東大教授が教える独学勉強法

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東大教授が教える独学勉強法東大教授が教える独学勉強法
(2014/07/17)
柳川 範之

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いきなり勉強してはいけない。
まず、正しい「学び方」を身につけよう。


と表紙の内側に書いてあります。

著者は中卒のあと大検をとり、通信制の大学を経て東大教授になったという、変わった経歴の持ち主です。
なぜ学歴が一貫していないかというと、父親の仕事の都合で世界あちこちを引っ越しして回る生活だったため1カ所の学校でずっと学ぶというスタイルをとれなかったためだそうです。

インターネットも、今のようにわかりやすい教材もないなか、ただただ文章が続くだけの参考書などを日本から買い込んで海外に移り住んだ後で独りで読んで勉強する、ということが多かったらしく、それ故に独学家とでも言うべき勉強のスタイルを究める?ことになった的な。



内容ですが、これは(Amazonのレビューで実際そうなっているとおり)賛否両論だろうなー、と。

いわゆる勉強テクニックを教える本ではないため、ノウハウ・情報として「独学勉強法」を知りたくてこの本を読んだ人はがっかりすると思います。

むしろ、学問の王道というか、小手先の知識や試験解答テクニック、情報をいかに仕入れてチャッチャと付け焼刃的にその場しのぎをするか……とは真逆の、

「情報に頼ることなく、いかに思考するか」

を、訥々とした文章で素朴にじわじわ、語りかけてくるスタイルです。

本当の意味での知性を養う勉強とは何か、どうすればいいのか、の片鱗が、ちゃんと読めば把握できるかもしれません。

が、(学問の分野では門外漢とさえいえる私が言うのは非常におこがましいかもしれませんが)年寄りの話の深みは年寄りにしかわかりにくいというのと似ていて、この本に書かれたことというのは、ある程度以上、何かを勉強というか研究というか、それこそ独学ででもいいから学んできてその中でいろんな気づきを得た人が

「うんうん、そうだよねぇ」

と相槌を打つことでしか同意できないのでは……と感じました。
(勉強とは何か、どうやるかがわかっていない、まだ(学校で無理やり授業で習うのとは別に、自発的に)勉強らしきものをしたことがない人がいきなり読んだら、全然わけがわからないフワッとした抽象論にしか感じられないのではないかと感じました)



上記のような理由から、私としては

「今すぐ受験に役立てたい!」
「資格、会社の昇進試験に合格してキャリアアップしたい!」

という即物的な勉強テクニックを素早く仕入れたいという人より、これまであまり学問と縁がなかった、自分の学力や学歴に自信があるわけでもない人(たとえば主婦経験が長い人とか)にこそ、向いてるんじゃないかなぁと感じました。

焦る必要なく、何か決められた正しい1つの選択肢を解答する必要にも迫られず、何か追究したいことを、本当に突き詰める。そういう勉強をちゃんとやるにはどうすればいいのか、という……。

著者いわく、勉強には3種類あり、

1.明確なゴールがある勉強(受験勉強や資格試験の勉強など)
2.教養を身につけるための勉強(趣味的な世界の勉強など)
3.答えのない問いに自分なりの答えを見つける勉強

だそうです。
そのうち、まさに3(←これを著者は『大学で本来、身につけるべき本質的な勉強』と位置づけています)に該当する勉強をする人向け。



個人的にヒーラーとしての立場から言うなら、いわゆるスピ本やヒーリング理論などについて書かれた本を独学する人、セミナーは受講したけれどそのテキストの内容をさらに深めたい人にはうってつけだと思います。

(大学院も出ていない低学歴な私が言うのもなんですが、学問とは……を院の先輩や立派な学者さん方とお話させていただいたりするわずかながらの経験から言ってもいいなら、ヒーリングメソッドを学んで躓く人というのは、霊感や超感覚の向き不向きというのとは別に『勉強のしかたがわかっていないから、何かを教わってもそれを習得するとはどういうことかがわからず、したがって身に付かない。だから、“できない、わからない(←どこがわかっていないかもわからない)”状態に陥っている』と感じます。そして自分がそういう状態に陥っているからこそ混迷しているのだということにすら気づけないから、どうしたらよいかわからず、やみくもにいろんなセミナーに出まくったり本を買って読んだりのグルグルを経て難民化していく的な)

先天的な頭が良い悪いを言い訳にするのをやめて、「誰でもきちんとやりさえすれば身に付くはずの『勉強力』を、これまでしてこなかったから身に付いていないだけ」とあえて捉え、まずは

勉強ができる自分になる(ことを目指す)

