「相手の立場に立って物事を考える」なら、思考パターンも相手に合わせて。

メモ同然の中身の薄さです、すんまへん。(謝る気ゼロ)

よく、「相手の立場に立って物事を考えなさい」っていうじゃないですか。

でね、よくやらかしがちなのが、

「私がもしあの人の立場だったら、こう考えるわ」

と、あくまでも立場しか移ってなくて、その立ち位置に立ってなお、自分の思考パターン、価値観、パラダイムでものを言ってる場合。

これだと、「相手からはこの物事がどう見えているか」は、永遠にわからないんです。

どこまでも「私なら、こう見るけどなぁ!こう考えるけどなぁ!!」という自己主張一辺倒で、相手の立場に立つところからは程遠いままなんですね。

なので、どうせなら思考パターンまで、価値観まで、パラダイムまで、その人とおんなじふうにしたうえでないと、とても「その人からは、この物事が(自分と違って)どう見えているか」は、わからないんじゃないかなぁ。

で。

霊視ができるならまだしも(霊視できたとしても、観えた相手のパラダイムに完全に入り込み、自分自身のパラダイムから思うこと感じることを全部『いったん横に置いておいて』、相手のパラダイムによる価値観や感受性どおりに物事を受け取るようにする。いわば『自分を殺す』ことができないと意味ないんですけどねw)、基本的に他人の考えていることは、完全にはわかりきらないもの。

つまり、どこまでいっても、「慮(おもんばか)る」しかないんですよね。

ということは、日頃から、自分の考えはいったん横に置いておいて(←これができず『だってだって私は私は』の声を消せない人もわりと多いw)、他人に対して一定以上の興味を持ち、

「この人は、なにをどう感じ、どんな考え方をする人なんだろう」

という意識を向け、その人のありのままを見ようとする姿勢が問われてくるわけですね。

つまり、人間そのものへの興味。

人間関係がうまくいっていないとか、この社会で上手に立ち回れないという人はたいてい、自分自身にしか興味がないエゴイストなんです。そして同時に、他人を自分自身と比べてどうでもいいというか、見下すスタンスを持っていることが多いです。大切にしているとか尊敬しているとか奉仕している、と本人が言うことがあるとしても、どこか独りよがりで、結局、大切にできてないし尊敬してるうちに入らないし奉仕だなんてまさかまさか、という実態であることがほとんど。(自分自身を、デキてる善い人だと信じ込んでることが多い)

他人を大切にしていないので、いざ他人の立場に立って物事を考えようとしても、(他人が物事をどう感じるか、考えるかについて自分なりに考えて蓄積した)データがないので、相変わらず自分自身の思考パターンで、価値観で、パラダイムでしか考えられないんです。
(余談ですが、ツイッターなどで言い合いになってる2人がお互いに相手の言ってることをありのままに受け取ろうとは全くせず、『自分の思うとおりに思え!』だけでひたすら泥仕合になってるのを見ると、わりと他人の考えを汲み取れない人、自分とは別の考え方があるということそのものを認められない狭量な人って、少なくないんだなぁと勉強になります)

極論すると、

もし本当に、(自分のそれとは異なる)相手の立場&パラダイムに立って物事を考えることができる人がいるとしたら、それは物凄い能力

と言えるんじゃないかなぁ、と。

個人的感慨から言っても、相手の立場に立って考えるなんて、ちょっとやそっとの思いつきでホイホイできちゃう類のものとは、到底思えません。

日々の、長年に渡る、たゆまぬ人類愛と人間への基本的関心、思いやり、自分自身のエゴを制御する自律の精神、その他もろもろの知恵やら美徳やらの集大成として、あるんじゃないでしょうか。他人の立場に立って物事を考える、という能力は。

なんちゃって。だから何だ、って感じですが。
ほらぁ~、個人メモ同然って言ったじゃーん。w
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