札幌での実践会の感想いただきました

ので、紹介します。

⇒「【営業告知】2/23(日)9:00~18:00のθイベント@札幌」で告知したイベントです。

★告知★
3/8(土)に東京で同じイベントやりまーす。
【午前の部(9:00〜12:30):シータヒーリング以前の問題 解消実践会 5500円】
【午後の部(14:00〜17:30):酒と泪と天使と悪魔 実践会 7500円】
⇒申込はメールまたはブログPC表示版右段のメールフォームから


usamimiさん、こんにちは。
先日はわざわざ札幌まで出向いて出向いていただき
実践会を開催してもらったことに感謝します。

usamimiさんの実践会は本当に楽しく、いつも大満足させて
もらっています。

usamimiさんの実践会は常に安心してリラックスできる
環境で、決して参加者の意見や考えを否定することなく、
かつ「ズレ」があった場合でも傷つけることなく上手に
軌道修正というか、参加者に気づきを与えてくれています。

ともすれば、ムキになって否定したり、
「そんなことも解らないの?」的な(笑)態度で接する
講師も少なくない中、自然な流れで修正していくスタイルの
実践会は短期間の講習などでは絶対に習得出来ない、
まさに職人芸(失礼)というか、芸術的であると思っています。

上手くたとえられませんが、
「量も、質も、雰囲気も、来店されるお客さんも、
 シチュエーションも最高で大満足な、ポケットマネーで
 立ち寄れるしっかりとした修行を積んだ一流
 シェフの居るサンダル履き可のレストラン」
なんじゃないでしょうか。

何度参加しても、忘れられない貴重な経験をさせてもらっています。

午前中に参加した
「シータヒーリング以前の問題解消実践会」
ですが、頭では解っているつもりの原理原則や
シータヒーリングを行う上で障害となる
「思い込み」「他人の噂」「他人の意見」を素晴らしい
テキストと共に、「基礎・応用セミナーテキスト」だけを
読んで終わってしまったセミナーでは学びきれない
「シータヒーリングとはなにか?」を
沢山のチェックリストを使いながら一つ一つ
確認していったのですが、どの項目も大変重要であると同時に、
間違って伝わりやすいポイントをしっかりと網羅していました。

これだけ沢山のリストを作るの大変だっただろうなぁと
老婆心もさることながら、
セミナー中では中々教えてもらえなかったり、
インストラクター自身が誤った思い込みにより
歪んで伝わってしまった事などは
リストをチェックすることにより
問題点がバッチリと明確になると思います。

また、インストラクター用テキストにも明確に載っていない
「瞑想力」と「想像力」の違い、重要性、そして
それらをいかに上手に使ってシータヒーリングを行うか、
イメージングという、あやふやな言葉や実習で
伝わってしまっている(すべては創造主に聞け!的な)
「論理的思考力」の重要性の確認がカリキュラム入っており
他の方のシータヒーリングセミナーでは聞くことの出来ない
考え方のコツなどを相当丁寧に説明していただき、
大変感謝しています。

後半の部では、
実践的なシータヒーリーリングセッションで行う
「ビリーフワーク」につて、
基礎・応用セミナーで習う「傾聴」だけではなく、
「積極的な話の聴き方」を解りやすくかつ詳細に
説明してもらい、「セッション中に経験したもやもや感」や、
「(残念ながら)クライアントを癒せなかった苦い経験」
の原因や問題点の解消に大きく役に立ちました。

順序立てて話を聞くコツ、訓練法、セッション中に起こりうる
クライアントとヒーラーのズレの修復法など、
ありがちな失敗を起こさないための方法は
これから何度も読み返してしっかりと身につけたいと
思います。

今回の実践会では、せっかくシータヒーリングを
受講したとしても「上手く出来ない」「わからない」
方だけではなく、「もっと理解したい!」「もっと活用したい!」
そして是非ともインストラクターの方々にも参加してもらいたい、
素晴らしい実践会であったと思います。

ともすれば「私には才能がない」とか、「あの人のようには出来ない」
と思ってしまっている幻想を抱いている人、
逆に「感覚だけで(理論的思考を持ち合わせずに)シータヒーリング
を行っている人」には数多くの気づきを与えてくれると
思います。

usamimiさんは「シータヒーリング」を難しいと感じてしまっている
多くの人たちに、「シータヒーリング」は定義や原理原則などに
ズレがなければ、
「やり方(方法)」「考え方」「順序だてた訓練」を丁寧に行えば
特別な能力が無くても創造主と繋がることにより
可能であるとこの実践会を通じて教えてくれました。

