職業のカルマと未来

読みました。
(注:最初の50ページ超、ものすご〜く退屈で、本のタイトルと全然関係なさそうな、ゲーテの生涯についての話が延々と展開されます。よほどゲーテの人生に興味のある人でないと、あまりのつまらなさに読むのを挫折してしまいかねません。が、辛抱強く乗り切ってください。また、この冒頭の数十ページを流し読みしていい加減にしてしまうと、そのあと述べられる内容が意味不明になるのでしっかり読むことをおすすめします)
  ↓
職業のカルマと未来 (Steiner Books)職業のカルマと未来 (Steiner Books)
(2008/03)
ルドルフ シュタイナー

商品詳細を見る

私事になりますが(←このブログなんざほとんど全部オマエの私事だろw)、自分は仕事をするという概念を子供の頃から殊更に素晴らしいものだと憧れていて、とにかく、ある分野でひとかどの人と認められるようなところまでいって、それこそ人類全体の持ってる知恵に「+1」をもたらす……ということに異常なほどの誇らしさ、前向きな義務感、もっと偉そうにいえば使命感?を抱いていました。
(そのため、幼稚園の頃から音大に行けるかどうか焦ったり、小学校受験して進学校でしかるべき教育を受けたいと願ったり、かなり前のめりな姿勢で生きるような幼少期〜少年期を過ごしました。焦ったけど何も特別なことが実現できなかった分、落胆と自分の能力の限界への失望も大きくなってしまったりして良し悪しでしたがw)

自分が新卒での就職活動で全然うまくいかない結果に終わってしまったこともあり、充実した職業体験への憧れはより一層、高まっていき、それこそリ○ルート出身者たちが(過剰に青臭い自己満足じみた誇張と偏った陶酔感ムンムンで←と、いまオトナな視点で冷静に見ると思うがw)仕事の面白さを綴った本を読んでは

「どうして自分にはこういう人生が訪れないんだろう?」

と凹みつつ、今からでもどうにかできないものだろうか……と切ない希望を抱く、そんな20代を過ごしました。

その想いが昂じて、26歳のときにリ○ルート出身者が設立した「プチ・リ○ルート」みたいなノリの会社に転職するわけです。元リ○ルートからこの会社に移った社長はじめ幹部連中の話を聞いたりエネルギーを読み解いて「どういう因果でリ○ルートに入(れ)るという運命が形成され、それが実現化したのか。そしてどうして離れたのか。この先この人たちにはどんな運命があるのか。その運命を決定づける要素にはどんなものがあるのか」を明らかにしようとしたり。

そして、本を出すようなリ○ルートのスター社員みたいに仕事に熱を感じているふうでもない、この会社にリ○ルートから移って来た社員たちに呆れるような、失望するような心地も感じて。本が嘘なのか。それともリ○ルートのなかでも当然、ピンキリだろうから、本を出すような人たちと、いま自分の目の前にいる人たちがリ○ルート全体のなかでどのくらいピン寄り、キリ寄りなのかを見極めようとしたりw

また、この会社に新卒で入ったり、私のように別の会社から移ってきた人と現リ○ルート社員とのエネルギーを比べて「リ○ルート本体に入れる人と、ニアリーな“類似品”みたいな会社に入る人の違い。またリ○ルートの正社員と期限つき契約社員の違い」などを考察したり。

更に言うと、ずっとこの会社でやっていける「相(そう)」があるぽい面々と、そうでない面々の違いはなんだろう、とか。

とにかく、

なぜ人は(本人の意向に反するようなケースもあるのに)ある職業、会社に導かれ、その仕事をするということが実現するのか
(なぜどれだけ強く願って行動を起こして実力が一定以上に到達していても、『運と縁』といった便利な言葉でお茶を濁されてしまう、あの不思議ななりゆきで、願ったとおりの職業に就けないことが往々にしてあるのか)


について、これでもかというくらいオタッキーに執念深く追っていったわけです。

(私が公式サイトの挨拶で、『仕事で成功すれば幸せになれる、と思いきや〜』というくだりを述べているのには、こういうこだわりが実はあったんです)

自分が音大を目指しても全然うまくいかなかったり、放送局やリ○ルートへの就職、あるいは声優・ナレーターを目指していくら努力しても全然埒があかない、努力が報われるアテや予感のようなものも微塵も感じられない……というマイナス側の想いと、ヒーラーをやる流れに乗ってなんだかんだうまくいっているほうにいるのであろう不思議さ(プラス側の想い)を両方味わってみて、余計に

人はどうやら、本人が頭で考える願望とは別に、もっと奥深い何かに導かれて何かの仕事に就くようにできているようだ

という感慨を強く持つようになっていきました。



それに加え、ヒーラーとして独立してから余計に感じるようになったのが、

「マトモに仕事してる」ってどういうことだろう?

