ゲロぶっかけられてわかる、エセスピかどうか

すごいタイトル。

いやね、これ、ほんとに遭遇したんですよ。

何人か、スピリチュアルなことをやってる人たち(そこまで付き合いが深くない、某地方都市でのこと)と電車で移動してて、酔っ払った大学生男子が見事にブシャーッと吐いたんです。

私は苦笑しながら、(電車は空いていたので)その数人と連れ立って移動しつつ、次の駅で吐いた大学生男子が電車を降りて駅員さんの世話になっているのを見届けました。

そのとき、私のリュックサック(電車では床に置いてあった)に、床に落ちて跳ねたゲロの飛沫が少し、ついてました。

仕方ないので目的の駅まで電車にそのまま乗り続け、
駅に着いたらトイレの水道でリュックについてゲロを洗い流しました。

それを見ていた知人たちが

「うわ!信じられない!他人のゲロ、ちょっととはいえ、手洗いしてるとき触ってるってことでしょ?」

「悪い病原菌がそのゲロについてたらどうすんの!?」
⇒ついてるかどうか知りたかったら霊視すればええやんか、ついてたら変化させて消せばええやんか、なぁ?

と、やたら慌てていたんですね。ちなみにみんな40代。私より年上です。

たまたまその数人、(既婚も未婚もまざってましたが)子供のいない方ばかりだったんですが

「ねぇusamimiちゃん、あなた、他人のゲロが平気ってことは、もしかして父親?子供のゲロの面倒でも見たことがない限り、普通、男の人がそういうこと、できないでしょ」
⇒あなたの捉える「普通の男」ってその程度なん?

と騒ぎ出し、陰口というよりは私に聞こえるように、(悪意はなく、茶化す感じで)

「あなたほんとは、結婚してるんでしょう?子供もいるよね?独身だって、嘘ついてたのね」

と、ほのぼのした他愛のない会話、という体裁で、話しかけてきました。

私はというと、演技でもいいから「大丈夫?汚れは落ちた?」的な、気遣い(してるフリでもいいから)の言葉の1つもないんだ?と、内心、呆れていました。
自分が優しくされたいから、というよりは、それが誰であっても、リュックがゲロで汚れたから洗ってる人に向かって、そういうことしか言わないんだ?という……。
(いっそのこと、『ねぇ、まだぁ?まったく、一緒にいたから仕方ないけど、ゲロくらいかわしなさいよ。あんたが洗ってる間、待ってるこっちの身にもなってよ』などと、つっかかる体裁でもいいから、この事態を少なくともちゃんと把握してます的なコメントがもらえてたほうが、なんぼ救われる心地がしたことでしょう)

それでも、この人たちにはそういう思考も感情も美徳もないことがエネルギーでわかりきっていたので、怒るでもなく、曖昧に笑顔で相槌を打ちながら、やり過ごしました。



洗い終わって、気を取り直して当初、予定していたところへ向かって歩き出したわけですが、調子を取り戻した私たちはまた楽しく会話を始めました。

その人たちの、

「まったく、世の中にはまだ、霊的に未熟な人が大勢いるからね!私たちが、どうにかしていかないと!!」

と、使命感を帯びたような、優越感に浸っているだけのような、上から目線での発言の数々が、私からすると、さっきまでのその人たちとの態度と重ね合わせられて「メッキであることがバレバレ」な分、可笑しいというか、不憫というか……。

この一連の出来事で得た私の学び、気づきは、

「ゲロはすごい!霊的に素晴らしいかどうかを一瞬で見分けるツールとして機能するんだもんな!」

でした。なんだそれ。

P.S

私はもともとゲロに抵抗が人一倍あり、パニック発作を起こしかねないほど、苦手でした。

が、大学で学生寮に入り、「吐かなければ、死ぬ」というアルハラの嵐のなか、同級生や下級生を抱えて舌に指を入れて吐かせる、吐かせてもらうという経験を日常茶飯事のように繰り返すなかで、ある意味、慣れ、鍛えられていったという経緯があります。

スパルタ式の訓練でしたが、自分よりも年上になってまで、ゲロごときを毛嫌いして、人としてどうなの的な立ち回り方しかできない人たちがいるのだと知ると、まぁ、無駄ではなかったのかなとは思います。

ゲロだけじゃなく、たとえば英語でもそうで、私はべつに英語が得意だったわけでもないし、好きだったわけでもありません。
できるようにならないと、と思い、できるようになりたいから、必死で?勉強しただけです。

霊能力だってそう。
最初、シータヒーリングのインストラクターを取得したものの、まだ実力不足を痛感しており、「こんなんじゃ、とても人様からお金を貰ってセミナーを教えるなんてできないよ!!」と、バカみたいに毎日、練習を何ヶ月も続け、ようやく自信を持てるようになりました。

どちらかというと私は、音楽など一部の能力を除けば、いわゆる「才能」は、無いほうです。
遺伝子でいっても、数百年間、ド田舎で百姓(←すいません、あえて使います)と、観光ガイドを続けてきただけの、低学歴・低ステータス一族。大学に進学したり、会社員になったのは、ここ数百年の私の家系の歴史のなかで、私が初でした。
そのくらい、何かしらの能力に遺伝的に秀でるという点に関しては、絶望的な家系です。

じゃあ後天的に何かすごく鍛えられたかというと、習い事はさせてもらえなかったし、学校の勉強はするなと親から禁止されるほどだし、進学どころか「中学を出たら働け」と言われていたクチです。