習い立てで日の浅いシータヒーラーや
ヒーリングからしばらく離れていた方から、
シータヒーリングを伝える立場のインストラクター、
クライアントに癒しを提供している現役シータヒーラーに
参加をお勧めしたい、素晴らしい実践会でした。

いつかは自分もusamimiさんのように
すばらしい実践会を開けるようになりたいと思います。
そのためにもこれからも日々シータヒーリングと
向き合っていきたいと思います。

また機会があったら参加させてください。
usamimiさんの益々のご健康とご活躍を祈念いたします。


あざーす。

私の実践会は「俺のイタリアン」とかなのかなぁ、といただいた感想を見て思いました。
(だとしたら、『俺のイタリアン』は料理は安いけど実はワインとかが高くて、客は『料理が安いからせめて飲み物は奮発して……』と財布の紐がゆるくなる→客単価が上がり、高級店とどっこいどっこいの売上になる、の図式があるんですよね。だとしたら私の実践会にも、『参加費自体は安いけれど、』の何かを設けたほうがいいのかな。会場でパワーストーンのジュエリーを高値で展示販売するとか!?)




関係ない話かもですが、複数の、超感覚エネルギーを読み解ける方々から

「今年からusamimiさんのエネルギーが拡大する……というか、『usamimiさん側で受け入れ可能な間口が広くなる』結果、それまで間口を狭くしてたからusamimiさんのところに来られなかった人たちが来られるようになる。現時点でそこまで真剣に深刻にエネルギーワークのことを捉えていない人でも、良い意味で気軽にusamimiさんのセミナーや実践会——それは必ずしもシータヒーリングだけではなくて——に来られるようになるみたいです。それで、最初は軽い気持ちであっても、その人がエネルギーワークやスピリチュアルなワークの意義深さを徐々に認識していくことで、後に素晴らしく変わって行けることに貢献できるみたいです」

的なことを言われます。

このことは後日、別途ブログに書くかもですが、私はシータヒーリングの技法の素晴らしさと真実味、人々の心身魂の癒し、霊的成長、暮らしへの応用可能性は実感し驚嘆もしつつも、人間の来し方行く末&霊界(シータヒーリングにいう第4~5層)との関係について、シータヒーリングが書籍などで述べている概念&知識だけをアテにしていると「?」となる点があったのも事実です。
(これは、シータヒーリングが不十分という意味ではなくて、そこについて解き明かそうとするものではないというだけの話だと思います。それこそ、中華料理の作り方を知りたいのにフランス料理の本を読んで『中華料理の情報が載ってないからこのフランス料理本はダメだ』と言うような愚行だと思います)

具体的には、

もし、創造主の定義や観点からの情報“だけ”を頼りに「人としてこの人生をどう生きる(という信条・信念を持つか)」を構築しようとすると、あまりにもなんでもアリすぎて信念の構築の仕様が無い
(『~せねばならない』というBeliefをもし本当にすべて解放してしまうだけだと、究極的には、じゃあ別にもうこの世に生き続ける必要も意義もないじゃん。なんでもアリでOKで可能で、たとえばモテモテの億万長者になって遊びほうけるだけの一生を実現できてしまうとして。そんなふうにエンターテイメントとしての遊びを一生続けることが『豊かで幸せな人生』と呼べるんだろうか。それが最高の人生ということになるんだろうか?喜びなどポジティブなエネルギーを体現するという意味で、人としての存在意義を具現化したお手本的生き方と呼べるんだろうか?ほかならぬ自分という存在が今回この世にこの時代・国・家系にこの肉体のDNAで宿ったことの意味を見出したことになるのか?……と思えてしまい、かえってわけがわからなくなってしまったんです。『自由意志に基づいて信念を持てばいいじゃない。創造主から呼び覚ますのよ。そんな簡単なことのために、何を迷っているの?』と言われても、本当に自分で納得できているわけでもないのにコマンドだかで呼び覚ました信念に沿って生きるなんて、まるでロボットみたいで嫌でした。そこで『何を馬鹿な無駄あがきを。人間より創造主のほうが凄いのだから、人間の愚かな頭で考えたりしないで、おとなしく創造主の言いなりになればいいのよ』みたいなことを言う人もいるのですが、相手する気も起きないくらいナンセンスに聞こえて。『自分のやりたいことをやればいい』と言われても、もし本当に何もかもがなんでもアリでただやりたいことをやりたいように人々がやってるだけ、というだけなら、そんなところで今さらやりたいことなんかないよ、という感じでした。それを聞いた人が『じゃあ崇高な信念を持とうなんてやめて、醜くても自己中心的でもいいから、エゴに頼ったら?欲望の限りをつくして生きればいいじゃない!ね?それなら信念を持てるでしょう?』とか言うこともありましたが、ここまでくるともう笑うしかなくて。

