先祖から美徳を受け継ぐ

存在の七層クラス2日目。

レインボーチルドレンでやる、クリスタルレイアウトの形式で、自分が欲しい美徳を備えた先祖からそれを受け継ぐという実習をしました。

自分が欲しかったのは、協調性や謙虚さなど、主に団体行動や他人と関わって動くうえで必要であろう美徳各種。

「自分、団体行動とか苦手でww」

と、欠点の告白のようでいて実は個性アピール……のようでいて結局は人としての美徳の欠如という不良品っぷりの暴露、的なことを言っちゃうクチでした。

でも、それもダサいよねー、と。

で。

2人1組で私が横になり、瞑想状態に意識を運んでもらって、先祖と会う。

たぶん母方なのであろう数百年?前のとある先祖が、田園地帯みたいなところ(おそらく栃木県のどこか)で暮らしており、村の掟を特にプレッシャーとも感じず、淡々とこなしている。

で、協調性というと「主体性が無い」的なイメージあったんですが、むしろ「協調することに主体性を発揮する美徳=協調性」なんだな、と、その先祖のエネルギーを感じて思いました。

協調性を体現する背景には、その前提として

Rigidness(厳格さ)

が必要で、自分や自分が属する団体などのルールに対してまず厳格であることが必要ぽいぞ、と。

この、厳格でありながら協調性も発揮して、実質的に毎日同じスケジュールで同じことをする的なライフスタイルを、

なんのストレスもプレッシャーも感じずにやれてる

有様が、珍しいというか、こんなのってあるんだ?と驚きでした。
(これ、私がヘナチョコの根性なしな自由人?だからこう感じるのかもしれませんが、世間で会社員やってる人たちの大多数は、こうなんでしょうか?)

で、その美徳を10倍に高めて、ダウンロード。

これ、ほんとに低周波治療器を体に当てたみたいに、ビビッと電流が走るような体感があり、全身の細胞にエネルギーが満ちたような、まるで温泉に浸かったときのような安堵と解放感がありました。

えがったー。

でも瞑想中、日本のかつての田舎に生きた先祖を観ているはずなのに、西洋的な雰囲気も感じて、なにこれ?と思いました。

瞑想から戻って、相手の人から
「十字軍の遠征に行ってる人みたいなのが見えた。すっごい厳格で意識が高い感じ」
と言われ、創造主に確認してみると、私が観た先祖の過去生が、十字軍に所属していたのでした。
だから昔の田舎の農村に生きていたとは思えないほどの、自分や周りに対する忠実さ、厳格なまでの誠実さがあの先祖には備わっていたんですね。

……と考えると、先祖が数千年単位で膨大な人数いて、その1人1人の人生がそれぞれにものすごい感動的な、霊的な学びになっていて、かつ、その先祖1人1人がそれぞれ膨大な過去生を持って幾度となく人生を生きている。それを通じて培ったスキルや知恵や身体的特徴やら体質、霊的な美徳などがすべて、自分のDNAに入っている!!……と思ったら、人間1人1人ってどんだけ凄い才能やら美徳やらの宝庫なの!!と気が遠くなります。

才能がない人なんていないね。美徳を(DNAに秘められた領域も含めて)知らない人なんていないね。
あるのに気づいてなかったり、再びそれを自覚的に取り入れること、自分のものとして輝かせることをせずにいるだけ。
(そしてそういって、よくなるほうを指向せずにいるのは往々にして、というか100%、ただのその人のブロック的な思考ゆえだったりする!)


たぶん、これからはいちいちブロックをネチネチ掘り下げて1つ1つエネルギーを変えていくより、こういうカンタンかつ時間がかからない、しかも霊的に見て正統なやり方で、人が本来持っている美徳をチャチャっと取り戻すほうが主流になるんじゃないかな。
(もちろん、『そういうやり方で美徳を取り戻すのを拒むほどたくさんブロックある人』は、まず地道にビリーフワークしてかないとアレだけど)

この実習だけなら、べつにシータヒーリングの講座に出てない人でも誰でもできると思うので、オススメです。

個人的にも、これをやるためだけの実践会とか、積極的に開いていこうと思ってます。

P.S

この実習、その先祖が死ぬまでを早送りで見届けるんですが、やはり

死に様って大切

なんですね。

それこそ、誕生と同じくらい、奇跡的だし、人が頭で考えてるとわからない霊的なものが、そこにあるんです。

それこそ、生まれた日と場所がホロスコープを決め、そのエネルギー的性質が一生、つきまとうわけですよね。占いのことなどその人が何も知らずに一生を生きるとしても、ホロスコープなど諸々の、誕生にまつわるエネルギー的特質は影響します。
また、どんな生まれ方をするかは、前世までを含めたその人のカルマなど諸々の霊的エネルギー事象が絡まって、できてきます。

それと同じくらい大きな、人間が思いつきもしないエネルギー事象との絡みが、死に方にはあるみたいなんです。

だから、変な話、先祖や子孫、ソウルファミリー、今生で知り合った人たちなどのことも考えると、前向きな義務感?で、迂闊な死に方しちゃいけないな、と思いました。

P.P.S

この実習をやる数日前、俳優のロビン・ウィリアムズが重度の鬱からの自殺と思しき死を遂げたことを知りました。

ちょうど日本でクレイジー・ワンという、彼が主演の陽気なドラマを観ていた時期でもあり、また「フィッシャー・キング」や「バードケージ」などの映画での彼の演技が私の中で物凄く大きな存在になっていたので、鬱で自殺という最期を遂げた(ということにされている。それが真実かどうかは別として、世間でそういう扱いになっている)というのが、自分の生きる信条の根幹を否定されたような衝撃として感じました。

自分の命なんだから、どう死のうが勝手、という考え方もあるとは思います。

それを他人が「いいや!そうじゃない!」と言う権利は無いと個人的には思います(し、私も自分の死に様について他人から何か言われたくはありません)。

ただ、どんな死に様かも含めて、ある人の人生物語の1ページだし、その作品?としての人生がどんなものであったかが、他人にとって大きな影響を与える場合もあるわけで。

自殺という死に方を問答無用に「悪い」とするつもりもないけど、他人の自殺にこれほど動揺?して考え込んでしまう経験を自分自身がしてきているので、自分のときはどうしよう?と考えてしまうなぁ~。

他にも、私が好きな作家、森村桂や鷺沢萌などが軒並み自殺しているので、複雑な心境になってしまうんですよね。
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