私なりのストックホルム症候群ワークメモ

珍しく?ワークメモ。

私はもともと、虐待、、、と明言するとそれはそれで親に失礼なんだろうかと憚りつつ、まぁ実際そういう境遇で育ちました。

まるで麻薬パーティでもしているかのように、とてもマトモな人間たちとは思えないヒステリックさ、すぐキレて殴る蹴る怒鳴るが親たちの日常茶飯事で、掃除などもしてないから家じゅうが汚部屋、公衆便所みたいな匂いが居間などにも充満していて、ネズミやゴキブリはペットのように部屋のあちこちをちょろちょろしている。

料理で使ったフライパンなども洗わずしまい、夏場はそこにウジ虫がまるでポップコーンでも作ったみたいにわんさかわいている。台所などは吐き気をこらえるのが難しいほどの臭気が漂い、生きた心地がしませんでした。

自分が愛情の受け取り下手なのに加えて(というか、愛情を受け取るとはどういうことかを感覚として親から学べなかった)、親は愛情表現下手。

だから余計に、まるで自分が親の親になったみたいに、

「この人たちなりの愛情は持っているらしい。でもこの有様。。。こっちが大人にならないと」

と気負って耐えて、でした。

親は親で開き直り、私が10歳くらいになると

「あんたは頭もいいしよくできた子だから、大人とみなすよ。私らもお前を子供と思って親の義務を果たすにはどうすればいいかなんて考えないことにする。友達でいましょう?」

とはっきり言い出す始末(なんておめでたい!)。

それで本当に、「ここは子供として、親に助けてもらいたい!」と思う局面が訪れると、親は気まずそうに

「し、知らないよ?あんたはもう私らの子供じゃない。友達なんだから。自分でなんとかしな?友達に甘えんじゃないよ」

と、我ながらうまいこと言った!的なドヤ顔でスルーされて終わりw

まぁそんなこんなでした。

で。

ヒーリング、とりわけシータヒーリングでワークをするようになって、単に気分的に楽になったというだけでなく、たいした下積みや人脈があったわけでもないのにポッと出で個人で独立してしまい、清潔で洗練されたインテリアの住環境でマイペースに暮らし、仕事も成り立つという恩恵に恵まれるようになったわけです。知り合う人の質(というと聞こえが悪いかもですが)も格段によくなり、アララな人との人間関係で思い悩むこともなくなっていきました。

が。

自分の人生がみるみる好転していく一方で、自分のなかに言いようのない寂寥感がこみ上げ、ある種のホームシックみたいな感覚で日々を生きるようになっていることに気づきました。

わかりやすくいうと、幸せで豊かで成功した生き方を続けることをもってして「不幸」と捉えるようになっていったんです。

それでわざと、(一度はシータヒーリングを駆使して実際に体重を20kg近く落として脱デブに成功したにも関わらず、『ダメじゃなくなっていくこと』が怖くて切なくてやるせなくて意図的にリバウンドして再度デブに戻り)自分をデブなままにして「しょせんはデブですから」と卑下する口実をキープ。

それを仕事でも「いまひとつ。規模も小さめで、他のヒーラーと比べてたいしたことない」と評価されやすいような動き方に留めたり、全方向的に人生を「ビミョー。つか惨めw」なラインにし(かといってほんとに困窮するとアレなので食うに困らないラクチンなレベルで金や時間、人間関係が回るようにはして)、とにかく

「俺ってダメ人間(の一員でいられる、よねっ?)」

とうそぶく状態を維持していました。

で、今度は自分のなかの前向きな部分が「もっと人生を充実させていこう!」とすると、自分のなかの頑固なブレーキが働いて前に進めない。

ちょうど、熱くも冷たくもないぬるま湯に拘束されて身動きがとれない感じがここ2~3年、続きました。

はい、前置き終わり。長い!

でもってこれを解消しようと試みたわけですが。

原因は、ある種のストックホルム症候群でした。
誘拐された子供が、犯人から酷い扱いを受けているにも関わらず愛情を感じてしまうというアレの変化球です。
これ、親が酷い人だと、大人になって自由に付き合う相手を選べるようになってもなお、酷い人間(に育った環境と同じ馴染みを感じて)と付き合ってしまう現象も同じ心理みたいです。夫にどれだけDVを受けても離婚せずなぜか一緒にいる、みたいな女性いますもんね。男性の場合でもあります。

私の場合、いわゆる「ダメな感じ、カオスな混沌とした状況、そういう状態の人(たち)」に愛着があり、アイデンティティすらありました。
だから、自分だけ「豊かで成功した幸せな、美徳や教養ある人たちに囲まれた人生」という別世界に行くことが、裏切りのような、単純に心細いような気がしていたんですね。

さて。

それをワークするわけですが、ここからはスピスピした話になりますよ。

なぜそんな状態を現実化しているかを掘り下げていくと、

「私はこの時空間を創造した、天上的な存在たち(Celestial Realms)の一員だ


という(思い込みでなく事実に基づく記憶としての)ビリーフ&天上的な存在たちとの「私はメンバーの一員としてこの世の継続的メンテナンスに相変わらず協力し続けるという契約」がありました。

