)、すごいよさそうと思いつつも、中途半端に読んでそのノリでなんとなく手帳まで買ったけどほとんど使わなくて……という、「スタートは良かったのにその後が残念」な接し方をしてしまったんです。

20代、そして30代になっても、ときどき思い出したように年末ごろに来年分のフランクリン・プランナーを買うもののやっぱりまた活用せず、を繰り返してました。

挫折というか、うまく手帳を活用できないなか、どうやら原因は

「手帳に予定を書くかどうかではなくて、手帳を書く以前に『自分はどう生きたいか。何のためにどのくらい時間を割くのを良しと捉えているか』が自分の内面に確立されている必要がある。でないと、手帳を書く行為も、読む行為も、何もかもが『面倒くさい、やってもやらなくても大差ない、必要のないこと』という位置付けで、だんだんやらなくなってしまう(意識の高いときにたまたま手帳に何かを書いたりそれを読んで実行したりが一時的にできているとしても、『なぜそうするのが良いのか』を理解していないから、意識が低くなったり飽きたり別のことに気をとられた瞬間に、やめてしまう)……つまり、手帳を活用するということそのものが習慣化されていかない(←メリットを感じられないわけだから当然そうなる)」

だなぁ、とは、アタリがつきました。

だったらちゃんと手帳活用のためのセミナー出ろよ、って感じですが、自分のなかの優先順位や整理しなきゃいけないことがあるなぁと感じて(何年も)先送りに。

で。

何度もこのブログで書いてますが、2014年の夏に、それまでずーっとうだうだしてた問題というか悩みというかが、一気に解消されたんですね。

そして2015年を迎えるに至り、ようやっと、「自分本来の(望む)人生を生きることを自分自身に許可しよう」となりました。

それである意味、「自分が望む人生を生きるうえでの時間・予定・心構えの管理&確認(←心構えの管理&確認が一番、重要に感じる)+改善(のための視覚化ツール)として手帳の意義を再確認し、せっかくならと手帳活用法を改めて修める意味で、セミナーに出た次第。

(よく考えたら、自分の望む人生を生きることを許可せず、わざと(頭で考える、ほんとは自分が願ってもいないくせに願いということに便宜上、自分を騙して位置付けている)願いが叶わないような人生を生きるとか、他人になりきるなんてコンセプトで生きてる人間が手帳を買ったところで、むしろ手帳が導く『自分が望む生き方の実現』自体を拒否してるわけですから、なんとしても手帳なんか活用してなるものか、という思考が奥底には横たわり続けてたわけですよ。頭では『ちゃんと手帳を活用して、いい人生を、願いの叶う人生を送りたい!』なんて言ってるときも、ずーーーーーーーーーーーっと。なんて自己矛盾)

で。

セミナーを通じて、「手帳に書く以前」に、そもそも何を考え、決めなきゃいけないのかを改めて学び、そこを妥協せずやってみました。

ある意味、この

手帳に書く以前にやるべきこと(自分がどう生きたいか、何を大事にする価値観か、どうなっていれば日々を満足できるかetc)が確立されたら、手帳術の大部分は達成済み

なんじゃねえかなぁ、と。

この面倒なプロセスさえ乗り切ってしまえば、出産のとき頭を抜けたようなもので(←なんちゅー例え)あとはジュルッとスムーズ&一気(←ほかに例えなかったんかい)。

「手帳っていったって……。何を書こう?」

なんて迷ってた頃があったのが嘘みたいに、ワガママ放題に旅行中のスケジュールに口を出す厚かましい女みたいに、能動的にスケジュールを決めていけるんですね。

よく、手帳は「仕事などの外せない用事」を管理するために使う人が多いかもしれませんが、上記のようなプロセスを経ると、むしろ「特定の予定というわけではない、日々の修練(7つの習慣でいう『第Ⅱ領域(緊急ではないが重要なこと)』)のために割きたい時間をいかに(予定に邪魔されることなく)確保するか」に主眼が移ってきます。

