セラフィムブループリント フュージョンクラスの感想

いただきました。

クラスのなかでレベル1〜6のそれぞれのエネルギーをバージョンアップして上書きするとき、いっぺんに再活性してみて、初めての時とは違う感じや、ほとんど自分では再活性していないものなど、受け取り方の違いが分かりやすくて面白かったです。

なにより一番面白かったのは、自分で新しく組み合わせて作るエネルギーです。
自分で作るのも、他の人が作ったのも個性があって面白かったです。

この面白さはやってみないと分からないので、他の人にもお勧めしたいです。
私が何か作ってみるのが好きなので、面白かったのかもしれません。

また、レベル6−1エネルギーの再活性で、それまで「ちょっとはネガティブ思考を持っていないとダメじゃないか」という理由で持っていたネガティブ志向の気持ちや抱えていたネガティブなエネルギーも、気にせず払拭して良いとメッセージがきたので、吹っ切れました。

再活性化した直後にusamimiさんから感想を聞かれたときは、ホントにネガティブを全解放してしまって良いのか戸惑いがあったので、腑に落ちてなくて話せませんでした。

ですが、その後の雑談で「本気のブロッククィーン」の話などをしているうち、

ネガティブというのは知ってるだけで、持っていなくても良い

と思えました。

まずは、体のメンテナンスにDVDでパワーヨガ始めます。


あざっす。

フュージョンクラスの醍醐味は、レベル1〜6のエネルギーをさらにバージョンアップして上書きアチューンメントすることはもとより、

全部で11あるエネルギーのそれぞれの使い方ごとに最大5つまで混ぜて、スーパーヒーリングエネルギーをつくれる

ことです。

「全部で11あるエネルギーのそれぞれの使い方」と書きましたが、セラフィムブループリントのエネルギーは、ある1つのエネルギーだけでも、十数通りの使い方があるんですね。

つまり、確率でいったら膨大な数の、スーパーヒーリングパッケージを編み出しうるということ。

まさにヒーリングエネルギーのオリジナルカクテル。

しかも、

通常のクラスで教わるときは再活性化不能とされるエネルギーをも、パッケージに組み込むことができる

のが画期的かと。
(注:Lv5の『宇宙に安息の〜』だけは、混ぜられないそうです。アレックス談)

そして、ワークショップ中につくったスーパーヒーリングパッケージは、

いつでも好きな時に再活性化できる(週1、月1など、通常のクラスで教わるときの頻度を度外視してよい)
※必要な瞑想時間についても、通常のクラスで記載された分数と直接は関係なく、十数分程度?エネルギーがやるべきことをやってる間じゅう瞑想していること、とアレックスは言ってます
※スーパーヒーリングパッケージは、バックグラウンドでは流さず、きちんと瞑想して集中して流せ、ともアレックスが言ってました。


んです!!

これわね、いただいた感想にもあるとおり、やってみないとわからない面白さですわ。
(参考:受講資格はレベル6修了して半年以上経過している人)
(参考:フュージョンは、その人の霊的進化度合いに応じて上書きされるバージョンアップの度合いも変化していくので、半年〜1年ごとに1回の割合で、継続的に受け直していくのが望ましいとアレックスは言ってた)

興味がある方は、受けてみてくださいねー!!


いただいた感想のなかに「本気のブロッククィーン」とありますが、ようするに、ものすごく問題ある人の有様についてなんとなく雑談してたとき、感想をくださった方もそれまでは

「やっぱり多少は、苦労してネガティブな中に生きるからこそ、得られる学びもあるんじゃないの?」

という気持ちを持っていたそうなんです。

そして、だからこそあえてネガティブなものに接してみたい、ということで成功や豊かさを否定する指向を持って(良かれと思って?)わざとネガティブを肯定するような生き方をしていたようなのです。

が、この方はご自分でもおっしゃっていましたが、ネガティブの才能がなかったんですね。

つまり、

ブロッククィーンとして世界を制するほど波動が低くもなく、悪徳三昧でもない

方だったんです。なのに、身の程知らずにも、ブロッククィーンを目指してしまった。でも残念、オリンピックは夢のまた夢、それどころか全国大会も叶わず、地区予選敗退レベルの酷さでしかなかった模様……。

話を聞くと、小説などの創作でネガティブなテイストのものを読み、感動し、ネガティブなものから学び得るものは多そうだ、と思ったそうなんです。

ここ、すごく危険なんです。

べつに悲劇的な創作から学べるものは何もない、とは申しません。それどころか、素晴らしい悲劇などは、鑑賞することで人間が成長したり、癒されたり、かえってポジティブな美徳へと誘うこともあります(このへんは、芸術論などでさんざん、いろんな人が言ってますよね。悲劇的なフィクションに人間が触れることの意義、など)。

が。

素晴らしい悲劇というのは、これでもか!と高潔な美徳をあらん限りに体得した、偉大な高い波動の作家にしか、描けないんです。
(最近は、単に悪辣なだけのチンケな波動の作家がしょーもない後ろ向きな話を書いて『これぞ芸術!』と謳って通用してしまうような風潮になってきてしまっているようですが?)

あくまでテイストとして、話の内容としては悲劇でネガティブでも、その作品に表出されたエネルギーは、とても高い波動のものなんです。
(この、『高い波動の、ネガティブ創作物』を生み出せるかどうかが、まさに芸術家の価値と言えるのではないでしょうか!!)

あまりにも甘美な毒を、上質な悲劇から嗅ぎ取ってしまうと、それを現実でも味わいたくなってしまうんですよね。その気持ちは私も、よ〜く、わかります。

でも、

波動の高いネガティブなど、現実には無い

んです。

あくまで虚構の世界で、フィクションとして楽しみ、味わうことしかできないんです。なぜって、それ(=波動の高いネガティブ)は実在しないから。

だけど、この感想をくださった方は、それを現実に求めてしまった。創作の中にある、素晴らしい悲劇が、ネガティブが、現実にも存在し、そこを生きれば何か成長できる、学べると夢見てしまったんです。。。

ここ、勘違いしてる人、けっこういる印象です。
良かれと思って、高潔なネガティブを、学びの実りある悲劇的状況を、貧しさを、苦しみを、現実の中に探してしまう。

……あるといいですね。

あくまで提案ですが。

もし、ある程度探してみて、「あれ?現実には、なさそうだぞ?」と思ったら。どうしてもそこまでして探したい優先順位の高いものでなかったとしたら。

(現実世界で、高潔なネガティブを探すという冒険を)諦める、やめる、終わらせる、というのも、ひとつの手ではないでしょうかね。

いえいえ、まだまだ諦めない!という方は是非そのままで……。
(私も気が向いたら一瞬くらい、観察させていただきます。貴重な実験データになるかもしれないので)

うっふふふー?
誰のモノマネでしょう?
正解は、サザエさんでした!!
なんちゃって!なんちゃって!!(酷い〆)
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