町内会など地元の付き合いのなかでも、父親が若く(なんたって両親が20歳のときに私が産まれているので)地位が低かったこともあり、他の年長のおじさんたちから

「お前はたいした家の生まれでもないし、親父は優秀じゃないから、何をやったってダメだ。高望みしねえで、地味に生きろ」

と、酔った勢いに任せて、信じられない暴言を、さらりと吐かれる環境にいました。

「できなかったら、どこまでも惨めに貧しくなって、誰からも相手されなくなって、死ぬ。それが嫌なら、やれ」

ということを、誰かからの言葉ではなく、遭遇する体験のなかで、否応なく痛感せざるを得なかっただけです。


何が言いたいかというと、「そんな不幸のドン底から這い上がった俺様スゲーだろ」ではなくて、

なんでみんなそんなに安直に、何かができてる人を見た瞬間に「その人は生まれつき何か特別で優秀で、苦もなくそれができたんでしょ」と信じるの?

という驚きです。

自分自身が何もできなかった側から這い上がってきたからこそなのかもしれませんが(今でも本当に這い上がったと言えるのかは疑問ですがw)、何かが得意な人を見ると、「きっと才能があったのね」などとは思わず、

「人があそこまでの技量を身に付けるためには、それ相応の訓練を、教育を、修練を積まないと、絶対にできない筈だ」

と思うほうです。で、たいてい、当たっています。どうやってきたのかを、相手が迷惑に感じない範囲で(あるいは、迷惑には感じてても、勘忍袋の緒が切れない範囲内で食い下がって)、教えてもらいます。そして、自分がやるとなったときできるかどうか、どこをカスタマイズすれば自分も練習ができるかを考えます。まったく同じ道は目指さないとしても、それならば、自分が取り組んでる物事をより上達させるためにその人の練習の仕方や心得を取り入れることはできないかどうかを考えます。

場合によっては、本人にもどうしてそれができるのかわかってない、ほんとに才能由来でできてることもあるっちゃあるのですが、めちゃレアだし、それならそれで「聞いたところで自分の役に立てることができないネタ」としてこちらは切り捨てればいいだけの話。
(だって、参考になる点を取り入れたくて話を聞かせてもらうわけだから)

たいてい、謙遜が美徳とされる日本では、そして真剣に熱く語ることがこっぱずかしいとされやすい昨今の風潮においては、

「べつにw なんとなくだよ。できてんのかなぁ?w」

などと、茶化して、たいしたことないよ的な回答を返してくる人のほうが多数派です。
(『あの人は才能があったのだろう』で片付けたい側の人は、この回答で安心して『なぁんだ、やっぱりそうか』で退却します)

でも、そんなの絶対、嘘。

おぎゃあと裸一貫で生まれた赤ん坊が、見事に何かをやってのける、一流の実力を身に付けるところまで来るのに、才能だけなわけ、ねーだろ。自然にしてたらこうなった、ってほんとに信じるわけ?どんだけ楽観的なの?
そもそも「自然にする」ったって、何を食べてどんな躾をされ、何を感じて育ったかからしてどうやったって千差万別なわけで、工場で栽培されるかいわれ大根じゃねーんだから、何か画一的な「自然な育ち方」なんてものからして、あるわけねーだろ、とどうして疑わないんだろう。。。



でもね、才能ってことにしたい側の人の気持ちも、わからなくはないんですよ。

まず、自分が才能に恵まれたと実感できれば(あるいは、都合よく思い込めれば)、優越感に浸れる。自分は特別だ、他の人より上だ、と自己重要感を感じられる。

そして、他人が自分より何かを上手にできるとき「実力ですよ。努力の結果」と認めてしまうと、すなわち「自分は努力していないので実力が身についていない(恥ずべき状態)」であることを認めざるをえなくなり、気まずい。そんなの絶対、認めたくない。だから、才能ってことで片付けて、自分の気分が害されないように上手に振る舞う。

だから、才能という幻想にすべてを託す。お茶を濁すうえでの万能薬だと思います、「才能」って概念。w

そう、才能って概念で片付ければ、傷つかない。

上手に現実逃避して、都合よく、臭いものにはどこまでもフタをし続けたい人は、是非、才能という概念の上手なこねくりまわし方を覚えて、活用していってくださいね!!

だって、うっかり「才能なんてものはなくて、どれだけ上手に努力したかだ。口ばっかり、頭の中での都合のいい空想じゃなくて、物理的現実的に、行動を起こし、継続し、結果を出したかだ」なんて認めたら……。

まさに口ばっかり、頭の中での都合のいい空想だけで、物理的現実的には何も行動を起こさず、継続もできず、結果を出せてない人は、

巴マミ「死ぬしかないじゃない!!」

だもんね。

現実なんて見ちゃダメよー?何かができる人はみんな、生まれつき才能を持っていて、なんの苦もなく、それをできてしまっていたの!!いわばズルよ。才能という、ズルい運をたまたまひいた、卑怯者w
(だから、なんの才能もないなかで、何も結果を出せず、パッとしない在り方でもウジウジどうにか生きてる私のほうが百万倍凄い!と、いつまでも永遠に頭の中で空想して自分を肯定して褒めて、それを『自分を愛する』ことだと思い込んでい続けたほうが、いいよ……)

永遠に醒めない幻想に浸れるのも、この世の素敵な恩恵の1つ。でしょ?(with笑顔)
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