ある意味、「予定のない時間をいかに有意義に過ごすか」が狙いになる。で、良い意味で、がめつくなる。まさに、バーゲンに群がる主婦。

その、浅ましいまでの執着的な想いも乗せつつ、手帳を書くんです。

となると、もう手帳は

「ほんとは自由に生きたいのに、時間の使い方を拘束してくる、厄介な存在(ほんとは無視したい。手帳自体を破棄してしまいたい)」

という面倒な位置付けのものではなくて、

「手帳に書いたこと自体が、自分のこだわり。大事な想い。なんとしても、この手帳に書いたとおりに生きるんだ。誰にも邪魔させないよっ!」

と、エゴイスティックなまでに手帳のとおりに生きることを切に願うようになるんです。

このね、浅ましくがめつい、エゴイスティックな路線で、なんたって手帳に書いた予定どおりに生きる&そうできたらエクスタシー!!セックスなんかより気持ちいい!!満足!!私、有意義な時間を過ごせたぜィ!!!……と、思えていることが大事なんです。

手帳に書いた予定どおりに過ごすことを、ストレスと認識しているうちは、たぶん手帳なんか使わないほうが健全だと思います。

自分のワガママっぽい願いをありったけ手帳に込めて、予定をこなせたら手帳に◯印をつけるなどして、
「いえい!達成できた!俺様スゲー!!予定コンプリート!!かっけー!!!!」
と、予定遂行を快感と結びつけるわけです。

で、(これは一朝一夕ですぐ整う環境ではないのかもしれませんが)そうやって予定をこなしていくことの積み重ねで、ほんとに夢というか、大きな願望が叶う仕組みを作っていくわけです。

お金でもいい、体重が減っ(て美しくなれ)たという自意識の満足でもいい、とにかく、「予定をこなすと気持ち良くて、得をする」好循環を、物理的に作り上げていくんです。

・勉強の予定をクリアしていったら、試験に合格できた。
・運動の予定をクリアしていったら、ダイエット成功!!
・仕事の予定をクリアしていったら、昇進&昇級ゲット!

などなど。
実績ができればできるほど、良い意味で自分を好循環の流れに縛り付けてくれます。
(よく、何かから解放されるとか手放すことを良しとする風潮が、自己啓発とかスピリチュアルにはありますが、『望ましいと思うものに束縛される』『自分がいちいち意思決定をして行動に起こさずとも、勝手に一度できた仕組み(習慣など)が動き続けて自分を半ば洗脳し突き動かしてくれる(その流れに身を委ねていることが、自分の望む結果を生み出し続けてくれる)』というメリットは、うまく利用したほうがいいんじゃねえかと思っています)

で、予定を完璧にこなせない場合も、劣等感や挫折を感じる思考を持つのではなく(←あらかじめ、そう感じる思考が自分の中にあるなら手放すなり別のものに置き換えるなりして)、

「まだまだァ!今日、達成できなかったからって、諦めると思う?甘い!明日があるんだよ。逃げ切れると思ってんじゃないよ~?」

と、まるで予定という獲物を追い求めるハンターみたいに、ある種の残虐な快感をもってでもいいから、予定を完璧にこなしちゃうぜ+そうできると考えただけでエクスタシー!……というふうな思考を成立させるんです。

とにかく、

1.自分にとって理想の人生(日々の生き方)とは何か、を確立する
2.手帳には、1で構築した自分の理想を反映したことを書き込む
3.オタッキーなまでに、何かのアイテムの収集家みたいに、予定の遂行を快楽・愉悦と捉えて実行する


という流れにする(1、2が何よりも大事。ここができてれば、3は自然と成立する。裏を返せば、自然と3の状態になることができないとすれば、1、2が不十分だったり、自分の本音と違う結論に達していたりしてる可能性がある)。

このね、

手帳に予定・実績を書き込むこと(+そのとおりに生きること)を、独りよがりにでもいいから、快感にする

のがコツかと。

変形型レコーディングダイエットじゃないですけど、「明日の昼飯には、これを食べる」と前もって予定を決めておき、そのとおりにできたら手帳に◯印をつける、など、予定というか「生活習慣だよね、それ」的なものまで、全部、手帳に書いてます。

