霊界と直結した在り方を辞める

ワークメモでござる。

自分は良くも悪くも、「何かと霊界側・天界側の視点から人間界を見るよなぁ」と思ってました。

で、それが恩恵と邪魔どっちになっているかというと、正直いって邪魔になってる割合のほうが大きい感じで。

じゃあこれ、どうにかできないの?ということでワーク開始。

で、理由はいろんな因果があってややこしいので省略しますが、1つには

私 ー 霊界・天界 ( ー 創造主 )

という感じでエネルギーの親和性が成立してたんですね。

もちろん、意図的にシータヒーリングを使うときには「私 ー 創造主 」が成立しますし、常時接続的に創造主と常日頃から情報を得る回線などは、私の自発的行為としてちゃんとできてました。

ただ、何もしなくても、常に霊界・天界とされる領域にうごめく存在たちの気配や動向、気持ちといったものが間近に感じられるんです。

厄介なのは、霊界や天界と呼ばれる領域にいる存在たちでさえ、それこそ創造主の観点から見た最高の真実とは言えない、本人のエゴや独自の信念・価値観に基づく思惑をあれこれ巡らせて持っていること。

それで、例えば肉体的物理的に誰かと話している最中にも、その人の守護霊がまるで嫁の愚痴をこぼす姑みたいに

「まったく、いつになったら~に取り掛かるつもりなんだか。いまの会社?での仕事をやるためにこの世に来たわけじゃないって、いつになったら気づくんだろうねぇ」

などと言ってるのが、わかるんですね。

(このへんは、ドラマ『ゴースト~天国からのささやき』のメリンダや『ミディアム』のアリソンが病院に行くとき、芸能人に群がるファンみたいに霊が寄ってたかってあれこれ言ってくるのを華麗にガン無視するのと感覚が似ているかもしれません)

個人の守護霊レベルならまだマシで、霊界や天界のあるグループの意向(よくありますよね、ある一団だけで『我らこそ、この宇宙を、人類を、よりよく導くための○○計画を発案・遂行せんとする、銀河○○団なりぃ!』的な動きをするアレ←なんとなく霊界や天界は人間界よりは凄くて言ってることにも間違いがないのであろうと盲信するナチュラルサイキック系の霊能者は、完全に信じ込んで『この一団からの情報こそ唯一の真実で、それを正しく把握しているのは私だけ、さぁみんな目覚めなさい!私が真実を告げましょう!』などとなってしまいがちw)などまで間近に感じ取れてしまうと、そこに気をとられるべきでないとは思いつつ、なんだかんだ気になって、彼らの観点から人間や人間界を見て(嘆かわしく感じて)しまいがちw

ましてや大人になって霊的な知識などを仕入れる前の、子供時代には

「大変だ。どうやら人間は、霊や神仏(←この場合は第五層にいうほうを指す)たちからすると、すごく愚かなことをしているらしい。どうしよう、どうすればみんなにこのことを伝えられるだろうか?」

という純朴なテンパりがハンパなかった……。

この件については、この世をよくする!的な誓いを霊界(第4層)に向けてしているところがあったので、なんかその一方的かつ独りよがりともいえる正義感?そして放っておくと世の中はどんどん悪くなるから自分が面倒を見てなきゃいけない(から霊界や天界と近しいエネルギー状態でいるのが望ましいと思い込んだ)系のビリーフの置き換えも実施。

そんなこんなで解消できましたとさ。

えがったえがった。



[補足]
ここに出てくるような、霊界や天界との契約、誓い、自発的に貢献しようとする信念は、無理やり解除したり取ればいいというものではありません。

人によってはある誓いを持ち続けることが神聖な計画(≒ディバインタイミング)の遂行に組み込まれていることもあります。

そういう場合に強引に取るだけ取っちゃえ!的なワークをすると、その人はもう、なんのためにこの世に人間として生きているのかがわからなくなります。そういう人に、(何もわかっちゃいない無知なヒーラー気取りの人などが)「べつに使命なんて果たさなくても、誓いなんて持ち続けなくても、ちゃあんと金と愛情と人からの尊敬が得られて幸せになれるから大丈夫だよ!」などと言っても、その人がこの世に生まれてきた理由をその誓いの完遂(だけ)だと思っていると、効きません&聞きません。
(このへんのことは、応用シータヒーリングの書籍にちゃんと書いてあるはずなのですが……)

