52万5600分

ミュージカル『RENT』で有名な歌、Seasons of Love(愛の季節)。
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1年を何かで測るとしたら、何を基準に測る?いろいろあるけど、愛はどうかな?……という内容の歌詞。

ドラマ『glee』でも、フィン役のコーリー・モンテースが急逝したことを受けてドラマの中でもフィンは突然の死を迎えたという設定にし、追悼の回で歌われています。
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個人的には35歳以前とそれ以降で、まるで別人になってしまったかのように人生というか、この世界で人間として生きるということに対する想いが変わってきてしまいました。

ありがちですけど、若い頃は時間も自分の若さもチャンスも可能性も無限にあるような気になって、良くも悪くも考えなしに時間を(物理的にはたとえば何か計画を立ててせかせか動いてはいたとしても、なんというか、深層心理的に)無駄遣いしていました。それこそ、かけ流しの温泉に浸かるとき、お湯がどれだけザバーッと溢れても気にしないというか。

それが、35歳を超えて突然、「あと何年、寿命が残されているだろう?」と思うようになりました。
死にたくない、というよりは、「まだ生きてなきゃ駄目ですか?だとしたら何のために?」というニュアンスで。

なんのために生きるか、なんて深刻になってもある程度は仕方がないといえばないけれど、人や物事ともっと逐一、丁寧に、噓偽り後悔なく接したいなとは思うようになりました。

個人的にそう思うようになったきっかけとしての出来事はいろいろあるのですが、そのうちの1つで、gleeのコーリー・モンテースの死はわりとでかかったです。

高校生の役を演じてはいるけれど、彼の実年齢は30代。自分と数年しか違いません(ちなみに私、グリー部顧問のシュースター先生を演じているマシュー・モリソンと同い歳ですw)。

もっというと彼のほうが年下。つまり、自分より後に生まれた人間が、自分より先に死んだわけです。

普段、たとえば誰かに何か思うところがあったとしても、「いつかそのうち」自然な流れでなんとなくそれを切り出すタイミングが来たら伝えればいいや、と思っていることが(誰にでもあると思いますが)私にもあります。

が、誰でもいつでも死ぬ可能性があるとなると、その「いつかそのうち」は来ないかもしれない。

もちろん、だからといって常にズケズケとありったけの本音をぶちまけさえすればいいかというとそうでもないわけですが、秘める(たとえばすごく尊敬や好意をもっている人に、そうではないかのような素っ気なさで接するなど)としても「秘め方」ってあるよなぁ、と。
自然に振る舞って何気ない接し方をしても、恥ずかしがったり意地を張ったりして自分の気持ちを抑圧する必要ってないんじゃないかとは、思うようになりました。

特段、儀式ぶってるわけでもないけど、朝起きて「今日はどんな1日にしたいか、できるか」そして夜寝る前に「今日の自分はどれだけ自分に、他人に、世界に、神(≒宇宙の摂理的なものもひっくるめて)に対して誠実に、後悔のない生き方ができたか?」を、なんとなく考えるようになりました。

そして以前より丁寧に、今の自分の信念がどのくらい、最高の真実を見失ったり、幻想や罠としてのこの世にはびこる歪んだ考え方に影響を受けたりしていないかどうか、自分の信念が何かを自覚できているか確認(内省)するようになりました。

どれだけこの人生を愛せたか。どれだけこの人生で遭遇する人を、出来事を、時間を、空間を、五感やそれを超えた超感覚で認識しうるあらゆるものを、愛せたか。
べつに頑張って競うとか妙な自己啓発意識で前のめりになるというわけではないけれど、自然な感じで、そういう基準で生きてみるのも悪くはなさそう、という心境で今はおります。

そして。

愛するってなんだろう?ということを、ナァナァにはしたくないというのが個人的なこだわり。
現実離れしたおかしなハイテンションやあぶない頭のおかしな人みたいになって「すべては愛だよォ〜!」と連呼して、誰彼構わずハグして「愛してるよ〜」と言ってりゃあそれでいいのか、ってところね。

叱るとか、相手の主張を冷酷にはねつけるとか、なんなら怒りや憎しみをぶつけるという愛の在り方もあるんじゃないのォ?と個人的には思ってます。
いわゆる甘い雰囲気で笑顔でニコニコしてなんでもかんでも肯定して同調するのが愛とは思いません。

愛に生きるって、陽気に浮かれた泥酔者みたいにフラフラヘロヘロヘラヘラグダグダすることじゃないような気が個人的にはしています。

じゃあ愛するってなんなのか。
一般論でなく、他ならぬ自分という人間が、この状況において、現実に現れた事象と向き合って、愛するとは、どういうことなのか。

具体的にはたとえば仕事をしていても遊びとしての旅行に出かけても何をしていたとしても、結局のところ、ここから先の私の人生は根本を突き詰めると、そういうことになるんだろうなという感じ。

なるんだろうな、じゃなくて、「していく(と自分で決める)」って感じかもですが。
P.S
「自分って、なんのために生きてるんだろう?やっぱり、本当の愛とは何か、を見出すことかな」

と(若い人にありがちに)悩んでいた20代前半の頃、そのころ腐れ縁的につるんでいた自称「宇宙が存在していられるのは自分が宇宙全体を統括しているから」&「世界でトップ3に入るほど優秀な」霊能者が、こう言いました。

「本当の愛を見出す?そんなくだらないことのためにアンタは生まれてきたわけじゃない。自分に与えられた特別な能力を発揮して世の中の馬鹿な人間たちを霊的に見えない形で正しく支配するのが使命よ。そうしないと人間は愚かだからすぐ駄目になるの。奴らが羊だとすれば、私たちは羊飼い。その使命を見失っちゃ駄目。そして使命の遂行のためには、自分が存在し続けられるようでないといけない。優秀な霊能者にとって、世知辛いこの世の中に存在するべきでないもの、自分を攻撃しようとする悪しき者をいかに速やかに討伐して撲滅させて、自分が生き延びるか。生き延びて、この世界をあるべき姿で運行するよう統治していられるか。それだけが重要なの。いい?『自分が生き延びる』ことより大切なものなんて、この世には何一つないの。愛なんて世迷い言に惑わされてるようじゃ、アンタもまだまだね。ゆくゆくは私がいるところまで昇り詰めることができる素質はあるのだから、馬鹿な人間がよく言う『愛』なんて罠に引っかかってどうするの。しっかりしなさい!」
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