単位時間あたりの作業テンポを把握する

昨日の内容と、一見、矛盾するような内容かもしれません。
が、矛盾は、してないです。両立できます。

要は、ある単位時間(1分、1時間など)に、自分は何をどのくらいできるのかを把握しておく、ということです。

わかりやすいのは、読書スピードでしょうか。
速読できる人はまさにこの、単位時間あたりの読書スピードを上げていく練習をしてるわけですよね。

楽譜を読む人だと、「譜読テンポ」という単語でよく語られます。

これね、効率や能率とかなり直結するんです。

同じく「1時間、練習した。勉強した。仕事した」といっても、極端な話、幼稚園児みたいに、1秒に1文字のペースくらいの勢いで、書類やテキスト、メールなどを読んでいたら、遅いですよね。あんまり仕事できてない、ということになります。

これ、楽譜になるとさらに顕著で、新曲を譜読みしながら練習するにしても、譜読テンポが遅い人は、譜読テンポが速い人に比べて、格段の差がつきます。
(よく、ショパンやリストなどの難曲、大曲1曲を譜読みして、しかも指使いを覚えるまでに◯ヶ月かかった、という人がいます。そういう人は、譜読テンポが極端に遅いか、あるいは読んだとおりに指をおさえる器用さ・テクニックが拙いか、あるいはその両方かなのではと←譜読テンポが速い人は、オーケストラの譜面でさえ、小説を速読するようなスピードでスラスラ読めますし、読みながらまるで頭の中でCDを再生しているかのように、書いてある譜面どおりの音が鳴るといいます←私はここまで到達していないので、本当なのか確証もイメージも持てないのですが)



これ、もしかすると社会人より学生のほうが切実かもしれませんね。

あくまで傾向ですが、成績の悪い人に限って、「◯時間、机に向かった」ということに満足していて、その◯時間にどれだけのことができたか、振り返っていないんです。
また、仮に集中力と作業効率が一定だとして(←実際は、ここも成績が悪い人はえてして、波が激しいのですがw)も、自分がやった◯時間の勉強と、他の人がやれている◯時間の勉強が、(結果、覚えて理解したかは別に、単に作業として)どれだけ同じか違うかを、意識していない人が多いです。
あるいは、成績の良い同級生が自分と同じ◯時間勉強しただけで、自分よりもはるかに勉強した作業量が多いと知ると、その同級生に対して「自分と違って優秀だから。生まれつき、頭がいいんだろうから」とテキトーな言い訳を見つけて正当化し、それ以上考えず、思考停止して、忘れてしまうんですね。
人によっては、
「他人と比べない。自分のベストを尽くす」
というような、響きのいい前向きワードでごまかして、そもそも自分の出来が何かと比較してどこがどうどのくらい劣っているのか考えることを「悪いもの、すべきでないもの、しても意味のない無駄なこと」と断じてしまう。

それとは別に、

「今日中に、英単語100個を覚える!」

というような、たまたまヤル気が湧いたときに決意しておいて、「自分は英単語1個を覚えるのに、どんなプロセスを採り、どれだけ時間がかかるのか」を割り出すこともせず、だから必要な時間がどれだけかもわからないまま、わからないからモチベーションや時間の使い方の優先順位をどう割り振るかなんて考えもしないで、1日が終わり、

「ああ!できなかった!!よし!明日こそ!!」

なんて精神論でまた正当化だけして、あっさり忘れる。

そういうことを繰り返すだけに終始する人もいます。

そういう、愚かな繰り返しから脱却するには、

ある作業(問題集1ページをやる、参考書1ページに目を通すなど)をやるとき、ストップウォッチで時間を計測する

などして、自分の作業テンポを把握するのが有用です。

それで、具体的に、何をやるとき自分はどれだけの時間がかかるものなのかを把握しておくんですね。

で、「問題集を◯ページやる」と決めたら、「1ページやるのにかかる時間×◯ページ分」の時間をきちんと確保するわけです。

学習への理解度が深まるたびに、作業テンポは上がっていき、また解答を間違える率も減っていくので、変化していくそのときどきの自分の理解度や習熟度に応じた作業テンポを、「あの科目のあの範囲をやるのにはこのくらい、この科目のこの範囲をやるのはこのくらい、同じ科目でも、わりとよく理解しているこの範囲はこれくらいだけど、まだうろ覚えなところが多いこの範囲はこのくらいかかってしまう」などと、きめ細かく把握しておくわけです。

この把握がないと、実用的なスケジューリングなんて、できるわけないんですよね。

(ちなみに数学などでまったくわからない問題にぶち当たり、頭が真っ白になったまま、遅々として学習が進まず時間だけが何十分も何時間も経ってしまった、という場合もあると思います。こういう場合、少なくとも大学受験や資格試験など、『自分で0から解き方を思いついたかどうかはどうでもいいから、とにかく規定の解き方に従って解答できさえすればよい』類の勉強ならば、考え込んで時間を浪費するのは無駄です。『行き詰まりリミット時間』を5分なり10分なり15分なり、設けておき、その時間だけ考えて何も進展がなかったら、解答を見てしまうとか、テキストの問題の解き方解説ページに戻るとか、なんらかのアクションを採るほうが有意義です。←成績の悪い人にこそ顕著なのですが、数学は(解き方の)暗記科目だということがわかっていないんですね。で、何のヒントも得ずに0から解答に到達するのが尊いとか偉いとか、そうすべきだと信じ込んでいる。解法パターンをあらかじめ覚えておいて出てきた問題に当てはめるというスタイルで解答するのは悪いことだと思っている。悪いこととまでは思っていなくても『俺は0から解答にたどり着いてみせるぜ!解法をちゃっちゃと暗記するような小賢しいマネはしない!』系の異常な意識の高さとプライドとこだわりを突然、そのときだけ発揮してしまう←この、バカなくせにその場かぎりの妙な意識の高さの発揮、が成績の悪い人にわりと共通するなぁという実感あります

もしも本当に0から何の解法暗記もなく数学の問題を解くのが美しいってんなら、掛け算九九すら使うなよ、三角形や円の面積などの『公式』もすべて使わず、二次方程式の解の公式からして、何もないところからまず自分で試験中に証明したうえで問題の解法に適用しろよ、と思います。ね?数学は間違いなく、暗記科目でしょう?かなり簿記検定と似ています。オリジナリティとか、解法を0から思いつく発想力は、基本的に大学入試までで言っていいなら、どんな難関大学でも問われません。東大京大の理系の二次試験ですら、あらかじめ覚えている基本公式のうちどれをどう組み合わせて順序よく当てはめるか、という範囲限定つきの発想力しか見ていないのです)

あ、勉強に偏りすぎた例になっちゃいましたが、仕事でも家事でもなんでもそうですよね。
このくらいの時間があればここまでできる、という算段がないと、まともなスケジュールにならない。

そんな感じでーす。うっふふふ。(キモい)
関連記事
スポンサーサイト