一部のシータヒーラーのなかには、それこそエクセルで縦軸に「第五層、第六層」などと書き、横軸に「契約、誓い、約束etc」などと書いてある表(べつにここでいう縦軸横軸に書いてあることが逆でも同じことですが)を用意してそれぞれのマス目に対して「私は第五層との契約がある、誓いがある……」と1つずつ筋肉反射テストを実施していくという手法を採る人たちがいるようです。
そして、そういうふうに表でチェックすること自体は何も問題ないし、むしろ有益で便利かもとも思うのですが、問題は次。

「いまチェックして入っている契約や誓いなどのエネルギーがあったら全部、解除しなさい」

というコマンドをかけてしまうという文化?が一部では成立しているらしい!!

これ、実際にコマンドかけてみればわかるけど、効かない(創造主から『そのやり方だとできない』と言われる筈)ですよね?

しかも、上記のような表だとある意味、まだまだ分類が雑で、「第五層の契約」に分類されるものだって、1人の人がどんだけ抱えているかなんてわかったもんじゃない。

これは私の意見ではなくてヴァイアナもセミナーではっきり明言していることですが、契約や誓いは1つ1つ、どんな内容の契約・誓いなのか、それを受け入れたのはなぜなのか(≒どんなに嫌だと頭では思っていても、実際にそういうエネルギー状態が成立するということは、自分で受け入れたということなのだから、現時点ではそういう契約や誓いを何よりも良いと判断する信念体系が成立している)を明らかにする必要があります。
そのうえで、いまの信念体系に変化させうる余地は無いかを検討し(もちろんあるわけですが)、どんな変化の方向がありうるかを創造主との対話とクライアントの意向を照らし合わせながら話し合っていく。それで、そのクライアントが知らない真実や感覚感情があるために契約や誓いを受け入れるのがベストなのだという信念体系に至っているのがわかったら(ちゃんとワークできたらわかる筈です)、本人の口頭による了解をとったうえで呼び覚ましをしていく。

そして、「あぁ、これなら、契約や誓いを持ち続けなくても、~を~して生きていくことができそうです。それなら契約・誓いはもう要りません」とクライアントが心の底から納得して、自発的に変わりたいとなって初めて、契約や誓いの解除コマンドが(コマンドをかけた後でその人がもやっとしない、など事後に及ぼす影響なども総合的に見て)最高最善に有効になるわけです。
(……っていうことを言うと、顔をしかめて鬱陶しそうに『いいじゃないの、ラクになれさえすれば。いちいちめんどくさいよそんなことするなんて。あー、ウザいウザい』的な反応するシータヒーラー、いるんだよなぁw←もうそういう人は勝手にそういう路線でワークして『ちゃんとシータヒーリングをガイドラインどおりやってるよ?』と豪語でもなんでもし続けてればいいじゃんと思えるようになった。あるいは他人にシータヒーリングを標榜して実施するとかではなくて、自己流でもなんでも、ヘンテコにワークしてどんな副作用や思わぬ悪影響が出ちゃってもいいから自分にワークするなら、そこまで厳格にガイドラインガイドラインって騒がなくても、まぁ本人の勝手だよね、とも思う)

そしてこれが何よりも大事だと思うのですが、何かの呪いや契約、誓いを受け入れた状態で生きていることが悪いわけでも恥ずかしいわけでもない。そして、少なくとも解消できたその瞬間まで、その人がそういうエネルギー状態で生きてきたことは、何も無意味とか無益ということでもない。むしろ、そうある状態で生きて、つらいことでもなんでも、その時点では経験するのがベストだった、ということを認めることではないでしょうか。