ということです。

まず、現世利益的に社会的信用のある仕事に就いているかどうか、というのが、私の場合は肉体的に男性なので、気になる……というか、「そこ、やっぱり気にしたほうがいいんかなぁ?」という気弱さみたいなものがありました。

次に、じゃあ同じくらい社会的信用のある会社で会社員をやっているとして、とにかく朝から晩まで長時間、労働するのが尊いのだろうか、という問いが頭に浮かびました。
ちょうど「ブラック企業」という単語が一般化してきて、正直者がバカを見るような風潮が(私のような自由業の身から第三者的に眺めただけでも)際立って見えてくる時期でもあったのです。
自分より年上で、まだ学歴社会がバリバリ!だった頃に、単に学歴ブランドに恵まれたというだけで一流企業とされる会社に入り、その中で「ぬくぬく」といった風情で出世はして年収も高いけれど、どうやら仕事はからっきし……という風情の人を見ると(私が新卒で入った会社にはそういう人がゴロゴロいました)、何がどうなれば「ちゃんと働いてる」ことになるんだろう?と不可思議になってしまって。

ましてや私の場合、世間一般の常識からいって「社会に貢献している」とは言われにくい極致!くらいのジャンルなわけで。金をとって霊能だなんだと抜かす奴は詐欺師だ社会のゴミだクズだと言われやすいなか、じゃあ私はそんなにテキトーに「さぁ!今日も悪事を働くぜ!どうやってラクしてバカを騙して金を巻き上げてやろうか」というふうに毎日を生きているかというと、全然そうとも思えず。もし、社会的に“みんな”に現在、理解されない分野でどんなに真摯に働こうが実績をあげようが、そもそも実績などとはみなされず、マトモな仕事をしたとも評価してもらえず、悪事に手を染めた反社会的危険因子扱いされて終わりなのか。もし現世という浮き世ではそういう評価になるとして(実際、歴史をみるとそういうふうになった人たちは大勢いますよね)、霊的な真実に照らしてみても同じことだろうか。自分が今やっていることは、すべて馬鹿げていて無駄で、カルマにひたすらマイナスの業を背負い込み続けるだけの愚かなことだろうか……という。
(逆に、業種自体は世間的に理解あるものだとして、やっていることは目先の利益のためにセコセコと、必要のないものを人に売りつけたりするような商売をしてるだけだったら、それはそれでどうなんだろう?……という)

あとは、そもそも仕事って、貴族や資産家、富裕層と違って金を持ってない労働者階級が生きていくために仕方なく「こなす」ものなんだっけ?しょせんは労働の持つ意義なんてものはたいしてなくて、貧乏人が仕方なくやるものなんだっけ?という問い。

そこから「職業に貴賤はあるのかないのか」みたいなテーマに思考が派生してみたり、社会の発展への貢献度の違いが職業ごとにあるとして、それを測る基準は?それともそんなものがあると考えること自体が誤り……などなど、とめどなく「仕事をすること、職業に従事すること」をめぐって物理的精神的霊的魂的に考えが広がる広がるw

それはつまり、行き着くと

「まっとうに、やることやってしっかり生きてる人間」って何?
(そうじゃない人がいるとしたら、どこがいけないの?どう改善すればいいの?)


という問いになるんですね。

つまり、

ダメ人間(クズ)かそうでないかはどこで決まるのか

という、

生きるに値する人間とは?

