ニセ占い師気取り(させられてた?)過去。はたしてその実態は……まさかの本質!?

20代前半、会社員をしながら、「もうあんまり霊能力的なこととは関わらず、『普通の人でぇ~す』みたいに生きていきたいな」と思ってるフシがありました。

でもプライベートで知り合う人はなぜか霊感体質の人ばかり。まだプロでやってる人とは知り合わない段階でしたが、タレンテッド・アマチュア(=才能ある素人)という感じで、みんな強豪揃いでしたw

その面々から「アンタほんとはそういう力あるでしょ」と言われ、半分ドキッとしつつも「いやー、アンタらほどの力は無いかもなー」みたいな当惑もあり。

でもって。

なにかと「ねえ、ちょっと占ってよー。観てよー」という、ありがちなアレを言われる機会が増えたんですね。

でも自分は、何かの占いを習ったわけじゃない(あえていえば中学のとき独学でやったタロットカード。学校の休み時間に行列ができるほどだったけど、もうカードとかもどこへ行ったっけ的な感じ)。

霊能力でなんでもお見通し、というほど何かがクリアに観えるほどの自信もない。

でも、やってやってとせがまれる。

それで何をしたかというと、せんべいでもまんじゅうでもなんでもいいから、何かをその人に割って(あるいはちぎって)もらうんです。まさに亀甲占い。ヒビの入り方で占う、という感じ。

これも、直観的に「何かその人のデータが欲しい」というのが目的で、実際はなんでもよかったのかもしれません。まぁ、一緒に遊んでるときにたまたまお茶菓子があったからそれを使った、というまでで。

で、ヒビが入ったり割れたせんべい、ちぎられたまんじゅうを無心に観ていると、「ふっ」と、魚釣りで糸がピクッとなるあの感覚が来るんです。

そこからはリールを巻いて、辿る辿る。

そこでイメージというかが掴めて(まるで絵画を観たとき、絵柄とは別にその絵画が持っている迫力などが伝わってくるのを感じた的な感覚)、あとは感じたことを好き勝手言うと、ほぼ間違いなく当たっているという流れ。
(それで噂が広まって、『凄腕の人がいるって聞いてきたんですけど』みたいな流れが起き、ちょっとうんざりするような、でも自分にしかできない?能力を認められているような嬉しさもあり)

で。

その当時、私が結局、何をしていたかというと、

お菓子についたその人のゴースト・インプリント(≒残留思念)を霊視

してたということなんですね。ヒビ割れ方はどうでもいいw

だからもしかすると、相手と手をつなぐとか、どこか身体の一部分を触るとか、あるいは着ている服(マフラーとか腕時計でもいいから)を外してもらって、それを触るとかでも、よかったのかもしれません。
(ただ、アマチュア……というか、普通にプライベートで友達と遊んでるだけだから、せんべいを割ってその割れ方をじっと見つめる……的な演出が、それっぽくて面白かったってことなんでしょうね。そのうち、せんべいを取り出して誰かが割り、私がそれを見はじめると『お!いつものやつが始まった!』と興奮ぎみに注目する人が出始めて、それが若気の至り的に、注目されて嬉しかったってことなんでしょう)



こういう、Preヒーラー修業みたいな時期もあったのですよ。

これらの経験を経て、自分なりに漠然とですが

「もし霊能力というものが自分にあるとして、その内容や適性が人それぞれ異なるとしたら。計算で結果を出す系の占いと、霊感で何かを感じ取る系の占い?とで比べたら、どうやら霊感側のほうが得意らしい。そして、タロットカードや竹の棒?八卦図の鏡?など『物を使う』系と、『何も使わずエネルギーを霊視する』系でいうと、霊視系のほうが手っ取り早い(道具を介したとしても、結局、その道具が示す結果よりも、相手の想念を直接、霊視するようなやり方で情報を取りはじめるクセ?傾向がある。だから、道具なんて邪魔!という)」

というふうに、霊能スキルの自己分析のようなことは、していたんですね……。

また、こちらがアマチュアだからと?人の霊能スキルに対する敬意を持ってない失礼な人だと余計に顕著に?好き放題、要求しはじめる欲深い&都合のいい人がいることもわかってきました。
(普段はとてもそうは見えない人が突如、変貌するあの瞬間も、この頃から幾度となく私生活のなかで見るハメになってたんですねw)

ほか、自分が何か努力して認められるなどして良い結果を出すと

「どうせ魔法を使ってズルしたんでしょう」

と揶揄されたり、親身にこちらが依頼に応えているうちは良い顔しておきながら、さすがにしつこくて依頼を断ったりすると手のひらを返したように

「この薄情者!いい死に方しないよお前みたいな自己チューは!!」(←どっちがだよ、って感じ)

