箔のついた在り方の拒絶を克服

最近ワーク好いてるなぁw

「前に進むのをよしとする」ワークシリーズの一環なのですが、自分はたとえばコネなどないところから(本心でやりたいとはもともと思ってなかったのに)役者で売れるまでは、なんとしても他のことに目を向けたりすべきではない、ということに固執していて、それがつまりは、(まだどんな分野でどうするかが見えきっているわけではないものの)広い視点で、霊的な事象も考慮に入れたベストな生き方の実現に向けて足を踏み出すということをいつまでもせずにいるようなところがあります。

自分は運とかコネとかで、「はじめから有利な立場」で何らかのキャリアをスタートさせる人とか、デビュー直後に大ブレイクしてほとんど下積みを知らない芸能人といった存在に(偏見があったとも思えないんだけど)、少なくとも自分はなりたくないなぁという思いがありました。

なんでかというと、たとえば鼻高々になって真っ当にキャリアを継続したり自分で意義あると感じるような動き方をしなくなるんじゃないかとか思うんです(他の人はいざ知らず、自分はそのへん怠惰なので。あらかじめもうすごく売れて十何億円も稼いだような人が、相変わらずバリバリ仕事し続ける、みたいなのを見ると『自分には絶対無理。速攻で隠居するわ』と思ってしまう)。

あと、外野が押し寄せていつの間にか多忙なスケジュールでがんじがらめにされてしまうとか。

でも一番大きかったのは、

不利な境遇からスタートしたのに苦労に耐えて自力でトップに這い上がってきた人への憧れ、劣等感

でした。

どの人生での経験なのか、本当にあったことなのかただの思い込みなのかは置いておくとして、自分のなかに、

「自分は有利な場所からスタートできたからうまいこと成功できたけど、底辺から這い上がってきたこいつと同じところにいるということは、もし自分も底辺からスタートしたらこいつにかなわなかったんじゃないか」

という悔しさがあるんです。こいつ、というのが特定の1人というわけでもなくて、まぁいわゆる、苦労して下積みから上がってきて一流の仲間入りをするといった動き方をできた人全般に対して。

それで、今回の人生はあえて「底辺」と感じる境遇を選んで生まれて、そこから見事、這い上がって一流とされるところまでいけるかいな、成功できるかいな、という挑戦をしたかったというわけでした。

で、フタを開けてみると、わかりやすい形での大成功は、できてるとは言えないと感じているw

それで、「なんとしても!この方法で成功を掴めなかったら、自分は無能だということになってしまう!」という固執が離れず、たとえば声の仕事で売れるといったことにこだわりすぎてしまい、もっとその時々で掴んで活かしておけばいろんな方面で何かしらの進展があったかもしれないのに、というチャンスをすべて意固地になってスルーしてきてしまったという次第。

でも、

・創造主の定義による一流、一流であること、一流とされる場で動いて生きることの定義&観点の呼び覚まし

・人には持って生まれた器や今回用意された最高最善な場があり、本人が意地になって抵抗したりしなければ、その器にふわしい収まり所に自然に苦もなくおさまっていく(とはどんな感じか)

・いわゆる世間で大成功するかどうかは、今回の人生でのその個人の能力だけでなく、膨大な過去生や魂としての特性、ソウルファミリーがどんな目標を遂行しようとしていてそのなかでその個人がどういう役割を担うかetcという複雑な要因で決まってくるため、現世的な単一のモノサシで他人と比べても究極的には霊的に真実とされる優劣などいつまでたっても成立しない。だから世の中のモノサシに影響されることなく、ほかならぬ今回の自分が生まれてこの世でなすにふさわしいところへ自然とおさまっていくことこそ最高最善であると気づく、認める(とはどんな感じか、その方法がわかっている、すでにできているetc)

・世間でどれだけ成功しているとされたり、権威や金など便利&有利なツールが手に入ったとしても、そういったものの誘惑に影響を受けることなく、相変わらずありのままの自分でいられる。自分の目的の達成、遂行、なすべきことをなす日々を相変わらず、自然に、心を乱されたり肉体的消耗を伴うことなく生きることができる

などを呼び覚ましたところ、

「なにやってたんだろう、俺。みみっちい自分の固執で、かえって世の中全体や他人もひっくるめたこの世の中で、ほかならぬ自分ならではが果たすのが望ましい動き方をすることをずっと拒絶してきてしまったよ。下積みで苦労してのし上がる、という体験は自分がこれから改めて送るべきことではない(すでにマスターしている)から、今回の人生で意固地になったところで、そっちの願いが叶うでもなく、本来の自分に用意された動き方ができるでもなく、要するに虻蜂取らずじゃん。バカみたい。なにやってたんだろう」

と感じるように。

それで、自分がどれだけ世間から羨まれるような成功を収めたとしても、どれだけ権力なり世の中や他人への影響力なりお金なり名声、人気?なりを手に入れたところで、まったく心が揺らぎも狂わされもしない確証が、なぜか生まれました。

ヒーラーさんいわく、

「うまくいかず壁にぶつかり、その壁を乗り越えようと取っ組み合うなかで学ぶ、というスタイルを良しとしてきてるみたいなんですが、『楽しみながら、苦もなく役割をきちんと果たせて称賛も感謝もされる分野で自分の本来の器にふさわしい活動をし、成功体験と対外的アピール要素となる実績&プラス評価の積み重ねをしながら、携わる仕事のグレードも、伸びていく実力と増えていく実績に見合ったものになっていく。それを受け入れる動き方を通じて成長する』に置き換えていいですか?」

と。当然、YESで。

さらに

「少なくともusamimiさんの器は、物事でどの分野でも、底辺とされる領域でうごめいてる人たちのエネルギーとは釣り合わないようにできてるみたいなんですけど、『なんとしても最底辺からのし上がらなければ成功したことにならない、自分に価値があると認めたことにならない。だから成功できるまで無期限に無制限に最底辺でもっとも不利な在り方で頑張る』という信念を、『それが一流だろうと二流だろうと、何流だとどこかの誰かが勝手にどんなレッテルを貼っていようと、根本的にそこに影響されず、自分にとって一番、面白くもあり、実力に見合っており、楽しみながら成功までのタスクをこなせ、それにより目指す方面で伸ばしたいと思う実力が伸ばせる仕事の案件をこなす、そういう案件が来てこなすのを当たり前のものとして日々を送る在り方を肯定して受け入れる』に置き換えていいですか」

と。

これも当然、YESでしょうw

ここには挙げませんが、上記の思考の置き換えに有用な感覚感情のDLもしっかりちゃっかり行って、すっきり解消!!

それまで「何としても一流になどなるものか」と思ってた拒絶感が、ぜんぜんなくなった。

担当してくれたヒーラーさん、どうもありがとう。

役者業で成功しなきゃといってその縛りがあるおかげでかえって成功できず、他のチャンスも全部、棒に振るように生きてたこれまでの20年はなんだったんだろうという感じ。
(まぁもちろん、そういうふうに生きるのが結局のところこれまでの20年間としてはベストだったんだろうなぁとか、そう生きたからこそ学べたこともあったんだろうなぁというのもわかるんだけど)

ここを変えたところで、しかもこんな形で人様に公言して今後の私がたいした変化なかったらちょっとアレですが、まぁ、お楽しみ、ってことでw
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