なぜ母親を脅威に据えておくのか

他の方のご多聞に漏れず、私も親との関係ネタは無数にあります。

そのなかで母親の存在というのが自分の中では脅威となっている……らしい。

らしい、というのはどうしてかというと、自分の顕在意識ではべつに「母ちゃん恐い!」という意識は無かったし(弟妹たちが母親をまるで恐怖の女王みたいに畏れ敬ってるふうなのを『?』と客観的なところから見て思ってたほど)、確かに今でも許されるならボコボコにぶん殴ってぶっ殺してやりたいという憎悪は凄まじいものがあるけれど、

「親子って、そういうものでしょ?」

と笑って受け流せる程度にはオトナになった感じでいたので。

でも、とあるヒーラーさんとワークしてて、母親の存在……というか、今回の肉親としての母であるあの個人としての女性1人ではなくて、「何か、モンスター的にしっちゃかめっちゃかなことをしでかす、権威的な立場にあるわりに問題山積の困った女性」というものをあえて自分の中心に据えておく(のを良しとする)のが、信念体系の軸になっているとかで。

それでワーク開始。

ちょっと論理的には飛躍するかも&掘り下げの深さが前後するかもですがワークの概要を順に述べると、

自分がもし、やりたいようにやれて、自分の目指す生き方が実現できてしまうと、過去生などでもやってきたし、この世でもうすでに誰かが体現した波動のエネルギー的在り方になってしまう⇒それは意味がない
(この世にまだない波動の波形を具現化することを、自分の魂が望むことよりも優先している)

だから自分の望むように生きることを妨げる存在がいたほうがよい⇒それをいろんな理由(←ここ割愛します)から、「モンスター的な女性」が目の上のタンコブ的に居座る図式を選んだ
(実はほかにも、寄生虫的な人間に自分のエネルギーを吸い取らせる、など複数の図式を採用してはいたのですがここではワークの対象外とします。すでに解消済みのものもあるし)

なぜか。

「人間が何より最優先すべきは、個々人の魂の本当の望みを実現することなどではなくて、とにかく、『これまでにない新しいエネルギー波動の新発見&具現化をすること(だけ)』なのだから、神聖な計画がどうのこうのなんて話はガン無視して、とにかく自分はやりたくなくてもなんでも、人類全体の、そしてこの世の繁栄のために新しい波動の具現化のために尽くすべきだ」
という、ルシファー由来の契約発見

新しい波動の具現化の方向性として「ポジティブなものはすでに出揃ったので、ネガティブなバリエーションをもっと増やしていかなければ」と思い込んでいた⇒これだと、わざーと、変な失敗をあれこれいろんなバリエーションで繰り返す動き方をする。ので、結果的に人生はロクでもない感じになっていってしまう
(実際は、ネガティブのほうが限りがあり、ポジティブな波動のほうが無限のバリエーションがある)

よく考えたらここまで述べたことは他人様にブログを通じて書くほどに知り尽くしているはずなのに、どうしてわざと、ルシファーの契約さえもを利用していたのか。ほんとはモンスター母親とかその背後にあるルシファーの契約さえもが、「自分にとって都合がいい在り方を実現するための駒」として利用しているのではないか

部分的に解消済みだけど、「人類は失敗作だということを証明したいため、わざと貢献するような動き方をしないのをよしとする」などの信念実現のためのツールとして上記の呪いなどを利用していたことを思い出す

駒として契約などを利用する理由としての土台はまだ見えないが、とりあえずメリットはもう無いので契約などあらかた解除

意外にも?ルシファーの契約があったから問答無用にエネルギーの自由が制限されていただけで、それを解除したら「怨みを原動力にするため腎臓などに多大な怨みを溜め込み続けるのをよしとする。解放するのを許さない」的な信念の縛りも消えてしまった⇒単純に、臓器やエネルギー体に溜まった想念を解放

ルシファーの契約があったため入っていた、信念の無限ループ(土台がなく、というかそのループを構成する土台の連鎖すべてがある意味では土台で、そのパーツの1つとしての土台だけを置き換えようとしても、理屈による納得が不可能にさせられてる)がどこにどうあり、どうなくなったのかを信念体系全体を見渡して確認

特に置き換えをするとか新しい信念や感覚、真実を呼び覚まさなくても
「もし、この世にもたらしたい新しい波動とやらがあるのであれば、ネガティブは出揃ったからポジティブ側の無限を実現したほうがよい。そのためには、どこにでもあるしみったれた不幸や失敗の図式にハマってたらむしろ実現不可能で、他人任せにしたり他人のために自分を犠牲にしてたらなおのこと無理。自分ならではでしか具現化できないポジティブな波動のこの世への具現化は、何よりも自分を最優先に大切にし、自分の願望実現を優先順位の1位に据えること。そして、他人はどれだけ無力で可哀想に見えても、現実を自分で創造し、変えていく力を持った存在だから、『自分を犠牲にしてでも救わなければならない弱者』ではない。もし仮に誰かが『私は弱者だ、助けてくれ』といったとしても、それはその人が自分の持つ本来の神聖さを忘れて、処世術的に他人にすがるという生き方を学習して実践しているに過ぎない。もし本当に他人を助けるような動き方をするのであればそれは、混乱した相手が顕在意識で言うとおりにしてあげることではなくて、本来の神聖さと現実創造できる能力を持っていることとその使い方を教えるという形式を採ったほうが有益。しかも、全人類を救うなどと背負いこむ必要はなく、あくまで自分の願望実現を第一に考えたうえでの納得できる理由や相乗効果が見込めるなら、その範囲内で人助けだかをすればいいだけの話。それは怠慢でも傲慢でもなく、物理的時間的肉体的制約があるこの世の中で動くうえではむしろ妥当」
という、もともと知ってはいたが善かれと思って?契約によるシバリで?適用せずにいた信念体系を自分の軸にするよう信念体系全体を再統合

