時間の時価換算をやめる

どうせ生きるなら、時間を有意義に使いたい。
無駄と感じる時間の使い方は、したくない。

……そう感じても不自然ではないはず。私もそうです。

ただ。

私のなかで、「この単位時間(たとえば、1分、1時間etc)は、このくらい成果を生み出せれば無駄ではない」という、時間の価値を測る、まさに「時価」の基準を持っていました。

これ自体も、悪いわけではないとは思います。

しかし私の場合、悲劇だったのは、その時価換算が画一的で、かつ、欲張りすぎ(高望みしすぎ)なことでした。
さらに、「なんとしても有意義な時間の使い方をしなくては!」と思うあまり、せかせか焦るばかりで、かえって取りこぼしが多いというか、何かに集中し、没入し、得ると決めた成果をしっかり掴み取るということに注力できていませんでした。何かをやっているそばから「ああ、もっと速く!もっと有意義に時間を使わなくては!」と焦り、同時に「これが終わったらあれをやって、これをやって……」という算段まで並行で考えるものだから、気が散ってしょうがない。
(これ、並行でいくつもの思考や行動を、それぞれのパフォーマンスをなんら落とすことなくこなせるスーパーマンなら可能なんでしょうけど、私はいかんせん、そんなハイスペック人材ではないので……。ほんとに、身の丈を知らない、バカな欲張りをしました)

それで結局、計画の半分もうまくいかないままで逆効果、という日々を送っていました。

もうちょっと具体的に言うと、勉強が顕著でした。

「今日、なんとしてもこれ(例:英単語100個)を全部、覚える!」

と意気込んでみたはいいものの、いざ勉強し始めると、ペース配分ばかりが気になり、もっと速く完璧に効率よく……というほうにばかり意識が行ってしまって、肝心の勉強内容がちっとも頭に入ってこない……という悪循環w

さらに言うと、「有意義に時間を使えたら、何?そうでなかったら、どんな困ることが?」というイメージも希薄だったため、意気込むだけ意気込んではみるものの、たいしたモチベーションも奥底には無いし、かといってできなかった場合に具体的に感じるデメリットもない(ただ精神的にテンパるだけ)。
だから、(際限なくどんより落ち込みはするものの)心底「このままではまずい」という危機感もなく、何をどう改善すればいいのかという「ふりかえり」もせずやりっぱなし。

これだと、なんにもならない。

そう感じました。

で。

もう1つ、私が見落としていた視点として、(ここらへんはいわゆるスピリチュアルになるのでしょうが)

時間の長さは一定ではない

ということ。

同じ5分間でも、その5分が長さ、それにどんなものを生み出しうる時間にするかは、可変。自分次第で、変えられるんです。

このことを思い出して&より深く理解してからは、1秒ごとに時間が失われていく危機感がなくなりました。

極端な話かもしれませんが、ある1時間を無為とされる在り方で過ごしたところで、そのあとの1分で取り返せばいいだけの話なんです。
(経験ありませんか?急いでいるとき、道を走って、息が切れて立ち止まって休み、また走って、をやったら、目的地に着いたとき、スタート地点からずっと歩いてきた人とほとんど差がなく同時だった、ということ←混んでる駅構内の乗り換え時に顕著な印象)

他人が時間をどんな長さで調節して生きているかまでエネルギーで霊視できるようになると、ある1分間であっても、時間の流れをゆっくりにして歩き続ける人が、時間をダダ流れにしたまま急いで走ってる人と、ほとんど同じ距離しか移動していない、というのが観えるようになります。

つまり、「時間の使い方が上手」という意味合いが、増えるわけですね。

単に、あるスピードで流れる単位時間(1分とか)を、どう効率よく作業分担するかという仕事術のほか、

そもそも時間をどのような速さで流れるものにするかを能動的に操る

スキルが上手かどうか、というニュアンスが含まれるわけです。



このへんが(実は納得できてないのに無理やり自分を洗脳するのではなくて、ちゃんとエネルギーが観え、自分の行動で実験などもしたうえである程度以上の感触も得たうえで)腑に落ちると、「時間を無駄にしたら人生を無駄にしてしまう!みすみす命を削って、何も得られない憂き目を見るハメになる!!」という怖れや焦りがなくなります。

で、落ち着いて、「どうにでもなるでしょ、間に合うよ、100%狙ったものを獲るよ」という感覚で、勉強なり仕事なりに没頭できる。

そうすると、時間を気にせず好きなだけ、打ち込みたいものに没入していけて、学習内容なども深く理解できるし、十分に納得できたと思ってふと我に返ると、ほとんど時間が経っていないという不思議な体験を多く、するようになります。

不思議に思うおぼこさ、ウブささえもを超えると、自在に時間の長さを意図的に調節し、調節した時間の範囲内でやりたいことをやりたいだけやって(日常的な時間の流れに)戻ってくる、ということも自在にできるようになります。


そんなわけで、「私がこの単位時間にできることは、このくらい。この単位時間に望む成果は、このくらい」とあまり固定化しないほうがいいんじゃないかなぁ、という印象。
(もちろん、〆切などがある仕事の場合、あまりにも時間にルーズという意味で気にせずダラダラぼけーっとしてるのは論外でしょうけどw)

ご参考までに。
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