典型的、類型的

某大御所声優の受け売りなんですが。

演技をするとき、「典型的であれ」といわれるそうなんですね。類型的であってはいけないと。

何が典型で何が類型かというと、雑にいえば典型が本物で、類型が偽物。

たとえば、某映画監督がヤクザ映画を撮るにあたってチンピラ役の俳優のオーディションをするとき、肩をいからせて「いかにも人が『チンピラふうにしてください』といわれたら何も考えずにやりそうなアレ」をやったら即座に落としていたそうなんです。それは類型的であると。

要するに、本質を突いてないんですね。

で。

「え、何?演技の話?いや、私は別に演劇とかどうでもいいから、関係ないわ」

と思いますか。

これ、演劇というジャンルに限らず、たとえば「リーダーシップを発露するうえでの声のトーン、姿勢、体温やフェロモンの出具合などの全体的な、人としてのあり方」があるんです。
それが、美徳ごとにあるんです。

そして、その美徳の組み合わせごとに「王様タイプ」「軍師タイプ」など、職業というか立場というかごとに人間の集合意識の中で作られていった「型」が存在します。

生活や仕事の中で、「いま、この型のこの在り方を体現すると、有利」というシチュエーションが諸々にあるわけですが、それを適宜、それこそ即興の俳優のように表現できれば、自分の言い分が通るというか、コミュニケーションがスムーズに行くんですね。

誰がどの集合意識にどの程度、感化されているか・好意的に受け止めるかは、これまた千差万別。
だから、ある型さえ具現化できれば世の中どこへ行っても大丈夫かというと、そうではないところもまた、この世の醍醐味。

ただ。

少なくとも、自分が生活している国や地域の中でのメジャーな集合意識が認める「リーダー像」など各種(の波動の配合・織り合わさり方)がどんなものかを把握して、それを身につけていくと、その集団の中で生活していく分には有利だったり楽だったりするのは間違いありません。

もっと具体的にいうと、ある会社に勤めているならば、その会社の「管理職像」が固有にあるんです。で、その在り方(目に見えない霊的エネルギー組成はもとより、話し方や声のトーン、性格や雰囲気、体型、人相といった目に見えるもの各種も含みます)を身につければ、そうでないまま仕事の実績だけ愚直に出し続けるより、トントン拍子で出世していけるんですね。

で、ここで、その像の具現化の道筋の中で

「そもそもうちの会社の管理職像がどんなものかわからない」
 ⇒エネルギーや物事を把握する能力が低い

「管理職像はわかったけど、どうすれば自分がその像どおりの人間になれるのかわからない」
 ⇒目標に到達するための手段を見出す能力、ノウハウが拙い

「こうすれば管理職像を体現していけるとわかったけど、つらい……。ギブアップ」
 ⇒忍耐力や実行力、体力、精神力などが弱い

「会社の理想像に合わせて自分を型に嵌めていくなんて、ありのままの自分が犠牲になるから嫌」
 ⇒常にどこででも自分のありのままでいたいという精神的幼稚さ
  (じゃあ自分は他人が常にありのままで生きてるのを認めてるか、って話)
  (人間社会の中で、他の人たちにとって自分がありのままでいることが
   どう映っているか、そう振る舞うことが常に適切といえるかの判断が甘い)

 ⇒会社にいるときは会社員として求められる在り方を体現し、ありのままはプライベートで、
  などと複数の在り方を使い分ける生き方を知らない

「そういえばそもそも私、なんで自分じゃない仮面をつけてまで会社で出世したいのか」
 ⇒人生で何を実現したいのかが見えていない、あるいは見つめ直す段階にいる

など、段階ごとに躓きポイントがあるわけですね。

なので、どこで何をしたいか、何ができているようでありたいか、他人からどう思われていたいかなど自分の願望を整理して(←これだけでも一大プロジェクトなんですが)、そのためにはどんな典型を身につけることが有利であるか(あるいは必須か)をあぶり出す。そしてその典型を身につけるために精進する……がオススメ。

まさにこの、

人生がうまくいかない人ほど、(自分のありのままとは異なる)典型を身につけることができてない

という点は、あんまり自己啓発本とかスピ本で触れられていない印象。
(というか、出世できてる人たちの間では常識として口伝されている感じで、わざわざ外部に向けて書物などに顕すような酔狂なことをする人が少ない、と言ったほうがいいかも。仮にそういう内容をまとめて出版したところで、現時点で出世できておらず自分のありのままに固執して何かに迎合するとか合わせるということに拒絶反応を示す読者は本の内容が不快なので高く評価せず、つまり本が売れない(ので同様の内容はもう売れないと判断され出版されない)という悪循環)

なので、

いまの自分にとって身につけるのが有用な典型とはなんだろう
(自分の願望を実現するうえで、他人から認められ評価されることが必要ならば、どんな典型を身につけて発揮すれば認められやすいだろうか、高く評価されやすいだろうか)

その典型は、どうすれば身につけることができるだろう


という視点をもってみるのも、オツなもんかと。



あ、ちなみに、学校の勉強(←ありのままの自分にもともとは入っていない知識や思考法の集大成ですよこれ)が苦手だったという人、決められた知識どおりに解答しないと受からない試験などに精神的に反発してうざがる人なんかは、かなり不利ぽいかもです。
そういう人はどうぞどうぞ、典型なんて身につけないで、常にどこへ行っても、「ありの~ままの~自分みせる~のよ~」一辺倒でいいんじゃないでしょうか。それを見せられた他人がどう評価するのかはわかりませんが。
(というか、もし、その人のありのままが問答無用に他人から見て素敵なら、放って置かれるはずないですよね。ブレイクした子役みたいに、べつに何をどうしているわけでなくとも大勢からチヤホヤされるはずです。ということは、もしそうでないとしたら、自分の『ありのまま』は、他人や社会からしたらべつに魅力的でもなんでもない、価値のないものとみなされるんだろうなぁ、という可能性に考えを及ばせてみても、バチは当たらないかも……?)

あ、ポイントは、

典型を身につけたところで、本当の自分らしさが犠牲になり消え去ってしまうのではなく、「引き出し」が増えて行くだけなんだ
(どの典型をどこでどう発揮するかも、自分が主体的に選べるんだ。ありのままの自分にいつでもどこでも好きな時に好きなだけ、戻ろうと思えば戻れるんだ)


ということでしょうかね。

P.S
類型的だと嫌われやすいという傾向があるみたいです、一般的に言って。

たとえば、エリート気取りでプライドを鼻にかけたような態度で、自分では自分のことイケてるデキるビジネスマン、と思い込んでるような人。
周りからしたらその波動は典型的ではなく、類型的(つまりニセモノ・ハッタリ・メッキ)に見えているので、表面上は笑顔を返してくれるかもしれないけど、後ろを向いた瞬間に思いっきり顔をしかめて嫌がっている(&類型的なだけなのに典型的になることができていると勘違いしてるその人をバカにしている)かもしれません。

あえて類型的に生きる、みたいなのも一興だとは思いますが。
ていうか、いっぱいいますよね~、そういう人(with笑顔)。
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