この幻想としての世界がいわばゲームの世界だとしたら、私はそのゲームの開発者の一員、プログラマの一員としての過去があり、今もその役目は続けているという始末。

で、システムの要件定義で私の案が却下されたのを根に持ち、デバッガ(不具合を見つけて報告する職務)として

「ほら、ここに欠陥があるよ?直さなきゃダメじゃん」

と、若干の妬みも込めつつ、それでもこの幻想世界をよりよい完璧なものにしようという貢献意識もコミコミで、わざと「この世のよくない部分」を見てはそれを報告するという役割に徹していたのでした。

その、ダメな部分を見るために、何らかの設定で自分をこの世界のダメふうなエネルギーのそばに置いておかなきゃいけない、さてどうすれば……と考えた結果が、要は前述のこんがらがった思考体系の成立だったわけです。
これが、この世をシステムデザインする際の要件定義会議で自分の案が通らなかった悔しさと「私は失敗者だ」という自意識ゆえ類友が欲しいというエネルギー状態とあいまって、ようするに

「ダメダメな状況やそういう状態の人が恋しい」

となっていたわけです。

まぁなんてマンドクセ。(でも健気な自分、可愛い!とも思ってる←救いようがねえ&逞しいw)

でも、デバッガとしての役目は実はもう天上的な存在たちからしても不要で、私がデバッガとして在り続けなくてもいいのだ、という創造主の観点からの最高の真実を呼び覚まし。で、納得して契約解除。

そのうえで、「失敗者として生きるか+いわゆる混沌とした性質のエネルギーに囲まれて影響を受けてネガティブまみれの人生を生きるかどうかは完全に自分の裁量で決めてよい&できる+それをどうやるか」系の呼び覚ましで補強~。


と、概要としてはこんな感じです。
(実際はもっときめ細かにワークしてますよ、あくまでブログ用に概要を伝えただけ)

そしたらほんとに、なんとしてもこの世から何か発見すべきバグ(不具合)をすべて修正し終えるまで自分がちゃっちゃと好きなように豊かに幸せに成功して生きていく方へシフトすべきでない系の頑固な想いがなくなりました!

さらに、いろんなことを見聞きしたいという純粋な好奇心?は相変わらずあるわけですが、そこで

「もし自分が願ったとおりの人生を生きてしまえると、そこしか目に入らず、いろんなものを見聞き学習体験感動できない人生になる」
(よく、子役からずっとスターだった人が自分では電車の切符も買えない的な話あるじゃないですか。ああなるのが嫌だった)

と思い込んでました。

なので、

「自分の夢を叶えつつ、その叶えた夢(叶えた後は現実になるわけだが)に縛られることなく、夢の実現という人生を主軸にしつつも他のいろんなことにも気づいていける。それを苦もなく自然に両立して、当然のものとして負担を感じることなく生きる」

系の呼び覚まし&信念の置き換えでチェンジ!!

さらにさらに、

「時と場合と付き合い方を使い分けて、その相手に付いていると感じる『勝ち組or負け組、イケてるorダメダメ』といったレッテル的区分を気にせず、また悪影響を被ることなく人と接する」

系の呼び覚ましフルセットで、人をポジティブに洗練されてるかネガティブまみれで荒廃してるかについて本質的に気にすることなく生きる&人と関わっていける状態が整備完了!!

そしたら!!

ワークしたばかりなので何がどう、という変化はまだかもですが(あ、ただ何か大きなクリアリングをすると単純に仕事の依頼が急増するというのはあり、今回もそれは起きましたw)、少なくとも内面の、しょぼいところにあえてとどまっていたいような、もっと大々的に成功できるのにしないというような、わけのわからない後ろ髪を引かれる想いは完全に消えました!!

それどころか、いきなり充実や拡大、ワンステップアップといった概念に前向きになり、あれをやりたいこれを実現できたら楽しそうだという、いい意味で?子供のような前向きさ100%に!!

これ、たぶんここ2~3年にあえて足踏みをするような体験を通じて、「もうほんとに変えたい!いい加減にしろ!」とブチ切れるほどに変わりたい願望が蓄積されたからこそ&足踏みするような動き方をし続けるのがどんだけ残念かを経験したからこそかもしれません。
だから「もっと早く取っていればよかったのに」という後悔めいた気持ちも、それはそれでわかないというか。

まぁいずれにせよ、最高最善っつうんですかね、そんな感じでワークできてよかったです。

ご参考……になんか、なるんかいな!w

P.S

このワークメモを読んだ方は気づいたかもですが、私はあえて

勝ち組・負け組

というような、霊的な真実とは言えない幻想としてのレッテルを重視している思考があることがおわかりかと思います。

この点についてはまだワークが必要なようです。

ただ、そういうレッテルを真実のものと思い込んで人を差別するとか、そういう勘違いはしてないし、したいとも思ってない。

どうやら、「霊的な真実を忘れて生まれてくる人間たちには目の前にぶら下げるニンジンが、たとえ幻想であっても必要だ(だから勝ち組負け組的なレッテルも、使いようによっては人を洗練させ成長させる1つの道具にはなりうる)」とか、「今回の人類の歴史において、勝ち組負け組的な区分けがなんだかんだ根を張り尾を引く有様なのは、それはそれで意義があるんだろうから、『そんなレッテルは霊的な真実じゃないから消しちゃえ!』と言い切るのもどうよ」とかがあるぽい。

後日、ワークできたらご報告できるかも。
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