一般的な論理的掘り下げとは一風異なる流れではあるけど、もうモンスター的女性に人生を妨げられることを第一に良しとする信念体系からは解放された

自分の願望を具現化して生きる感覚、それがどんなものかetcの感覚感情の呼び覚ましで新しい軸での生き方を補強

……という流れでございましたとさ。

実は明言してませんでしたが、シータヒーリングの未受講だった某クラスを生徒として先日受けまして、

・多少の顔見知りではあったけどそこまで親交があるとも思えない年上の女性から、まるで子分扱いをするかのように横柄に馴れ馴れしくされ、そのうえワークのスタイルというかがシータヒーリングのガイドラインからすると支離滅裂な、完全に「みのもんたの人生相談&結局最後は煙に巻いておしまい」スタイルになっており、控え目にそのことを指摘すると
「私はちゃんとやってます!できてます!シータサイエンスなめないで」
と開き直られてしまい、そこで反射的に「このモンスター女性をどうにかしてあげなければ」と思い、そう思った自分について「どうして私の行く先々には、本来自分が進もうとするのを妨げるような、困った年上の偉そうな女性が出てくるんだろう」とツッコミを入れるという経験をした

・善かれと思って親身にワークの相手をしてくれた1人の女性が、普段のその人の実力からするとまったく解せないほど突然、私に対してワークをする段になりヘンテコリンな有様になってしまい、掘り下げというよりは掘り下げの体裁をとったトラウマえぐり出し&嘲りだろそれ的な話の内容&流れになってしまった

という経験をしたんですね。

で、「これ、相手が悪いんじゃなくて、自分のほうで呼んでる!」と直観。それで今回のこのワークをしようとなったのでした。

あ、ちなみに弁明するわけじゃないですが、それこそ日本の純文学や演劇の作家さんみたいに、どれだけ「要素としてのネガティブ波動」は出揃ったとしても、その組み合わせの妙で新しい悲劇、(しみったれた)人間の悲哀みたいなものの描写・創出に使命感?を感じて邁進し、創作活動に励む方を否定するつもりはありません。それはその方ならではの生き方ですし、要素としてのネガティブな波動は確かに出揃ったけど、それこそ音楽理論上はドレミファソラシドは出揃ってもまだまだ新曲が誕生するが如くに、新しい素晴らしい作品は生まれるものと信じております(し、読者や観客の1人として、そういう方々の作品を鑑賞させてもらえるのを楽しみにしてもいます)。

ただ、どうやらそれは私が担当することではないらしい、と。

これ、ワークの流れでは表立っては出てこなかったけれど、「自分を無価値と感じて、違う誰かになりたい」というビリーフとも関連してくるんですよね。

自分のどうやら明るい、ポジティブ側の世界(というんでしょうか)で生きる境遇を無味乾燥なものとして、ネガティブ寄りの生き方をしている人に憧れを抱く……というか。「王子と乞食」ですわまさに。

で、これまで長々と

「成功して豊かに幸せになってなんになるの?くっだらない!そんなのもう飽き飽きだよ!あーあ、ネガティブな人たち、羨ましいなー。だって、演技してるわけでもないのに暗いんでしょ?悪気なく場をしらけさせ、空気を凍りつかせ、周りの人たちを瞬時に不機嫌にさせるあの神業!私はああいうのを身につけたいの!本来は神の一部としての無限の宇宙の可能性を意図で具現化できる力を誰もが持っているのに、その当たり前な真実を『嘘』と100%信じ込んで、むしろ神の真実なんか嘘っぱちだというほうが真実だと証明せねばならない、みたいな深層心理でのビリーフを持ってる!信じられない!すごい、すごいよネガティブ信奉者!どうやったらそんな支離滅裂な非論理的・非合理的・理不尽な在り方を貫けるの?負けた。なんか私、負けた感ある。彼らのほうがすごいと思う。これまでもさんざん誰でも多かれ少なかれ実現してきた、成功だの豊かさの実現だの幸せの体現なんてありきたりすぎてバカみたい!もっと新しいことを、自分にこれまでにないことを体験したみたいよ!」

系の思いで、手の込んだ自己否定に勤しんでまいりましたが、そういう「非行」も、いい加減そろそろ店仕舞いとさせていただきます。

あーあ、ほんとに年貢の納めどきだわ。

でもなぜかいま、ホッとしてるw

最初っから素直になればいいのにねー。

自分、めんどくさっ!
めんどくさいよ自分!!

そんな自分が、カ・ワ・イ・イ・♡(←ほら、結局、本質的にはおめでたいポジティブ側なんじゃねえかというのがバレバレ)
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