シータヒーリング、マンツーマンレッスンの感想

いただきました。

レッスンの直後にそのままセッションも受けてくださった方です。

レッスンとセッション、かなり大きな変化だったのかあの後夜中から土曜日にかけて熱出して爆睡でした。
そして起きても寝ててもなんだか何がどう変わって行ったのかにびっくりしてて確認作業してるみたいな感じでした。
自分にとって○○とはそもそもこういうものだ、という前提がとれて(変わって)、パラダイムシフトが起きる、中・上級者ではこういうワークをするんだよ、というのを実際に体感できたのは自分にとってはとても大きかったです。
基礎・応用講座でお世話になった時のように「おおお〜!!」でめっちゃ楽しくてワクワクしました!

あと、セッションで前提が変わった直後に「自分でディバインタイミングを観に行く」をやった時から少し「あれ?」と思ってはいたのですが今日気がついたのが七層につながること、シータでコマンドするにしても、何かをみてみるにしても、謎のどっこいしょ感が消えてフットワーク軽くなっていたのと前よりなんだか一歩進んで詳細に見届けられてるのかな?
ということです。

電車や食事の際の席を確保したくてコマンドしてみると大体どこらへんのこんな席に座れるよ、というのも割と前より詳しくみえたり、急ぎの電話をかける時に携帯が電波が悪いところでもさくっと通じるようにしたりとか。
前は使い方も習っていて使えるのになぜか使わなかった(無意識に制限したり、面倒がっていた部分?)部分でも今は使う事やコマンドの効きがスムーズで自然になってて、前よりなんだか抵抗減ってる???という感じです。


あざーす。

パラダイムが変わる体験は、シータヒーリングのセッションを一度受けた方でも、基礎DNA講座のペアワーク実習でも、感じる(ことになるワークをする)人は、います。

が、本当の、、、というのがおこがましいなら「大幅な」パラダイムの変化、シフトを体験するというのは、もしかするとシータヒーリングの中〜上級者になってから、セッションを受ける側も、あらかたブロックらしきブロックはとれて

今のままのパラダイムで生きてると、もう果て&底が見えてて「そこから先」がないと感じるようになるあたり

でないと、ないかもしれません。

パラダイムシフトの定義は個々人が好きに捉えていてもいい、というのを前提としつつもあえて、1つの見解としてここに示すならば、たとえば

「前は勉強が嫌と思ってやらなかったけど、セッションを受けて『できる!』と思えるようになったので、嫌だけどやれるようになりました」

という人がいたとします。それをもって「パラダイムシフトが起きた」と捉えているとします。

さて、どうでしょう?

ここで変わったのは、「勉強をやらない→やる」というビリーフ(≒信念)であって、「勉強は嫌なもの」という、パラダイムは同じなのがわかりますか?

もしここでパラダイムシフトが起きるとするならば、

「えぇーっ!?勉強って、こんなに素晴らしくて尊い、楽しいものだったの?知らなかった!!」

などと、勉強という概念・事象に対する認識や定義、観点といったものが根底から変わる場合ではないでしょうか。

ビリーフが変わることと、パラダイムが変わることの違いは、べつに「これが正解!」と万人に共通のものではないにせよ、上記のような1つの見方を、できるようにしておくと、カウンセリング型のヒーラーやセラピストをする人は、有益なんじゃないかなぁ。

この例はパラダイムシフトのなかではかなり規模が小さく、卑近といってもいいような変化でしかないかもしれませんが、本当〜〜〜〜に、大きなパラダイムシフトを経験すると、それまで生きていた世界といま生きている世界が本当に同じものなのだろうかと怪しくなる(←これ、べつに精神異常をきたしたからそう思うようになったとかではなくて)ほどです。

感想をくださった方が書いているように「起きても寝ててもなんだか何がどう変わって行ったのかにびっくりしてて確認作業してるみたいな感じ」が続きます(徐々に慣れます)。

これねー、経験してないのにできたつもりの人との見えない壁があるの。

A「パラダイムシフトってのを経験した!びっくりした!」

B「ハァ?今頃?あたしは前から経験してるよ。べつに驚くこともないじゃんw」

この会話で、本当にパラダイムシフトを経験したのがAさん、本人はしたつもりになっているが経験したことがないのがBさんと捉えてください。

かくしてBさん側の人は、「私はできている!」という想いに微塵も疑問を抱くことなく、Aさん側の人間が話すことを「自分も経験してわかっている」という誤謬コミで聞く状態から脱却できないまま鼻高々になったりする……という罠w
(べつにそれがいけないということでもないんですが)

本当〜〜〜〜の、パラダイムシフト、あなたは経験しましたか?してみたいですか?

それなら、急がば回れ。

地道〜〜〜〜に、努力しませう!!

