千里眼を取り戻した

とあるヒーラーさんとワークしてて、

「エネルギー的な視力を差し出した」

で筋肉反射テストをするとよいと言われ、やったら入ってました。

「このため、周りのものが自分のためにどう役立て得るか気づけない。自分の周りには何もないと感じてしまう。これが、成功のために発展していく道筋が見えない原因にも、毎日の生活やこの人生全体に対しても味気なさを感じて面白いと思えない、何をやっても楽しめない要因になっているみたい」

と。

えーーーー。。。

そういえば、応用講座で五感の1つを差し出した、などはチェックするけど、「エネルギー的に」というところは盲点だったなぁ(←だから気づけなかったのか)。

実際、ブログとかツイッターで「~を~だという人がいるけど、全然理解できない」など、わからない系のことけっこう書いてるよなぁ、と思い返したりして。

なんでそんなことをしたかというと、まぁ単純に、あまりにも物事を見通せてしまってつらかったからとかそのへんらしい。

あとは、昨日のブログでも書いたけど、変な義務感を持ってたりして、前に進まず足踏みしてるほうがいいという信念体系が成立してて、まぁようするに盲目であったほうがよかったということなんでしょう。

実は私、盲目とか視力が弱ってメガネになることへの憧れが実はあって、それを吹っ切るために「裸眼族な俺は凄いだろ!」と、あえて物理的視力がいいことを自分は誇らしく思っているのだというふうに自分を洗脳するようなことをしてたんですね。
(私のセッションを対面で受けたことがある人は、私がセッションに入る前の雑談のときもセッション中も、ほとんど目を閉じてるのにお気づきかと思います。あれなんかも、視力を使わずに生きる願望?をささやかに満たす方法だったりして←あとは単純に、乙女座のシャカがやってるみたいに、目を閉じてると、目を開いてるときに映像を処理する膨大な脳の働きをさせずに全部チャネリングのほうに回せて観やすいから、というのもあるんですけど)

まぁでもいろいろ呼び覚ましだの歪んでる(というと語弊あるか。『これまでは役に立っていたこともあるのだろうけれども、ここから先は私がより良く生きていくうえではもはや貢献し得ない』と言ったほうが無難かつ的確か)信念を是正したら、

「どんだけ観えても安全だ。どんなものでも圧倒されずに観ることができる。観たことを冷静に解釈できる。視力をなくすという方法を採らずとも視力を保ったままで、必要なものだけを選んで観ることができる」

系の信念+感覚感情が整備完了。

でもって、差し出した千里眼を取り戻した!

いやー、好きなときに好きなものだけを観られるし、上手な使い方が今はできるから楽チンだね。あるにこしたことはない。

ちなみに千里眼といってもエネルギー的千里眼なので、映像そのものが見えるというよりは、サーモグラフィというか、エネルギーのゆらめきを体感で感じ取るというか、あんまり視覚的な観え方ではないような。(練習次第で慣れてきたら映像も観えるようになるのかな?)

それに、今現在の世界のあちこちが観えるというのではなくて、たとえばその人の霊的な来し方行く末やら守護霊やらカルマやらの成り立ちといった、総合的な在り方、将来この現世でどんな未来が待っているか(の、おおまかな選択肢一覧)などまで観える。
(ある意味、これを差し出してたときはシータヒーリングで創造主へのコマンドという形で実現していたので、まぁ結局、これまでと観えていることそのものは変わらないといえば変わらないのですが)

でもなにより大きかったのは、自分自身について発展していく方向性での観え方がすごくはっきりしてきてること。
他人のことはよく観えるのに自分のことは観えにくい、とはよく言われますが、それにしても……というレベルで自分が何をどうしていったらいいのか、皆目見当もつかないでいたんです。

うん。千里眼というと、あちこちを見渡せるイメージのほうが強いかもしれないし、そういう千里眼もあるのかもだけど、少なくとも私が取り戻した千里眼というのは、

自分の人生で待ち受ける、選びうる未来の選択肢&遠い最終目標に向けての道筋が観えるようになった

というのが一番、個人的には恩恵が大きいかも。

まぁそんなこんなで、えがったえがった。はー、こんな独りよがりのブログ記事、読まされたほうはたまったもんじゃないね!
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