みたいな根源の問いにまで発展していってしまって。
(努力すればみんな同じ結果が出て報われるなら、努力せず結果を出せてない奴がクズ、でいいと思うんですよ。でも、努力しても報われなかったり、あるいは努力しなくても報われてしまったりの現世特有の曖昧さがあるから、どこでどう判断すればいいんだろう?となってしまったんです)

ほか、「これであなたも億万長者に!」みたいな本(いわゆる『金持ち本』)が流行ったり、FXの制度改正で一般人ができるようになって金を儲けやすくなったりの風潮を見ると、

ただ個々人が金を稼ぐことがすなわち社会の発展なのか?働くなり投資をするなりして金を生み出せば、社会の発展に寄与したといえるのか?

それとも、社会の発展なんてものは一部の政治家だけが考えていればいいことであって、庶民は自分の食い扶持だけ何も考えず稼いでパン食ってりゃいいのか

つか、「社会の発展」って何?

発展というものがあるとして、しなきゃダメ?させるべき理由は?

社会を発展させるべき理由があるとして、個々人にどの程度、責任がある?

その個人が就いてる仕事で何をどのくらいやれば、社会発展へ貢献したことになるの?

いろんな職業があるなかで、ちゃらんぽらんに仕事してる人も少なくないなかで、どこまでどうなれば社会の発展的にはOKなの?その基準は何で決まる?

これらの問いに現世的な意味で「これでよし」とされるものが見えたとして、現世で何がいいとされるかどうかなんて基本的には人の想いであって霊的な真実とイコールじゃない場合が多い。なら、(人がそれぞれ個々人の意見を主張するのとは根本的に異なる)霊的に見た「社会の発展」の定義って?しなかったらどうなる?カルマやばい?……やばいって何がどうやばいの?


という点も気になってきて。

長くなりましたが、そんなこんなの問いに、冒頭に紹介したこの本は多大な回答的ヒントを与えてくれる内容でした。

ご参考までに。
P.S

この本を読んでみての感想+本を読んで得た知識を基にエネルギーを霊視して自分自身の仕事にまつわる運命の流れやカルマの因果を読み解いてみて思ったこと。

人がどんな仕事をするはめになるかは、思った以上にものすごくいろんな要素が絡んでるんだなぁ〜、ということ。

現世的に、自分が頭で考える願望を基に、その願望が叶ったかそうでないかだけをみると、叶わなかった願いがとにかく悔しくてアタリマエですよね。なんて理不尽な、と嘆いたり怒ったりする気持ちしか湧いてこない。

でも。

霊的に、今回の人生だけではなくて過去生、そしてこの地球がどういう発展をしていくべき時代にあるかなど、目に見えない要素をいろいろ加味していくと、不思議なくらい

「あぁ、結局あれがベストだったんだ。結局これでよかったんだ」

と、(無理やりこじつけて自分自身を納得させるというわけではなくて自然に、胸のスッとするような想いで)思えます。

私の場合、ようやっとここ1〜2年くらい、この仕事で自分がしていることが独りよがりの自己満足(で世の中のために全然なってない)ではなくて、意義あるものなのだとおぼろげながらに思えてきました。

その一方で、

「霊能なんて目に見えないジャンルの仕事をして、意義があるだって?そりゃまた壮大な勘違いだな。おめでたい思い込みだよ!」

というツッコミを入れる自分もいて。

勤め先の会社でいよいよ中間管理職として出世して肩書きが立派になっていく同世代をみながら

「差がついたな!負け犬くん!オマエは道を踏み外して、取り返しのつかない失敗をおかしたのさ。このままワーキングプアな無職人生を貫いて老後は金に困ってヨボヨボの体で働くこともできず医者にもかかれず無様にホームレスに転落して孤独死するがいい!!」

という自虐的な仮定をしてみたり。
(注:これは、ほんとに自虐的に自分を苦しめる言葉を自分に向かって吐くというよりは、『可能性の1つとして』わざといろんな考え方を自分の脳内でブレインストーミングして、意図的にやっています)



でも、今年の2〜3月にかけて、自分が本当にするべきはこれだ、やっていて心底、意義を感じられる仕事はこれなんだな、と年貢を納めたが如くに腹が据わったんです。(特に3月なんか、もう二度と起き上がれないかも、というくらい本格的に寝たきりになってしまったし)