P.S

自称「ちゃんとビリーフワークできてる」人にありがちなのは、

「私が○○を苦手だったのは、子供の頃に〜という経験をしたからだ、というのがわかりました。なので、そのトラウマを癒して、『○○が苦手』というビリーフを光に還して、代わりに『○○が得意』というビリーフをもたらしました」

というやつ。

これね、「なぜ子供の頃に〜という経験をした(くて実際に具現化して経験した)のか。そんな苦い経験をしてまで自分が学びたかったことは何なのか?(それはきちんと学びきれたか?『学びきれたからもうこれ以上、繰り返し経験する必要はない』と心底、納得できているか?)」という視点が抜けてるんです。

そこが大事なわけですよ、現実を変えるうえでは。

たーだ、こんなビリーフがありました、こんなトラウマを抱いていました、こんな契約や誓いがありました、だからそれらをコマンドで光に還して癒しました……。これでほんとに癒えると思ってる?

なんのためにそんなエネルギー状態でいたのか。
一見、ロクなことがなさそうなそんな状態を、よりによって第一希望として望み、現実を具現化するほど強固なビリーフやトラウマ、契約や誓い、呪いといったエネルギーを備えた状態で今まさに生きているのは何故なのか?


それを明らかにしないと、癒せるものも癒せない。

もし、単純にコマンドでそれらのエネルギーを解消してしまったとしても、そんなのは逃げ。

カルマによって、いったん学びを終える前にエネルギー状態だけコマンドで解消してしまったことで学び損ねたことは、再度また、学べるように戻ってきます。

つまり、いったん解消したつもりになったエネルギーが、また戻ってきて、それにより創られる現実のトラブルに悩まされるというわけ。

学びを完了させるのが優先

なんです。

(と書くと、『あ、そっか。じゃあ……この学びを完了させていいですか?』とかやっちゃうお気楽極楽な人、いるんだよなぁ……←それほんとに創造主がやるとベスト、って言ってきてる?知識をもとに自分の頭で判断してないと断言できる!?コマンドによるエネルギーの強制操作で完了できる学びって結局何?それだと『学び』の定義からして怪しくなるよね?)

こう言う(or書く)と、

「えー?そこまでやんなきゃ駄目ですか?そこっ、までっ!やらない、と!駄目!、ですか?(←遠回しに、『いいや、これまで自分がやってきたような、もっと浅いワークでも、充分だ。ちゃんと変われてるはずだ』という主張が入ってる)

うーん、それはさ、創造主に尋ねるのが正解だと思うよ?個々人のワークの詳細をつぶさに見たうえで総括なんてできてるわけないし。これすら一般論のうちの1つだし。

なにより、ビリーフワークが功を奏したかどうかは、何よりもワークをしてみて生きる現実が物理的にでも精神的にでも変わったか、でわかりそうなもんじゃね?
(ここをおろそかにして、屁理屈こねて『これこれこうだから、ちゃんとエネルギーは変わってる』と演説をぶっちゃう人いるんだよなぁ。そんなご立派な理屈を並べ立てずとも、現実をパッと見て変わってるかどうかで判断しろよ、という……)

あと、深いワークが時間がかかるというのも決めつけだし(ある程度の場数と時間が実質的にかかるというのは、ワークをするうえで人間の脳でメッセージを処理したり、言語を使って会話とかをする以上、これまた然りだから『全然時間かからずにできる』とも言い切れないけどね……)、短い時間や対話の言葉数が少ないワークがすなわち、浅いワークとも言い切れんし……。

(つか、いちいち食ってかかる人って、どうしてそんなに『すべてを一言で完璧に言い表す理論』だかを相手に要求するんでしょうか)

あえて大雑把にいうなら、

「なんたってこのワークは効いてる!」なんてわざわざ声高にあれこれ言葉を尽くして説明しないといけないような事態(≒ワークをした結果、現れてきてる現実)なら、そんなたいして効いてない証拠

だと思うよ?

ほんとに変わったら、いちいち「私は変わった!」なんて自分から言わないし、そもそも変わったほうの現実を満喫するほうに意識がいってるはずだし(だから、変わる前の状態を自分の立ち位置にして『変わった』と述べてること自体が、胡散臭いんだよね)。

本当に変わったら、周りが気づく&放っておかない

はずだよ?

人が良い方に変わったなら、良い方へ変わるのをよしとする(≒ブロック万歳側でない)人たちから支持されてチヤホヤされて、どうやったの?と尊敬のまなざしで質問責めに遭う筈。

(そうなることが確実に、ワークが効いた絶対の証拠ってわけでもないっちゃないけど)それが自然と起こらないってことは、ようするに、たいしてワークはできてないし変わってない、ってこと。

……なんじゃない?

なーんて。一個人の意見です。

(このね、意見を『これは意見です』と述べたにもかかわらず『思い込みを(そうと気づかずに)書いてしまっている(愚かな浅はかな)人』という評価をする人、いるんだよなぁ……。ほんと、おめでたい)
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