日本への義務感&恥ワーク

ワークメモ。

アメリカのヒーラーさんたちとワークする機会があり、私がやってもらう側のとき相談したのは

「もっと体型を細くスッキリさせたいのに、がっしりといえば聞こえはいいけど結局太っていて、困っている」

でした。

で、体内霊視をしてもらったのですが、まず

・ありのままに振る舞えない(そうすると周りから顰蹙をかうから遠慮してる)

が浮上。

具体的には、

・「自分らしく」振る舞うことが、現代の日本文化的な男らしさ女らしさの一般的感覚に照らすと当てはまらず、「男のくせに男らしくない(からキモい)」と感じる人が周りに一定数以上いるのを私が今回、人生を生きてくるなかでショックを受け、自分はこの社会に存在してはいけないのかと世の中に対して申し訳なくも腹立たしくも思った。
(そして、『男らしくないならお前はオカマなんだろ?』という、これまた現代の日本特有の狭量な決めつけをされ、それに対して『自分は魂や霊的なエネルギーとしての自意識は女だと感じてはいるが、社会的にはいちおう?せっかく?男としての肉体を持って男性として物理的に存在しているのだから、対外的には男性としてしっかり生きていきたいし、セクシャリティーにしても、内面の女性的な自意識とは別に、肉体はなんだかんだいって本能的に女性に反応する、いわばノーマルとされる異性愛者。仕事や身分のうえでも、結婚など性別が関わる諸々についても、あくまでも社会的には正統な1人の男性として尊重されたい。少なくとも、いいように存在を卑下されたり否定されたり軽んじられ侮られるいわれは無い!』と憤りを感じている)

でした。

世間で一般的とされる「男らしさ」とは乖離しているとしても、自分は肉体として男性であり、エネルギー体でも肉体の性別に付随して男性性エネルギーが循環するのが望ましい。
が、上記の事由により、それができてない、と。
(世間のイメージともし違っても、自分は自分なりの在り方で男らしいし、それを認めても発揮してもよいのだ……という方向に持っていけるとよい)

これが物理的にはリンパシステムの滞りとして現れ、生殖器らへんの男らしさが発露できてない悶々とした状態、腎臓や膀胱などに『耐える』エネルギーが固まっていていいエネルギーが流れず、それが下半身デブにも繋がっている、と。
(ついでに、それが尿酸などの巡りを悪くして足に痛風が出やすい原因の1つとも言われました)

さらに、解毒や代謝を全般的に司り、それが肥満かどうかにも間接的にかなり大きな役割を果たす肝臓が、「自分のことを理解して受け入れようとはせず、そのくせ都合よく寄生虫みたいに利用して侵略してこちらの居場所を奪おうとする日本人、日本の国民性への怒り、嫌悪感」を溜め込んでいて、本来の代謝機能を果たせてない(から太っている)、と。
(これ、アトピー性皮膚炎などにも直結しますよね。今は幸い、アトピーが出ない程度には肝臓の物理的エネルギー的機能が回復はしたものの、『私にとってのパーフェクトな在り方』からするとあと一歩のところに留まっているようです)

で、実際、肝臓の中に寄生虫がウヨウヨしてるっぽいw
(これ、サナダムシみたいな、大きくて目に見える寄生虫ではなくて、バクテリアみたいな原虫?で、もしかすると学問的に発見されてないけどわりと多くの人が現代でも持ってたりするよね的なものらしい←そういう、学者による発見がされてないけど存在する寄生虫というのはかなりいるっぽいなとシータヒーリングをやるようになって感じました。たとえば猫を飼ってる猫好きな人は、猫に由来する寄生虫(で学問的にようやく最近見つかったもの)に感染してることが多いですよね。で、その寄生虫に思考をジャックされて、『猫かわいい!』となる。これ、本来はネズミが感染して、『猫大好き!』と狂ってしまうことで猫に食われ、つまりは猫を宿主としている寄生虫からすると都合がいいという原理みたいですが。それがたまたま人間にも感染するようになっていったんでしょうね、寄生虫が進化して。実際、猫好きな人間は猫に餌をあげるから、寄生虫としても好都合w)

さらに、これらの憤りや嫌悪感が、この世界全体の真実というよりは、日本という限定された地域に顕著なトレンド、文化に過ぎないということを知っている。
自分の価値観からすれば野蛮にも卑怯にも臆病にも無知で愚かで下品にも見えるこの日本だけれど、自分がどう思うかとはある意味関係なく、日本や日本人がそうして生きているありのままを否定する立場にもない(から受け入れるべき)と、どこかで諦めに似た境地に立っている(けど、そういう境遇で生きることに納得も満足もできてない)。

