霊視は、「他人の立場に立って考える」格好の練習様式2

まさかの(誰も望んでない)第二弾。

いやね、昨日のブログは、書いてる途中で、もともと書きたかったことからだいぶ、それてしまったので。。。

何が書きたかったかというと、霊視による恩恵について。
(昨日のは、お小言っぽかったし)

例えば、もともと私は、「なんで大企業の正社員にならず、フリーランスなんていう、不安定な在り方をしている人が、この世にはいるんだろう?」という疑問を持っていました。

それについていろんな人に尋ねても、フリーランス当事者に尋ねても、納得する答えは得られずじまい。

で、霊視ができるようになって、大企業に勤める人の思考、大企業の経営側の思考、大企業の集合意識、フリーランスの人の思考……などと、順繰りに、丁寧に、読んでいったんです。

ら、ようやく納得のいく答えに行き着いた、と。

単純に言えば、「もし、現在フリーランスとして活動してる人が抱いている意向を満たす、大企業の正社員の採用枠があるならば、べつにいいんだけど」というものでした。

企業には企業の意向があり、社員として迎えるうえでは、当然、期待する働き方(往往にして、その人自身が抱いているマインド)がある。お金を払う以上、そこを満たしてくれる人材じゃないと、正社員には、できない。

一方、フリーランスの人には、(『あえてフリーランスとして働く』ということにこだわりがあるわけでないならば)これこれこういう動き方をしたい、という意向がある。で、たまたまその意向を満たしてくれる会社が存在しない、というだけ。

……的な仕組みでした。

また、学生〜会社員時代の私はどちらかというと小心者で、独立はおろか、転職だって絶対に無理!というくらい、社会を世渡りしていくうえではオドオドしたスタンスでした。

とにかく、どこか安定した会社に正社員として勤めて、お給料をもらわなくては、餓死してしまう。
それが、ものすごくリアルに感じられていました。

でも、そのパラダイムすら、私がたまたま持っているものでしかなく、この世の唯一の真実でもなんでもなかったんですね。
周りの人もだいたいそう、といって「これは私1人が感じているわけじゃなくて、みんなそう」と言い張る人もいるのですが(かつての私もそうだったのですが)、それすら、意図が電磁波として物事を引き寄せたり反発させるのですから、自分と類友ばかりが周りに出てきて当然だったのです。
(この、『ほんとに地球人類全体のみんな、というわけではなくて、その時点の自分と同じ思考や在り方の人同士が引き寄せあって集まってるだけの、(局所的・一部的な)みんな』から賛同を得られると、人はとたんに、自分の考えがおかしくない、正しいと今度は自信過剰になって疑わなくなる傾向があります)

つまり、「べつに正社員という立場に食らいついてなくても、金くらい、どうにかなるだろ。つか、どうにかするのが人間じゃね?」くらいに捉えていて、会社員でなくなることについてそこまで危機感を持っていない(もっといえば、会社員になることにメリットを感じていない)人も、わりとたくさんいるんだ、ということもわかったのです。

もうそうなると、会社の正社員になることと、自分のやりたい仕事を遠慮せずやることを天秤にかけ、消去法的にフリーランスを選ぶということだって、あるわけじゃないですか。

単に、そういう仕組みが成立してるだけなんだ……と、あっけにとられました。
(し、こういうふうに、他人のパラダイムを、自分のパラダイムから抜け出して、霊視を通じて観て感じたことで、視野が広がりました)

で。

よくよく調べていくと、実はフリーランスと捉えられがちな職種(芸能人など)も、探せば、実は「給料制(実質、芸能の仕事を担当業務とする、サラリーマン)」を採っている事務所はあるんですね。

時代を遡れば、戦後にテレビがまだ

「はぁ?家庭で映画が観られる?テレビならではの番組がつくられ、放送される?そんなの誰も見ないよ。やっぱり、映画なら映画館で、芝居は舞台でナマを観ないとw」

とバカにされ、ほんとにどうなることか誰にも予測がつかなかった頃は、NHKがテレビでの演劇放送などを普及させるために、社員的に給料を払って俳優を採用していた時期もあったわけです(黒柳徹子さんなんかは、まさにそうですよね)。



