シータヒーリングセッションの感想いただきました

ご紹介します。

クライアント自身の悪気ない行動パターンや発言が相手にとって嫌なふうに映る……という点について、ご自身でも無自覚ふう(あるいは理解が部分的だった?)なのが、どんどん明らかになっていった……という流れになりました。

昨日はセッションで大変お世話になり、ありがとうございました。
あんな風な感覚になるセッションは初めてで、
吹雪の中で遭難して、意識が朦朧として眠りそうになるところを、
「寝るな!寝たら死ぬぞ!」とガンガン揺さぶられた感じでした。

春にして君を離れの主人公の気持ちも分かったというか。。自分の弱さをまざまざと感じましたし、本当に嫌な人間だな自分っていうのことを、今までのセッションでも理解してきたつもりだったけど、今回は更にすごい濃度で知れたなぁと。
あと呪いがかけられているのと、自分の魂が持ってる悪魔的な部分が発揮されているのは、こういう風に違うのかと少し分かった気がします。
だってそういうものなんだもん、どうしようもない、仕方ないよ、って思ってる度合いが全然違うな、と。
セッションのあとはしばらく全身に力が入らなくて、頭もぼーっとして働かない状態でしたが、だんだん霧が晴れるように今までより頭がスッキリしていったのにも驚きました。
後は自分でやらなきゃいけないところだというのは重々分かっているので、これから頑張っていきたいと思います。

今回のセッションのようなことが出来るヒーラーさんって他にはなかなかいないんじゃないかと思います。セッションの前のお話でそういう事をおっしゃってましたが、確かに…という感じです。改めて貴重なセッションを本当にありがとうございました。


ご自身のなかでは「問題ない」「正しい」と理解しているのであろう考えの端々について「ほら、そこが問題を生み出す思考の顕われ!(≒他の人は、あなたが思っているような解釈をしないから、軋轢の原因になる)」と指摘する箇所が多いセッションになった気がします。

感想の中でも書いておられますが、自分では「当然、正しい」と思っていることを「違う?」と感じると、意識が抵抗して眠くなったり、いま何を話しているのか支離滅裂になったり、こちらの言葉を誤解したり意味がわからないとなったりするんですよね。
そこに根気づよく、こちらが「いや、そこ!曖昧にしないで!」とツッコミを入れ続けた、という。

そしてその原因が、呪いといった外部から働きかけられた要因ではなくて、自分自身のまさにパーソナリティというか、信念体系に由来することについて、「だってそういうものなんだもん、どうしようもない、仕方ないよ、って思ってる度合いが全然違う」と書いておられますね。
(当然、自分の信念体系にがっつり刻まれた考えのほうが、仕方ないよ度が高いです。そこを変えるなんて無理でしょ、とたいていの人は投げ出して『これは一生なおらない私のクセだから』と開き直るところです←もちろん、そう生きてもべつにいいんですけど、少なくとも『変える』選択をした場合に拓かれる可能性のすべてを放棄することになるのは言うまでもありません)

感想のなかで引き合いに出されている本は、このブログでもたびたび紹介している、アガサ・クリスティの小説です。
   ↓
春にして君を離れ (クリスティー文庫)春にして君を離れ (クリスティー文庫)
(2012/08/01)
アガサ・クリスティー、中村 妙子 他

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これ読んだとき、「自分はこの小説の主人公とは違う」と思うものなんでしょうか。自分とは縁の無い、おかしな状態?性格?境遇?にある、虚構の作り話のように見えるのかな……。
でも、たいていは……ね……。(←なんだよ)
(いつまでも『これは正直者にしか見えない豪華絢爛な服じゃ!』と信じ込む&言い張る、はだかの王様でいたい人は、決して読んではいけない本です。あるいは、読んだとしても『へぇ、私とはまったく関係ないフィクションだわ』でやりすごさないと)



この方の感想を読んでヒーラーとして感慨深かったのは、決して

「知りたくないことを無理矢理聞かされて不快だった、傷ついた」

で終わっていないところです。

はたしてヒーリングセッションが、何を目指して、どこまでアプローチすべきか、という点は、ある意味では永遠の、普遍的テーマだと思います。

「とにかく人を不快にさせるべきではない、笑顔を後押しせよ。喜びをもたらすのがヒーラーだろうが!」

という考えを絶対に正しい!と信じる人からすれば、それこそヒーリングセッションで行う「掘り下げ」などは、虐待としか映らないことが想定されます。

また逆に、つらい思いをしてでも自分を見つめてこそ人は変われる&それが癒えた証拠だ、という考え方が頑なになると、今度は「クライアントが号泣すればいい。ヒーラーはクライアントを泣くまで追いつめてこそ、一人前。中身のあるワークをしている証」といった歪んだ捉え方になりがち。

でもそれってどっちも、癒しという意味の本質とは違う、表層的な「現象」を指してるだけなんですよね。

大事なのは、泣くか笑うかではなくて、その人が変えたいと望むエネルギー的な変化が起きているかどうか、だと思っています。

(これ、たびたび感じるのですが、『とにかく喜ばせて、浮き世の憂さを一時的にでも忘れさせてあげるのがヒーリング』的な捉え方をしてる人っていますね。特に超感覚エネルギーワークでは。でも、それって暗に『しょせん、ヒーリングなんてのは嘘っぱちだし、エネルギーなんてものは無くて、ましてやヒーラーがそれを扱えるとか、エネルギーをいじることで現実が変わるなんてデタラメ。要するにヒーリングと称するものなんて気休めなんだから、ちゃんと気休めさせてあげるべきでしょう。クライアントも、そのまさに気休めを求めて来るわけだから……』という考えがベースにあることを裏付けてしまうと思います。『うん、そうだよ!だってそうでしょう?ヒーリングなんて気休めじゃないの。所詮はデタラメ』と割り切ってる人がそう主張するならまだわかるんですが、そうでない人、ヒーリングを少なからず実在&実効性あるものと捉える人がそう言ってしまっているのは、どうなんだろう……と思えてしまって)

とある自分のアナトミー同期生がアイダホで、ヴァイアナが

「現実に行動しなきゃ何も変わらない。ワークだけして満足しないで」

系の話をしてるときに、

「そんなこと言ったって、スピリチュアルな場なんだからさぁ……。そんな現実みたいな厳しい話されたくないよ。もっと……なんていうか、空想に浸って現実のつらさを忘れさせてほしいわけよ。それがスピリチュアルってもんでしょう?」

と愚痴ったのがいまだに強烈すぎて。

この人、スピリチュアルなエネルギー的事象と物理的現実が「別のもの」と思ってるのか

と思ったら、もうなんていうかね……。(←なんだよ)

そんなこんなの体験をしてきているので、今回、感想をくださったクライアントさんが、セッション中のやりとり(もちろん、ショックも受けただろうし、不快な瞬間も多々、訪れたとは思います)でなく、その結果、変われた実感+セッションで得て納得した気づきの方向性に向けて生きる決意、をしている点が、ヒーラー冥利に尽きるというか。

感想ありがとうございました。
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