同時に、自分の人生はいわゆる会社員人生を歩む人みたいに「○歳で部長に昇進して年収は○百万円。次男が中学校に進学して〜」という、生命保険のモデルケースみたいな流れではなくて、もっとゆるやかに?変則的に?たゆたうものなんだろうなという直観(いちおう子供の頃からうすうすはそうなんじゃねえかと思ってはいた)が、やっぱりホントなんだろうなぁと思わざるを得なくなって。

ついでにいうと、もういいトシになってしまったこともあり(苦笑)、若くして成功して名声を得るタイプの実りを得られなかったから、つまり私みたいな人間は世の中から必要とされていなくて元々。だとしたら、世の中に必要とされることだけが生き甲斐、と思ってるような自分はもういつ死んでも悔いは無い(それどころか、世の中から必要とされていないのにまだ生きてること自体が無駄ともいえる)……という割り切りもあって。

(先日、『死ぬのが怖くない』的な話をしたら、親子くらい年齢の離れた年上の人から『怖くないんですか?(私は怖いです、まだ生きていたいです)』という回答が返ってきて、それが意外に思えて『あぁ、そうか。人は一般的には、まだ生きていたいと感じるものなのか。30過ぎまで生きたんだからもう充分、と思う自分は価値観が少し、昔すぎるのかもしれない』と思う……という体験をしましたw)

そんななか、この本を読んだわけですが、職業として働いたことが霊的にみてどうなるのかという視点を得られたことで、安心しました。
やっぱりこれでいいんだな、という。。。

自分が生き甲斐を見出せない最大の理由は、

「自分が仕事でやったことが、世の中にどのくらいどう貢献したことになってるのかなってないのかわからない」

ことだったんです。
(そして私は不器用なのか、仕事以外でたとえば贅沢を経験するとか食や性などの快楽を感じるということではやっぱり、『これを味わえるから生きていたい!生きるって最高!』とは思えないんです。それどころか『だから何?』で終わり……www)

ヒーリングセッションに対しての感想などはいただくのですが、そういう一個人が喜んだという次元とは別の、(自分でも何が気に食わないのかがわからなかったのですが)「やれてる感(やってることがトンチンカンな無駄ではない感)」が欲しくて、それが何か分からないから悶々としていたんですね。

まったくわからないならないで割り切れるけど、ぼんやりと霊視で観えているから余計にわからない。

その、ぼんやり霊視で観えているものが何かを特定するのに、この本は殊の外、役に立ってくれました。

偉そうかもだけど、「人は未来に重要とされるものを現在、評価できない」という点に励まされたかな。
他人からの評価をアテにしてちゃ、たぶんダメなんだと思うんですよ、私のしてることというのは。
(もちろん、どちらかというと他人からの評価も得ることができているほうにいるという点はありがたいと思っていますが)

あとは、仕事でしたことはいわば種で、その時点では花は咲いていないし、いつどんな花が咲くかは誰にもわからない。実際に咲いた花を見たときに感じる印象を、事前には人は予見できないということ。

いつ死んでももういいや、と生に執着していないなら尚更、無駄で元々くらいに思って、自分が価値あると信じることをやっていくしかないよね、という。

ファイナルファンタジー7でエアリスが死ぬ直前にホーリーのマテリアを持っており、マテリアに想いを託してどこか安堵した様子で死にます(そのマテリアのことはゲーム最終盤にならないとわからない。が、とても重要な働きをする)が、自分の人生もそんなんでいいんじゃないの?という。

みみっちくセコく、「自分のやっていることの価値は?」なんて評価乞食に陥ってんじゃないよ!と自分にツッコミを入れることができましたとさ。ちゃんちゃん。



たいして良くもないのであろう頭でこんだけ考えてベストだと思ったことがとんでもない大間違いだったとしても、だとしたらしゃあないよなぁ、と思います。

でもそれならそれで、「バカで無能な1人の男が人生を棒に振った」でいいじゃん、的なw

そんなバカで無能な1人の男が死んだところで、世界は揺るがないし、誰も困らないし悲しまないわけでしょう?

なら、かえって死にやすいというもの。もうけもんですわ。めんどくさくなくてよろしいw


(今は逆に、自分の常人離れした腹の据わり方が怖い&キモいw)
関連記事
スポンサーサイト