前日に予定を立てる段階で、そのメニューを買うなりつくるなりして食べることを「ものすごく、素敵なこと」とシミュレーションしておくわけです。
「このとおりに食事ができたらめっちゃいいぜ、カロリー計算も栄養のバランスも、かかるお金も納得のいくとおり!!」
と、何にも代えがたい人生最大の野望、くらいに、1つ1つの予定に思い入れを持つんです。そのとおりにしてやる!ということに、図に乗るほど鼻高々になるんです。意図的に。
(繰り返し述べますが、これ、まず手帳を書く以前に自分はどう生きたいかをきちんと自分の中に確立できてないと、うんざりしたり、めんどくさいと感じたり、バカバカしいと感じたりします。そういうシラけや、やる気が萎える感じがしたら適宜、生き方コンセプトを考え直す段階に立ち戻ります←この、違和感を感じたときに立ち戻ることで、よりブレずに自分の本音に気づいていける)

で、これが一番のポイントなんですが、どんな些細な予定でも、決めたとおりに実行できたら、声に出したり体でポーズをとって、まるで世界の覇者になったくらいの勢いで、ガッツポーズをし、歓喜の雄叫びをあげ、快感に浸ります。そうなるように、わざと儀式的にでもいいから、します。

体を、飴と鞭でいう「飴」で、麻薬に溺れさせるくらいのつもりで、「予定を遂行できた快感」の虜にするんです。

まさに1人SM。

(SMっていうとイメージどうなのかわかりませんけど、実はスピリチュアル的にみても、人間が肉体の衝動に負けず、人格で律することを覚えるのは、望ましい霊的成長なんです。『頭ではこう思ってたけど、心が、体が、言うことをきかなくて、思わず~~しちゃった』というのは、ありのままに生きるのでもなんでもない、ただの無能な落ちこぼれなんです)

こうして日々を過ごすと、過ぎた日の手帳(必然的に、汚いくらいたくさん書き込まれる)のページを眺めるだけで、思わず感激の涙がこぼれる勢い。

そのくらい、自分が日々を、自分の思うとおりに生きることができることについて、嬉しさと、誇りを感じるようにするんです。

……まぁ、私だけにしか通用しない手法なのかもしれませんけどw

でもね、私みたいに、浅ましいというか、「何がどう得するのかわからない崇高な理念」だかのために生きるなんて真っ平御免、というタイプの人間は、このくらい、手帳に対して、エゴ的な執着的な欲望をぶつける、手帳という存在を、犬が小便してマーキングした電信柱みたいな、愛すべき道具というところまで、想い入れを創り、膨らませないと、使いませんよ、手帳なんて。

裏を返せば、そんなに崇高な立派な人間じゃないなァ、という自覚も実績もある人は、それならば浅ましいエゴでもワガママさでもなんでも上手に使って、自分の人生をより願い通りのものにしていくために「利用」しちゃえばいいじゃん?……というご提言。

……ってこの記事、学級委員的に「なにか崇高な理念を、それがどんなに苦痛でも、耐える」のを良しとする人が読んだら、不謹慎とか、思うんだろうか。w

べつにいいよね、手帳を使いこなして予定や時間を自己管理できてたら、その動機が崇高だろうが浅ましかろうがどっちでも。

一番ダサいのは、崇高な理念だかを掲げて「こうでなければならない、こうあるのが人間として尊い、素晴らしい」と思ってるくせに、それが全然できてない人だと思うので。


人間には、せっかく、エゴとか執着とか、素晴らしい資質が備わってるんだから、否定して抹消したり憎んだりしてるヒマがあったら、仲良くなって使えばいいじゃないのォ。……と思うんだけど、どうなんすか?こういう考えって、スピリチュアル的には、ダメなんすか?
教えて、霊的にすごい(と自称してる)人w
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