そういう感情が、重苦しい義務感としても(日本人として日本を対外的に情けない、世界の一員として申し訳ないとも思う)恥としても抱いており、それが胃のあたりに溜まっている(ため、消化や胃が分泌するホルモンのアンバランスに繋がり、太ってしまっている1つの要因になってる)。

また、そうした落胆が、膵臓に溜まっている(ので、インシュリン分泌などの機能がパーフェクトではなくなっており、それが太りやすさの原因ともなっている)。

ここでの最大の(悲劇的)ポイントは、

私が日本や日本人、日本文化を拒絶・絶縁してもよいとは考えておらず、(自分の価値観からすると全然良いと思えないし合わないのに)母国に対する貢献義務感、あくまでも日本人として祖国の発展に尽くすべき、という忠義を抱いている

という点です。

(あまりに日本について否定的なので、たとえば自分には在日韓国人のように、日本人ではないアイデンティティの祖先があるのかなとチラッとは思ったんですが、そうではないっぽい←ことがかえって、事態をややこしくしている。別のアイデンティティがあれば、そっちの側面から物事を見ることで、ドライにでもなんでも割り切れたのかもしれないのに。純日本人で、逃げ場?がないふうな在り方をしているからこそ、『さぁ!祖国を受け入れるのか!それとも裏切るのか!』という極端な2択しか想定できなくなっている)

これらの事象が重なり、「これだから日本人は!」と感じることが起こると副腎がいちいちアドレナリンを放出。そういう「常に非常事態、厳重警備体制」がデフォルトだからステロイドなど筋肉を健全につくるホルモンの分泌バランスは崩れるわ、いちいち苛立ってテンションも血圧も上がって循環器系にも悪影響が及んでてお父さん大丈夫的な事態に陥るわ、そういう諸々が巡り巡って精神的安定を司るセロトニンの値が不安定だからそれがつまりはこの世で生きていくことに対する不安にも繋がるわ……の悪循環。

うわー、デブの原因だけ見てもこんだけよくもまぁ、出るわ出るわ!!

(ちなみに担当してくれたヒーラーさんたちは、(日本だとあまり浸透していない?)インチュイティブ・アナトミー的な霊視をしてくれたので、臓器と思考の繋がりをこうして示してくれたという次第)

さて。

これってよく考えると、私の人生のなかで、まるでマトリョーシカのように、大きな枠組みでも小さな枠組みでも、一環して登場する「ドラマの図式」なんですよね。

たとえば親子関係という、登場人物としては(自分と日本、というスケールに比べると)小さい関係においても、上記で述べてきたことはまるっきり、当てはまります。

子供たるもの、できれば親に愛情を感じて親に感謝し、良好な関係を築き、親から教わることをありがたいものとして受け取って、親孝行をするのが望ましいと世間では言われている(っぽいと感じる)。

でもいざフタを開けてみると

「この猛毒親のどこをどう愛せっちゅーんじゃい!?」

と感じてしまう自分がいて。そしてそんな自分はダメな、悪い子供ということになってしまうのであろうと自責の念のような不条理感を抱いて。
(物理的には縁を切った状態で今はいますが、どこかで『それだと良い解決策をとったとは言えないんじゃないか』という悩みがつきまとう)

要するに、

自分が否定しても切り離せない(親子関係や人種、性別などの)属性に違和感を感じる

という図式を、大なり小なり、どこに行っても繰り返してるわけです。

(この、身近にある属性に対して違和感を感じて、それが憤りや嫌悪感、自分の人生をいまひとつなものにする元凶だと考える思考があるため、友達や恋人、会社の上司部下といった人間関係全般をうまく築けない、結婚しても続かないんじゃないかという怖れにまで繋がっていました)

めんどくさっ!
俺、めんどくさっ!!