というのも、1つの手だと思います。

(って、この本1冊でそれらすべてがカバーできるとは思ってないですし、また著者もこの本のなかで、本が正しいことを言ってない場合もあるからどのように文献と付き合うべきかを指南しているくらいなので)

ご参考までに。
P.S

自分の経験をひけらかすわけでもないのですが、学問としてはたいして貢献していない私でも、たとえば大学生活のなかで学生同士の話し合いをしていても、それがただの雑談というよりは共通のテーマについて話すときは、おぼこいながらも拙いながらも

「それって決めつけすぎじゃない?」
「いい意見ではあるね。一方で○○って考え方もあるけど、それについてはどう反論する?」
「その理屈が成り立つためには、その前提として『〜は〜だ』というのが欠かせないよね?でもその前提が違っているとしたら今の説は全崩壊するよね」

などなど、若気の至りも手伝って、ただの愚かないちゃもんつけも含めてあれこれ議論のおままごとみたいなことをしていました。
こういうやりとりは(とりわけ、高校まで進学校だったわけでない私にとっては)新鮮で、授業よりはるかにためになった覚えがあります。
(同じ大学の同級生や先輩後輩に対してこう感じるのも変な話かもしれませんが、『他愛ないおばかちゃん同士に見える学生でもこいつら1人1人がそれぞれ高校までの間にそこそこ以上に卓越した何かを培って来た、優秀な何かを持ってる人ってことだよな』という想いは常にあって、日々、人付き合いが勉強というか、『コイツはどんなところが凄いだろうか?(表面上のバカっぽい感じや、ほんとに欠点としてのコイツのどうしようもなさのほうに目がいってしまって、かけがえのないコイツならではの美点や学びうる参考ポイントを逃したら損だ)』という気持ちでいました)

もちろん、こういう経験だけをもってして「私は勉強の仕方をわかっている」と豪語するつもりもないのですが、少なくとも

「あぁ、こういうふうにしていけばいいのか(もっとこの分野を伸ばしたかったら、これこれこういう方法を採るという手もありそうだ、というアタリもつく)」

という可能性に気づくきっかけくらいにはなった気がします。

ヒーリングのインストラクターとして指導をさせてもらうなかで、

「あ、この人は霊感や超感覚云々の以前に、『何かを学ぶ、教材に書いてあることや実習したことを理解して腑に落として身につけ、使えるようにする』とはどういうことかが、わかっていないからここで躓いてしまっているんだ?」

と感じることがわりとあります。

つまり、勉強不足。

しかも、何も国語・社会・算数・理科(・英語)といった学校の科目をただ暗記するという意味での勉強ではなく、それこそこの本で述べられているような、

そもそもの、「勉強のしかた」を身につけてこなかった
んだな、という。。。

さすがにそれは、セミナー内の規定のカリキュラムがあるヒーリング講座で教えるべきことではないのでヤキモキするだけで終わるのですが、

社会人に欠けている「勉強力」の補完・補強は今の社会にとって緊急課題・至上命題

とさえいえるのでは、と日頃から思っています。
(もちろん、民衆が頭よくなってしまうと、権力者からすると邪魔でしょうがないかもしれませんがw)

ブログなどインターネットメディアで誰もが気軽に情報を発信できてしまうからこそ、「なにげない一般人」の情報リテラシーというか、モノを言うとは、何かを読み書きして理解するとは、という基本中の基本が大事になってくる印象があります。(←って、言葉で書いたらものすごくええかっこしくて自分でもビビったけどw)

情弱(情報弱者の略)という言葉がありますが、これからの時代、個々人が、べつに会社に勤めるとか取り立てて頭のいい何かをしなきゃいけない立場や境遇にあるとかでなくとも、自分の触れる情報について踊らされず足元もすくわれず、自分のほうで手綱を握って制御して取捨選択をできるようになっていくことは、存外に重要なのかもな、と思います。

スピリチュアルに傾倒する人にいえばそれがまさに顕著で、(もちろん『自分の現時点での思い込みを否定するような理論や説は取り入れたくない知りたくない排除したい』というブロックもあるのでなかなか難しいですが)情報をきちんと受け取る、解釈する、自分なりに主体的に、(破綻した妄想でなく)意味のある思考を通してスピリチュアルな事象や理論と向き合えるようでないと、やばいんじゃないのォ?なーんて思ってみたりして。

ってやだァ、何をめんどくさいこと言ってんのォ?な〜んにも考えないでさ、バカでいいじゃん?困る事ないよw
何をカリカリしてんのw
第一、頭のいい人はスピリチュアルなんて馬鹿げたことを、よりによってブログで書いたりしないから。
ブログなんか書いてる時点で、「そこどまり」ってことよ。優れた人は、本を出す。でしょ?

なーんちゃって。
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