春にして君を離れ

以前、「印象に残っている文芸書(外国人作家編)」でも紹介した本です。

春にして君を離れ (クリスティー文庫)春にして君を離れ (クリスティー文庫)
(2012/08/01)
アガサ・クリスティー、中村 妙子 他

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推理小説で有名なアガサ・クリスティの著作ですが、出版当初はメアリ・ウェストマコットという別名を使っていました。
(著者ブランド分けしたかった?)

殺人事件の推理モノじゃないんです。いわゆる女流の純文学ふうのテイスト。

でもこの本、そのへんの殺人事件推理モノとかより、はるかに怖いです。

べつに幽霊が襲ってくるとか、呪いがかかるとか、暗殺者に狙われるとか、そういう路線じゃありません。非常に現実的な話。ごく平凡な中年女性によくあることを、そのまんま書いてるのが何より怖いんです。

ネタバレしない程度にあらすじを言うと、わけあって一人旅をすることになった主人公が旅の道中、いつもは多忙な毎日にかまけて思い返すこともなかった子供の頃の記憶を改めて思い返す……というもの。思いがけず学生時代の級友と再会して思い出話に花が咲いたり。

なんだ、それだけ?って感じですよね。

そう、それだけなんです。

べつに忘れていた悲惨な思い出が蘇るとかでもありません。過去のトラウマに苦しめられるとかでもないんです。

じゃあ何が怖いのか。

興味ある人は読んでみてくださいな。




自分がこれを読んだのは鴻上尚史さんの「恋愛王」という本を読んで、そこで紹介されていたのをみたからでした。
(この恋愛王という本は、恋愛について書かれたおすすめの書籍を鴻上尚史さんがレビューを交えつつ紹介するという体裁です)

で、確か19歳?のときに読んでみたのだけれど。

じゅうぶん怖かった。

まだ学生で、社会人にもなっておらず、当然、中年にさしかかった人間の人生観なんて予想すらできない頃。
だからリアルな想像をしながら読めたかと言われたら心もとないけど、たとえばどんなに若くても、それこそついさっきまで自分が会って話していた相手との経験について「実は相手はあなたのことをものすごく嫌ってたんですよ。でも笑顔で演技してたんです」なんて言われたら立ち直れない心地するじゃないですか(よほど人から嫌われても平気という人以外は)。

それを、半生分まるまるやられたら、受け止めきれるもんかいな、という感じ。

でも一番なにが怖かったって、(ちょいネタバレになるかもですが)

思考停止によって気づきのチャンスを全スルーすることの恐ろしさ

ですよ。

当時は「えっ!嘘でしょ?ここまできて最後の最後でこんな……マジか!?」と衝撃でもあり、現実味のある展開とも思えなかったのですが、いざ自分が中年にさしかかり、自分より年上の中高年のありがちな行動&思考パターンというものも以前よりは把握できるようになってみると、

「あぁ……。そっちのほうがありがちかもね……」

との思いのほうが強くなりました。



ヒーラーをやっていると、私のクライアントさんは中高年女性の比率が一番高いのですが、皆さん一様に

「本気で変わりたいです」

とおっしゃるんですね。

で、いざ「さぁ、ここからが本当に変われるかどうかの正念場ですよ!」というところにさしかかると、途端に

「でもそれは〜という考えのままで、べつにじゃないですか?」
「いえ、そんなことは決してありません!」
「あー、それじゃもういいです。そこは変えなくて結構」

などと、自分の考えを変えることを拒否してしまうんです。

はい、終了ー。みたいな。(←実際の現場では、ほんとに投げたりはせず、どうしますかとケアしていきますけどね)

年齢を重ねれば重ねるほど、自分自身の経験則が強固になっていくというか、どこかで

「私が人生で経験したうえで思い至った考え方が何よりも尊い!」と頑固に思い込む

傾向が顕著になっていく印象があります。

部分部分では「まさに経験則でその考えに至れたのはすごい。さすが年の功!というものも、あるとは思います。

でも一方で

「自分の考え方とは違う考え方・価値観がある」と多様性を認めることが難しくなっていく

危険もあると感じます。

さらにいうと、

自分が「これが正しい!」と思い込んでいることが、事実に照らして全然正しくない

ことも、よくあります。

若い人は、子供時代に大人の言うことをきくクセがまだ残っていたり、自分の考えが経験の浅さゆえに?無知ゆえに?知らないから素直に他人の意見を聞こうとするような柔軟性もありますが、年をとるにつれて、世渡りしていく自信もついて、知識も経験も増え、誰にも口を出されたくない!思い通りに生きたい!と思うようになってきますよね、大概。
それ自体は悪いことでも非現実的なことでもないとは思うのですが、

謙虚さに欠ける

リスクが高まるのは事実だと思います。

それと同時に怖いのが、

思い出すときに自分が「解釈」を加えることで、そもそもの思い出の印象がオリジナルのものからどんどんズレていく

というもの。

もっとはっきり言うと、

自分の都合のいいように思い出を歪曲・改変する


んです。

そうしてつくりあげた信念体系を変えるとか否定されるとなると、

これまでの自分の人生すべてにケチをつけられたような不快感・喪失感

が伴いがちなんです。

また、変わるとなれば、「新しい考え方/生き方」を構築する必要がありますよね。でも、もう人生の後半になってきてしまい、若い頃のように新しいことを柔軟に吸収するとか忍耐強く何かに習熟するため練習を重ねるetcのことをやるなんて、考えただけでうんざりしてしまう。
ゼロからもう一度なにかを創るなんて、想像しただけで気が重くなるわけです。

しかもそれが考えだけでなく行動様式や他人との接し方など、体の動きを伴ったものとなれば、もう大変!
それこそ箸の持ち方をそれまでと全然違うものに変えるかのような、「クセ・慣れ」との闘いになります。

これわストレスですよー。。。

そんなわけで、「本気で変わりたいです」の中高年の話に戻りますが、本気でその年で変わろうとすると、最低限こんだけつらいですけど大丈夫ですか?という覚悟は、持ってもらいたいなぁと思うわけです。
(思う、といっても、本気で変わるとなるとどんだけつらいか、本人が経験してみないとわからないわけですが……)

もちろん実際には、何か本人にとってまったく未知な別の人間になるというような変わり方をするのが望ましいということはほとんどなく、ベースとしてはその方がそれまで培ってきた人格そのままを尊重する形に自然となっていくのがほとんどです。

ただ、やはり要所要所で、

「ここだけは、どんだけつらいかもしんないけど、これまでの固執を手放して、悔しいかもしれないけど自分が否定されるように感じるかもしれないけど、こういう物の見方ができるようにシフトできないと、変わったことにならないよ?」

というポイントが出てきちゃうのも事実です。

私はヒーラーという立場から、その大変な変化を、それこそ助産師がお産を助けるが如くにお手伝いしますが、肝心の妊婦さんが息むのを完全に放棄して「あーもう無理ー。あたしこのままでいるんで、さっさと子供とりあげちゃってください」と開き直ったら、手伝いようもなくなるんですよね。

だから、本気で変わるというのは、それこそお産をもう1回経験するくらいの覚悟を持ってもらえたらなぁ、と思います。
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