ほんと、自分で考えてもうんざりする。こんな奴と付き合いたくないわと感じる。

それがつまりは

「きっと自分は他人から好かれないんだろうな、好かれるにも尊敬されるにも値しないロクデナシなんだろうな。そんなロクデナシは世の中に対して偉そうなことを言ったりやったりすべきでなくて、おとなしく端っこで膝を抱えてじっとして、少なくとも他人様にご迷惑かけないように寿命が尽きるのを待ってるのがいいんだろうな」

という、人生すべてに対する投げやりな気持ちにまで繋がっていました。

そしてその、

「自分は何をやっても周りに迷惑をかけるだけでロクなことができない。だから仕事でも私生活でも自分が願うことは叶えず、というか何かを願うこと自体を抑圧して、本当に自分が何を望んでいるかすらわからないようにして、この人生自体をまるまるドブに捨てるふうにした方が、世のため人のためなのであろう(そしてこの体のエネルギーは邪魔だし無駄だから、どこぞの寄生虫にでもなんでもくれてやる。せめて自分を栄養にして、生きたがる寄生虫がその望みを叶えられるというならば、喜んで餌になろうじゃないか)」

という、私の人生観の根幹を形成する信念となっていました。

(ここ1~2年、『あなたはもっと高く評価されるべきものを持っているのに、どうして安売りするんですか。セッションにせよアチューンメントにせよ、料金が安すぎる!ブログの情報だって、そのへんのスピ本よりずっと質の高いものなのに、そのほとんどを課金記事にするでもなくタダで公開している。しかもそれが奉仕の精神というよりは、人間はタダで手に入るネットの情報にありがたみを感じにくいという性質を利用してわざと、自分が発信する情報の信頼性と希少性、ありがたみといったものを自分から貶めてる。ツイッターのキャラも、わざと悪ふざけするようなものにして、わざわざ自分から、自分はたいしたことのない人間ですとうそぶいている。なんでそういうひねくれた遊びで足踏みしてるんですか。なんで前に進まないんですか。今のusamimiさんなら、前に進むことでもっと多くの人に、寄生虫に搾取されるみたいな方法じゃなくて正当な関係性を築いてWin-Winな感じで世の中全体や他の人々と一緒に、より良いほうへ進んでいける筈なのに!なぜ進まないんですか?なぜ自分の凄さを素直に認めないで、自分自身を貶めてばかりいるんですか?その自虐どうにかしてくださいよ。応援して見ているこっちが切なくなる』的なことを多くの人から言われ、内心『ホンマそれ』と思いつつ、チッと舌打ちする心地で『うっさいんじゃボケ、黙っとけ』と反発を感じたり。でもそれらはすべて、そろそろ年貢の納めどきですよという予兆だったんでしょうかねぇ)

で。

それらのすべては、なぜ、やってるかということですが。
つまり、何を学ぶためにそんなことをしているのか、という点についてです。

掘り下げると、土台は

真の自由とは何かを、物理的精神的霊的魂的にすべて満たした状態とは何かを見極め、体現する

というビリーフに到達!!
(なんじゃそりゃーーーーー!!!)

で、解消の方向性としては、

真の自分のありのままを認め、体現する(ことが真の自由とやらの体現になる)

系の呼び覚まし・信念の置き換えでした。

なんてタイムリーな。レリゴーレリゴー。

ようするに、何かとうまいことやらかさないと道理が通らないし、無理が通れば道理が引っ込むような在り方をしている現実社会と向き合うモチベーションとして、

良いと思えないけど実際、現実社会がそういう在り方をしてるなら嫌でもなんでも合わせたほうが、「地に足ついた、ちゃんとした人間として生きてることになる」らしいし、「自分のためだけに生きるのはワガママでダメで、他人のために生きるのがいい」らしいから、試練と思ってこの社会の不条理に耐えよう。それに耐え切ってこそ、真の自由の体現になるのだ

という方向性から

最終目標は、自分らしさの100%の体現。それをいかにこの現実社会で実現するかが、真の自由とやらの体現になるかどうかだ。ただいきなりワガママ的に「私のありのままはこうです」とだけ出しても通らない。けどそこで諦めてしまったら元も子もない。自分のありのままを、いかにこの世で、利害が対立することもあるし意見が合わないこともある他者(やそれらの集合体としての団体、社会、ひいては世界全体)と闘いつつ共存するという究極の矛盾ふうな仕組みのなかで、見事、体現するか、だ。それができてこそ、(傍から見れば諸々のしがらみがあって自由そうには見えないと感じる人がいるとしても、少なくとも自分にとっては自分が今回、肉体に宿ってこの世に生まれてきた理由&目的の達成としての)真の自由ということになるのであろう。