……というふうに、霊視を通じて他人のパラダイムに入る。そして観えてきたもの感じたことを自分のパラダイムで裁いて拒絶したり否定したり攻撃するのではなく、「ふぅ〜ん、そういう人もいるのか」と受け止め、参考になる点だけを、受け入れる。

というプロセスは、人間として単純に社会見学というか、ためになったし、霊視をせず人と会って会話などいわゆるフツーの方法でコミュニケーションをとっているだけではおそらく絶対に?見えてこなかったであろうことまで、瞬時にサクサクわかることができたのは、単純に、恩恵だなぁ、と感じます。


べつにね、困っている他人を癒すために身を捧げなきゃいけないわけじゃないんです、霊能者は。

あくまでも、1人の人間として、自分が知りたいことを知ったり、わかりたいことをわかるために、できる方法を採る。行動する。そのための霊視だって、あるんです。

これを言うと

「えー!? それって、私利私欲ってやつじゃなーい?せっかく特別な能力を授かったのに、自分のためにしか使わないなんて、バチが当たるよー?」

と言う人がいるのですが、これがその人の思い込みにすぎないことは、おわかりですよねw
(だって、霊能力は、覚醒の度合いは個人差があれど、人間全員に等しく、可能性としては与えられているわけですから。それを伸ばすか伸ばさないかは個々人の自由意思による決定に委ねられますし、それを自分自身のことに使うかどうかを決めるのも、自分次第。本当の意味での神は、人間の自由意思による決定を裁いたりはしません。裁くことがあるとすれば、人間が神格化して捉えている霊体連中に過ぎません)

この世は楽しむためにあります。
(苦しみという楽しみを味わうことを選択している人が多いようですがw←でもこれも納得。ほかの時空間では、一切のネガティブが存在できなかったり、あるいはネガティブすぎて苦痛を味わう余裕もなく暗黒に呑まれてしまったりするんですよね。健康な肉体のままで、ちゃっかり食事や睡眠、冷暖房完備の日常生活という旨味も味わいつつ、『つらい苦しい死にたい』と、生ぬるく、苦しみごっこを味わえるこの地球はまさに、なんちゃって苦労人をやりたい人からしたら、絶好のエネルギー環境なわけです)

自分に正当に与えられた、霊視能力というスキルを、自分の興味の赴くままに使って、見えてきたことから学び、楽しむ。

それのどこが悪い!って感じです。個人的には。

(ここまで書いて、それでもなお
『でもォ、でもォ……』
と思う人が多いのも、わかってます。ただ、それはその人の問題であって、私が一瞬たりともそういう人の『でもォ』に付き合う義務も義理もないので、『好きなだけ悩んで楽しむといいよ♪』と笑顔でスルー)



あー、でも、ここまで書いてきて思うのは、

「霊視で観えてきた、他人の思考に対して、自分のパラダイム・価値観に照らした批判や拒絶、憎悪をしない」

のって、相当な美徳マスターじゃないと、できないのかも。

不寛容で美徳ガタガタ、それどころか悪徳まみれ……という人だと、たとえば

「失礼な!」
「不愉快だ!」

という発言に集約されますが、自分を不機嫌にさせた相手が即座に悪いと断じる狭量さを持ってますよね。

そう在り続けることは本人の自由でもあるわけですが、何か自分の意向とそぐわない物事や考えにぶち当たるたびに

「失礼な!」
「不愉快だ!」

でふくれっ面してコミュニケーション断絶……みたいな精神年齢幼稚なガキは、霊視能力なんて発達しないし(昨日のブログに書いたセーフティネットがあるので)、せっかく自分の中にはない考え方などに触れても、それを拒絶して攻撃するだけで何ひとつ学ばない、取り入れることもしないなら、霊視損ですよね。

霊視できる人が少数派なのは、やはり、不寛容で美徳ガタガタ、それどころか悪徳まみれ路線の人が、まだこの時代の地球人類には、多いということでもあるんでしょうなぁ。。。合掌w
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