先祖への遠慮をやめる

ワークメモ。

私は自由奔放ふうでいて異常に義理堅く、それが自分の人生を束縛することにもなってる、というのがわりと最近、「解消のしどきだよ」とばかりに出てきます。

で、霊能力やサイキックといった、世間で怪しいとされる方面に進んでほしくないという先祖の願いを感じていて、実質的に霊能者という位置づけの仕事をすることになってる自分を申し訳ないと思う部分があったのでした。

それがつまり、ヒーラーという職種を自分の天職だと認めたり、その方面で全力を尽くして最大限の発展に向けて進んでいく……ということにもなるのでした。

それどころか、

先祖全員の意向を叶える

という自主的義務感を抱いていて、完全にムリだろそれわ、というレベルw

で、信念でも誓いでもなんでも、あるなら解除&置き換え。

我ながらお人好しさ加減にうんざりするなぁ、と情けなくなります。

そういえば私は、子供の頃に母親が登校拒否に陥っていたことがある話を聞かされ、そのとき母の母(私からすると祖母)が娘である私の母に向かって

「あんた、そのまま登校拒否を続けると、留年するよ?下級生と一緒のクラスで勉強することになるんだよ?」

と言ったらしいんですね。

それで母は

「年下からタメ口きかれて同じ教室にいなきゃいけないような屈辱ほどつらいものはない。それなら!」

といって、また学校に行くようになったとのことでした。

母は年齢による上下関係を異常なまでに気にしており、例えば私が大学受験するしないの頃にも

「私の同級生で大学受験で浪人した子がいたけど、卒業後に地元で教員になったものだから、大学で現役合格した元同級生たちが定年までずっと『1年先輩』ということになり、何十年も『浪人なんてしなければよかった。同級生を先輩呼ばわりして、こちらが後輩扱いされるなんて』という屈辱に耐える日々を送ることになって悲惨みたいだよ」

などと、とにかく同じ年齢で差をつけられることが耐えられない!ということを言ってたのです。

それを私はこれまた義理堅く、

「一族で克服しなきゃいけない課題の1つ」

と捉えたんですわw

かといって大学受験を浪人してみせるのも怖くて、それでいて(高校時代、全く勉強なんてしないで遊びほうけてしまったから、それでも受かるようなテキトーな偏差値低い大学に)現役合格してしまったことなども総合的に罪悪感になり、その間をとるような意味合いで1年留年するという手段に出たんですね。

で、新卒では1つ下級生の連中と同期という扱いで入社し、タメ口で話される屈辱にも耐え、というかそういうのを気にしないようにしていき、転職したことで留年したことなどもある意味チャラになり2社めでは自分が大学まで同級生だった年齢の社員たちと「俺らタメだな」という関係に戻り。それで今度は、同じ学年とされる年齢でも下級生とされる年齢でも、出世の度合いや取引先の社員だと敬語で話すべきだったり。

そういうあれこれを通じて

「別にある時期、同じ学年とされる人たちやその上下級生という関係だった人たちでも、それは絶対的なものでも永久普遍のものでもない。何年生まれとか年上年下なんてものにかかずらって生きてると、もっと本質的なことを見失ってしまう。社会的マナーとしては上下関係などを尊重して場面に応じて敬語やタメ語を使い分けるけど、どれもコミュニケーション上の便宜のためであって、相手を1人の人間として大切にする点では変わりないし、逆に自分が年上だからといって年下に威張っていいとか、年下の人間を見下していい根拠にはならない。つまり、年齢による上下関係なんて幻想を絶対の真実であるかのように捉えるのは誤謬だ。この結論をもって、私は親が克服せず放置して子供の代に継承したカルマ的課題を克服したぞ!」

と、母から勝手に持ち越して引き受けたつもりのイシューを解消したような気になったりしてw

(ここに挙げた例以外にも、親より上の世代の一族がスルーした課題各種を、自己犠牲みたいな精神で体験をもって克服したことにする……みたいなことを、親孝行・先祖孝行と信じてやってたんですわ)

アホかw

お人好しもいい加減にしろって話ですわ。

先祖のカルマを、自分の人生を犠牲にしてチャンスを棒に振るようなマネまでして克服してあげて、どうすんねん。
それも、ありとあらゆる先祖のすべての課題を、なんてやってたら、それこそ自分の人生、台無しやわ。
(それでもこういうことに身を捧げると思ったのは、『自分は今回の人生で子供を持たないだろうから、せめて』という思いがあったという……)

わっけわかんねぇ。

でもってこんなこと自主的にしておきながらも鬱憤は溜まるから、

家族は鬱陶しい
血縁は呪わしい
人と関わるとロクなことがない

みたいなビリーフまで芽生えて育っていってしまうわけですよ。

だったら最初からやるなよ、と。



このことを考えてたら、水銀を吸収しやすい人とそうでない人の違い、も頭をかすめた。

水銀は「信頼」という感覚感情と似た波動を持ってるから、

(本来は信頼すべきでないのに)なんでもかんでも無節操に信じてしまう、判断力や洞察力など物事の本質を見極める能力を培えてない愚かなおめでたいお人好しほど、水銀の毒に影響を受けやすい

んです。

なんでもかんでも受け入れて愛して、一辺倒ですべてOKなわけじゃないんですよね、この物理的現実社会は。

自分にとって毒として働きうるエネルギーもあるし、果たしてそれを見抜いて適切に避けたり排除することができるか?というのも、大事なこの世でのレッスンの1つです。
(あまり意識しないだけで、私たちは常にウィルスやバクテリアと闘っていますよね?妙な馴れ合いで仲良くすべきではないわけです。こちらが免疫を弱らせたり死んだ途端、あっという間にウィルスやバクテリアは私たちの肉体を病ませ、腐らせてしまいます。避けるべきでない戦いが、受け入れるべきでない相手が、この世で肉体に宿って生きるうえでは確実にあるわけです)

脱・お人好し。

相変わらずというか、これは私が本格的に取り組むべき課題のようです。
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