「とうとうボロが出たなこのインチキが!化けの皮が剥がれたね!ざまあみろ」(←いや、『自信ないし別にそんな力あるかどうかわからない』って穏便に辞退したのに強引に迫ってきたのはそっちじゃん)

となじってきたりする。

何百年・何千年も前から繰り返される、霊能や魔術といった見えないものにまつわるあの愚かしいやりとりが、21世紀にもなって近代化された日本の東京という街でさえ、いまだにこんなに普通に偏在するなんて&自分の身に降り掛かるなんて……というドン引きのような、勉強になったような心地もあり。

こういう経験がよりによって私生活で起き(というか一貫して続き)、一方で

「いや、会社で仕事して定年を迎えて、みたいなありきたりな都民像の体現も悪くない。どころか、うちの一族で初めての『地味に会社員やってました人生』送った人間第1号になったらなんかようやく『世間のフツー』になれそうで素敵じゃない?」

という保守的な逃げたがりの声も自分の内面にあったりして。

かつ、霊能的な能力があると、人はこうもすがってくるものなのか、といううんざりした気持ちもあって。

しかも、その霊能力としか言いようのないスキルが、疑いようもないほどちゃんとしたものとして存在する、という事実を自らの経験で突きつけられる形となってしまって。

その頃から、

「この能力をどう発揮する?あるいは、しないことを選択する?それはなんのために?発揮するとしたら、どのようなやり方で誰のために?どこを気をつけないと、自分自身や自分の能力を貶めることになってしまう?」

ということについて考える契機となる出来事が、もろもろポロポロ出てきてたんですわ。



最近、ちょっとした興味から超感覚的なこと、霊能力を開花させるセミナーなどに出て、その流れや一時的な熱狂で

「私はプロとしてやっていくと決めた!」

みたいなこと言う人、ますます多くなってきてる気がします。

それ自体が悪いこととは思わないけど、たとえば自分のように、べつに霊能者とかヒーラーとしてなんとしてもやっていきたいなんて考えもしなかったのに人生が結局、そういう生き方をすることについてのあれこれをメインに彩られている……という「根っこ」もないままに、浮ついた気まぐれみたいにそう言うのって、どうなんだろう……とは思ったりします。
(もちろんね、ある時期まで別のことにかかりきりで、準備が整った段階で天啓を授かったかのように霊能の世界に目覚めて?それでドカーンとうまくいく人もいるっちゃいるから、一概にはなんとも決めつけるわけにいきませんが)

あとさ、(小規模にこの商売やってる私が言うと、僻みみたいに聞こえるのかもしれないけど)

儲かりやすそうな商材だから、儲けられるだけたくさん稼ぐ……という動機や思想がある人。

もっとはっきり言うと

「ヒーラーとして何を為すか」よりも「ヒーラーとしてどんな(商業的・名声的に)成功したと看做されるステータスを築き上げたか」を先に望む&目指す って、どうよ?

と思います。

活動の規模や、それをビジネスとして展開した結果ついてくる収益の額は、たしかにビジネスという観点だけで見れば、「大きいほうがいい、凄い、優秀」となるのは間違いないでしょう。だってビジネスって、そういう評価をする世界だと思うので。(永続的発展を目指す、というのは商法で規定されてる基本原則でもあるわけですしおすし)

たしかに、そういう現実が成立している以上、それは関係者各位の意図からしてベストだからこそ成り立つのも間違いないわけで、他人がチャチャを入れることではないのかもしれません。私のほうが、旧世代的な、もしかすると愚かで馬鹿げた偏屈なこだわりをネチネチ気にしている、ということになってしまうのかもしれません。

たださぁ。。。

できるだけコーヒーは薄めて、でも薄めてることがバレないように安い香料とかで誤摩化してたくさん杯数を売ろうとするコーヒー屋、みたいな手法のトコを見ると(←どこのこと!?知らな~い)、お金と人望(+権威)のために、よりによって霊能というジャンルの商材を選んで、そこまで割り切ってやりきるって、すごいねーーーーーーーーーー。

とは、思うw

あ、ちなみに「まっとうな霊能ビジネス」じゃなくて、「まっとうな霊能ビジネスであるかのような体裁をとることで、かえって現実逃避を『これは現実逃避じゃないよ!?』と正当化したい客を惹きつけることでできるだけ利ざやを稼ぐのが目当ての、甘えや逃げを肯定してあげるタイプの『精神的リラクゼーション』ビジネス」だと本人が自覚してるなら、私は(別のジャンルの業者ということになるので)口を出す資格も言われもなくなるわけですが。

ってこの記事、はじめは「昔こんなことやってたんですぅ~」と甘い&ユルい思い出話で終わらせようとしたのに、フタ開けてみるとなんかスゲエことにw

ま、戯れ言ですわ(←えぇっ!?)。
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