「だから何?」が思いグセだからこそ

「だから何?」とそもそも思わずに済む生き方を、時間の過ごし方を選ぶよう心がけています。

人生で出会うことにはすべて意味がある、そこで自分がどう振る舞ったかは、どんな油断してる瞬間でさえ、確実に後(の霊的成長など)に影響する


的なの、あるじゃないですか。嘘ではない実感はあります。

でも、というか、だからこそ。

「こんなくだらなく感じることにも、人生で起きた以上、意味があるという前提で、全力を尽くせってか?」

と、やり場のない苛立ちを覚えることがあります。

で、どんなにくだらないと思っても、全力を尽くすと、たとえばその場で行われるべき物事がスムーズに進んだり、やっただけの成果は(周りには)出るんですよね。それによって人から好かれたり感謝されたりもするわけですが、そもそもその場でその人たちにそう思われる、何かを成功や盛況に導くということが私にとって

「だから何?」

だと、嬉しいどころか、腹立たしく感じてしまうんです。

「こんな場で、こんな人たちに、こんな形で、よりによって自分が(過去生や、今回の人生のこれまでの時間や労力を膨大に注ぎ込んで磨き上げて体得してきたスキルや能力を)なんの見返りもなしに、発揮して、バカみたいじゃないの!!」

と。

これ、確かに狭量な思い込みと思われるかもしれないし、事実そうかもしれません。

でも私は少なくとも今は、その思い込みを取り払って「(自分が望ましいと思えない)どんな場でも誰にでも惜しみなく自分のできることを全力尽くす」というふうには、なりたくないんですね。

見返りはべつに要らないし求めてない(なぜなら、必要を感じないので)んだけど、自分が何か全力を尽くす、「尽くし先」は、選びたいなぁ、と。
(そういえば見返りって、たぶん、自分にあらかじめ何か、それを無償ですることに抵抗があるからこそ、対価として自分の嫌な気持ちを相殺させるために求めるものなんでしょうね。無償だろうとなんだろうと、そこに全力を尽くして全然構いませんよと心底、納得している物事には、人は見返りなんて、そもそも欲しいとさえ、思わないんじゃないかなぁ)

そんなこんなで、

・見返りのことなんて頭をよぎる余地すらなく、そこで全力を尽くしてもいいと思える場・人・状況を選び、そういうところだけで日常を構成する

・もしも全力を尽くすのが億劫だったりげんなりしたり気が進まないと感じたら、それがなぜなのかを探り、「やったほうがいいけど自分側にイシューがあるので後ろ向きに感じた」なら解消して全力を尽くせるように自分のエネルギーを整え、「自分が選んだ信念・コンセプトに照らして、全力を尽くす価値がないと結論が出た」ならば、もうそういう場・人・状況には関わらない(自分から首を突っ込むことをせず、干渉されることもしない)

という、(完璧にやろうとするとわりと高度なテクニック各種が要る)シンプルな指針どおりに、どこで誰と何をどうやるか、あるいはやらないか、を選んで、日々をどう過ごすか決めています。

まぁ、そんだけなんだけど。
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