上達のとき感じる「キツさ」の原理&それが必要な理由

肉体がコップのような器だとして、そこに水(≒生命力エネルギー、気)が入ってるとします。
そして、コップには圧力(≒エネルギー体)がかかっているとします。

エネルギーヒーリングの観点からすると、コップに均等に、そのコップが安定できるだけの圧力がかかっており、かつ、澄んだ水が完全に満ちている状態が、いわば「健康」といえます。このとき、痛みや苦しみは心身ともに感じず、むしろ幸福感や快適さを感じます。

なんらかの痛みや不快感、疲労感、だるさ、(健康な睡眠リズムからみて望ましい心地よいものではなくて、気力が落ちたという路線で感じる)眠気etcというのは、上記の健康な状態から歪みが生じているということですね。

レイキや気功などの各種エネルギーヒーリングは、たとえばコップの水(≒気)が不足しているならばそれを継ぎ足し、濁っているなら濾過するといった働きかけをします。
コップにかかる圧力を調整する(≒エネルギー体を整える)メソッドやエネルギーヒーリングもあります(ただの体操ではなくて精神性を失っていないヨガなどはそうですよね)。

で。
ここではヒーリングについての話は置いておくとします。
物事の上達についてです。

芸事でも勉強でもスポーツでも、今できないことを練習してできるようにするときは、必ず「キツい」と感じます。
それはどうしてかというと、慣れ親しんだ動き(それが勉強のように、肉体の手足は動かしていないものであったとしても、脳を使うという意味では間違いなく運動です)以外のことをするからです。

コップ自体が、シリコン素材のように、ぐにゃりと曲がる材質だとしましょう。
コップだけ曲げようとすると、それまでコップにかかっていた圧力の関係上、曲げたところに強く圧力を感じます。
これが、キツさです。

コップはそのままだとして、圧力を変化させる場合にも、今度はコップがそれまでと違う圧力に晒されるのですから、その影響を受けます。強い圧力がかかりすぎると、コップにヒビが入るかもしれません。
これが、キツさです。

コップと圧力がうまいこと調整をとって動くようになったとして、今度はコップの中の水が、ちゃぷちゃぷ揺れたりして、静止していたときの在り方からは変わってしまうこともあります。
これが、キツさです。

「それまでできないこと」を「できるようにする」以上、その過渡期にキツさ(つらさ、苦痛、面倒くささ、ストレス全般)がかかるのは、こういう仕組みにより、最低限は仕方ないことなんです。

キツいと感じるのを、継続的に刺激を与えることで徐々にほぐしていき、そのうちスムーズにできるところまで持っていく、と。
(こうして練られて極められて、エネルギー体が変質し、シュタイナー曰くのブッディやアートマといった霊体に鍛え上げられていくのですね)

(最低限以上の苦しみを生み出すのは、その人自身の思考で、たとえば被害者意識を抱いたり、自分の境遇を『とても不幸なこと』と定義するがゆえに深く傷つき悲しみ怒り……という仕組みです←なので、その苦しみは、思考のワークでとれる。というか、『今後、生み出さないようにできる』)

裏を返せば、ちゃんとキツさを感じていれば、上達しつつあるというバロメータでもあります。
(ただし、単に不自然な動きで体をひねったので痛い、など、上達のためのキツさとは別の要因で生まれているキツさかどうかは慎重に見極めること)

しかるべき指導者に師事して、おかしくないやり方で練習して、感じるキツさ。
それがまさに、「伸びてる」証なんです。



私がこのことを強烈に意識したのは、ピアノででした。

ピアノ(など何か楽器)を習った人は、ある難易度までは、さらっとできるんです。
で、そこから先、その人が本気で上達しようと思ってなかったり、アマチュアで趣味でと割り切ったり、あるいは本気で伸びたいと言ってるわりに上達に差し掛かったとき訪れるキツさを嫌がって練習をそこでやめてしまう人は、そこどまり。
(その代わり、そこから何十年ブランクがあっても、いったん到達したところまでは、すぐ弾けるものです。指の筋肉がなまって物理的に動かない、などの場合はリハビリが必要ですが、脳は、習得した動き方はすぐに再現できるのではないでしょうか)

今できないことをやれるようにするときの、あの「利き手でないほうの手で筆記具を持って文字を書く」ようなイライラは、発狂モンではないでしょうか。
でも、そのイライラをどうにかやり過ごして、しかも「できたつもり」ではなくて、「ちゃんとできた」ところまで、持って行く。途中でやめない。あきらめない。「完璧じゃないけど、もうここで十分」という妥協もしない。
その、ストイックな何か、現時点での自分の限界を超える動き方が求められるんです。

これは、柔軟体操や、学力、筋トレ、マラソンなどわりとどのジャンルでも同じことがいえます。
(なかでも柔軟体操は、ヒーリングエネルギーを流しながらやると、ものすごく、できないことをできるようにするときのキツさが緩和される実感あります。筋トレやマラソンなどは、休憩のときにドラクエの『ホイミ(回復呪文)』をかけるみたいにヒーリングすると、それをしないときに比べてバテず、また上達も早い実感があります)
(勉強に関しては、キツさに耐えて何か新しいことをどうにかゴリゴリ習得した後、休憩のときなどに、セラフィムブループリントのレベル2−1エネルギーを流すと、いま勉強した箇所をスムーズに使いこなせるように脳のエネルギー回路が整備され、次からはラクにサクサクできるようになる実感もあります。あくまで個人の感想ですが)



まったくキツくないのに上達する、ということは、おそらくですが、ありえないと思います。
それか、ものすごく初歩の上達で、キツいと自覚するほどでもないキツさが実際は訪れているのに気づかず楽チンにスルーしてしまった場合。

いずれにせよ、何か上達する際には、避けられないキツさが訪れるといえそうです。
(例外がもしあるとすれば、上達という形で心身霊体を鍛えるのではなくて、あらかじめそれができる心身霊体を新たに創って、それと現時点の心身霊体をまるっと置き換えるというやり方でしょうか)

キツい思いをしたくなければ、上達なんて望まなきゃいい。
上達したければ、最低限度のキツさは覚悟の上でやるべし。
……ってことなんでしょうか。ね?
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