という方向性にチェンジ。

そしたら、

「自分が何をしたいかわかってなかったり、自分が何をしたいか抑圧して押し殺してる人なんて、他人からみたらそれこそ『なに考えてるかわからない人』だもの。リアクションに困るし、どう接していいかわからないし、その人が目の前にいたら気まずいに決まってんじゃん。はっきり『自分はこうです、こうしたいです』と表明してくれたほうが、こっちも反応しやすいし。もし仮に嫌だと感じる在り方だとしても、嫌悪感はすべて相手じゃなくて、そう感じる本人のなんらかのブロックなわけだから、こちらの嫌悪感を吹き飛ばしたり、嫌悪感を感じるこちらのブロックさえもを解消しちゃうくらいに思い切って出してくれたほうが、長い目でみれば周りの人からもありがたいんだよ?中途半端に出てこられてウジウジされるのが、一番ナンセンス」

という、ものすごーーーーーくシンプルな観点がw

つまりはこれまで自分が善かれと思ってやってたことが、裏目に出るような思考の歪みを持っていたということになりますな。

あー、めんどくせ。
めんどくさいよ自分!!



まぁそんなわけで、ありのーままのー姿見せるーのよー、な方向にシフトしていく予定です。

自分でも何がありのままなんかわからんがな!!w

P.S

自分を観てくれたヒーラーさんから、

「あなた(=私usamimiのことね)は、無知や偏見で日本のことを嫌っているのではなくて、あくまでありのままの日本や日本文化、日本人やその国民性、気質を理解はしたうえで、『自分とは合わない』と感じている。それに耐えるのは単純に自虐だし、もしそこから離れるとしてもそれは学びからの逃げではなくて、自分の人生をベストなものにしていくうえでプラスになる正統な手段だ。何も後ろめたいことじゃない。

創造主に尋ねると、あなたが今回の人生で生きるべきは日本ではなくてオーストラリア。そのことは知っているよね?自分でもわかっているでしょう?なのに、今回のセッションで浮き彫りになったブロック諸々で、『なんとしても日本に留まって、たとえどんなに苦しく悲惨な状況で理解されず周りがより良くなるために動こうとせず成果が上がらないとしても、それでも日本のために日本国内に留まって貢献するのが日本人の務めだ』という義務感に束縛されるに委ねて自分の最高の可能性の実現を不可能なものにしている。でも何が逃げかといったら、そっちのほうが逃げなんじゃないの?」

と。

2011/3/11 AM2時のことが頭をよぎりました。
そう、この日の地震を見越して前日に耐震用の物置を買い、テレビや棚などが倒れないようにテープで補強するなどをすべて終えた私は、自分でもまったくどうしてそうしたのかわからないけど、夜中に突然起きて、4月のオーストラリアへの旅行をネットで予約してまた寝たのでした。

だから震災は自宅で(窓やベランダの戸をすべて開けて万全の対策をし、3時間以上、喉が切れて血が出るまで泣きじゃくり、生きてるのか死んでるのかわからないくらいにまで憔悴しきってなんにも考えられずぼーっとした状態で)、迎え、「私は大丈夫」と言い聞かせるみたいにその日の夕方にわざと高級そば屋で優雅に食事をし、ちゃあんとお風呂にも入って、その後1~2ヶ月の(テレビでACばっかり流れる的な)異常というかレアというかな世相も人々のかつてないありようの(一時的な?)変化も、日本国内に暮らして肌で感じた後、見るべきものは見たとばかりに春先にオーストラリアに旅立ち、まるで帰省したかのような安堵を満喫してたのです。

もう、この時点(やそれ以前)から、このネタは浮上してきてたんですね。

(このブログでもツイッターでも、『2011年3月に死ぬかも、ていうか、死ぬべきなんじゃないか』とか、それ以降を生きる気が起きないとか、もし生きながらえるとしても海外に移住するかどうかを真剣に検討すべき段階に来ているとのメッセージを創造主から受けたけどどうしよう的なことは書いてるんですよねw)

でもって、よりによって「善かれと思っての足踏み」が3年も!!

それでいて「やるべきことをやらずにトシだけくってしまってもう手遅れかもだからやっぱりここから先を生きていきたいと全然思わない」とかツイートしてんだもん。わけわかんねえよ!!

でもなー、移住っつったってなぁ……。

思考のイシューは、少なくとも原因はわかった。それを解消したほうがいいっぽいことも、どう解消していけばいいかのだいたいの見当も、ついた。

あとは行動の具体化と、現実へのマニフェスト。

この最後の関門がなー、難関……じゃなかった、キャンセルキャンセル、「醍醐味」だよねw

頑張りマウス。チュチュー!!

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