ワークをしたとき、何かのイシューを抱えて生きてた過去をバカみたいとか悪く言う&捉える人はいるようです。

でもそれは、今だからこそ言えることであって、その当時はそうするしかなかったし、そうするしかない状態でそう生きることが何らかの理由で必要だった筈なんです。

(ワークをして変化した信念体系での価値観で判断するとこう感じるかもしれませんが)これまでの自分を愚かしく生きたといって恥じたり、当時の自分を責める必要はありませんよね。

やるべきことを、しかるべき時間をかけてやった。そしてそれは終わった。だから次へ進める。進むために自分も変わった。

ただそれだけで、いいじゃないですか。……ってことです。

そして、こういう納得の境地に立つ意味でも、どんな契約なのか誓いなのかも明らかにせず、まるで服についたゴミをとるみたいに「嫌だから取る。ないほうがあるより良いに決まってるらしい」という浅はかな理解で「契約全解除!」みたいなコマンドしちゃうのって、いかがなものなのよ、という主張でござんした。

(さらに言うと、『usamimiはシータヒーラーのくせに、自分の思い込みを書くからよくない』と言う人がいるらしいんですが、それこそ『シータヒーラーは自分の思い込みによる意見を一切、言ってはいけない。言うべきではない』的な思い込みをその人自身が抱いてんじゃないの?と思います。事実、私はブログやツイッターで、『これは自分のビリーフによる意見だな』という箇所については、かなり意識的に『思う』と表記しています。そしてその意見について、べつに見聞きした人全員が賛同しろとも思ってないし、その意見を唯一の真実だ、などと豪語するつもりも毛頭ありません。そもそも意見の主張って、暗に『私は強く信じてこう思うからこそこれだけ堂々と主張しますが、それに対して他人がどう受け止めるかは一切、関与もしないしましてや強要するつもりもありませんよ。むしろ、完全なる同意だと人間が2人以上いる意義が薄れるともいえるから、私個人には見えない、反対意見やどうしてそう思うのかをフィードバックしていただきたい。聞く耳は持っています。ただ、自信なくボソボソ主張したんじゃ相手も反応に困るだろうから的なマナー配慮で、思うことははっきり表明しますよ。そして、返ってきた反応に対して、個人的に思うことがあれば、返します。それが、結果的に相手への反論になるとしても、相手の意見を潰したいとか相手を敵視して抹殺したくて攻撃してるわけじゃなくて、あくまで意見交換の一種としての議論ですよ。無理に統一見解に至らなきゃいけないということもないし、ああ私たち今はどうやってもわかりあえないんですねという結論で議論が終わることもあるだろうし、それはべつにいけないことでも絶対的な悲劇ということでもない。ただそうなんだね、というだけ。もし何かのテーマについて統一見解による合意が得られなくても、相変わらず人間としてお互いを尊重しようという意向はなくしませんし、議論が決裂したことで好き嫌いでいえば嫌いとか苦手と思うようになったとしても、それがすなわち相手の存在を完全に拒絶するということでもありませんよ(たとえば急病や怪我で倒れたら、どんなに議論で対立して嫌いと感じる相手のことでも、救急車を呼ぶとか応急処置をしたりはしますよ)』ということが前提になってるはずなんですよね、真っ当なコミュニケーションの在り方からすると(そうでないと洗脳やファシズムになります)。もちろんこれはある意味では理想論で、精神的未熟さや知能の低さ、エゴの手綱を握れてない度合いによっては、醜い泥仕合にハマっていく危険性も孕んでるわけですが)

はー、長い追記。
これ、ブログのトップページで一覧表示されるときには「READ MORE」箇所をクリックしないと表示されないんだよね。

だから、わざと隠しアイテム的に追記にぶっちゃけトークを書くのが意外と楽しみだったりするw
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