私がとりわけ細かいことにこだわりすぎてるだけ、と言われてもそれまでかもですが、周りを見渡すと、結局みんなどこかでシータヒーリング“だけ”を基準に人生すべての生きる方向性やら信条やらを決めようとしてしまう人は、思考停止に陥る(≒本心からの本当の納得ができないからこそ、ある時点&地点で考えるのをやめて、何も考えずあっけらかんとしていることを肯定してしまう。そこから先は、『考えちゃ駄目(だって本当の答えは自分自身、まだ見つかっていないから)』という恐怖から、無理くり笑顔をつくるNHKの子供番組のお姉さんばりに営業スマイルでお花畑路線まっしぐら…… or エゴエゴな醜い獣以下の欲望を『自分のやりたいことをやっちゃっても、いいんだよー』と肯定してやりたい放題→人としてサイテーふうな有様まっしぐら、のどちらか)ように見えます。)


と思ったんですね。
(しかも、こういうことを言うと『それはあなたの思考パターンでしょォー?』と、まるでこちらの愚かさを見事に指摘してやったぜ的なドヤ顔で言う人いるんですが、だから『思った』と言ってんじゃん?まるで思考パターンを持つこと自体が悪いみたいな物言い(で自分は真実がわかってるみたいな面)する自分に疑問とか抱かないワケ?と思えてしまって。思考パターンを持つこと自体が悪いこと、みたいに思ってるとしたら、それってそもそもシータヒーリング自体をきちんと理解できてない証拠だよね?創始者ヴァイアナだって『人間にとって一番大事なのは信念』と言ってるし、なんでもかんでも創造主まかせにしてフワフワして糸が切れた凧みたいになるのはよくないというスタンス&それを基にシータヒーリングのガイドラインがつくられてる、ってこともわかんないわけ?と疑問)

自分のなかに、

この世がそんなに薄っぺらい、それぞれバラバラにテキトーに好き勝手に存在してればいいだけの場所のはずがない!

世間で一般常識とされる善悪の判断や道徳観念などがすべて「ただの(真実でない)思考パターン」で片付けられてしまうような、愚かな人間の妄想のはずがない!!
(そこには何らかの妥当な理由が霊的にも成立してるはずだ!!)


という思いが強固に芽生えて育っていきました。
(このことは2010年にアイダホでシータサイエンス認定を受けて帰国する頃から強烈に感じていました)

シータヒーリングという技法自体がおかしいものであるとか、インチキであるとか、人を堕落させる悪いものであるといった思いはなかったので、べつに後ろめたさがあるわけでもなくインストラクター業は続けていましたが(それ自体は、今思い返してもなんらおかしいとか、すべきでなかったとは思いません)、この疑問というか、探究心のようなものは日に日に増大していきました。

創造主とチャネリングしてみても、翻訳するだけの知識を私が持っていなかったこともあり、漠然としか見えず、悶々としていました。
(また、このことは同時に、『この時点では読み解けてしまうべきではなかった』ことからそうなったのだと今では思います。若気の至りふうな、クリアリングすべきところがまだクリアになる前に情報が読み解けてしまうと、おそらく取り返しのつかない方向に猪突猛進していってしまったことでしょう。強引に知識も仕入れて、情報を読み解こうとすればできるであろうこともわかってはいましたが、それをするのは今は違うという感じで、わざと手をつけずに放置したようなところもありました)
(自分自身がそんな迷いのある状態でよくも他人にスピリチュアルなことを教えられたね?……ということを言う人もいますが、私はべつに自分の頭で考えた生き方を人様に教えるとか、自分自身の徳によって他人を霊的に導くといった旧世代のグルたちのようなことをしていたわけではないので、問題なかったと自信をもっていえます。あくまで一定のガイドラインに沿ってテクニックを教える役割に徹していましたし、セミナーで教えるべき内容はすべてきちんと創造主からのメッセージを翻訳して教えることができていた自負もあります)

どう生きるかどうか、何かを目指して行動を起こすかどうかは創造主の観点から見たら自由、という前提はもう耳にタコができるほど聞いたからさ。

Beliefとは別の、霊的な事象に基づく「人はこう生きるのがよい(そう生きるべく創られたものだ)」的なものってほんとにないわけ?(ぼやっとだけど、『在る』という感じはある。ただその詳細がわからない)

……という気持ちで、この4年間を過ごしていました。

でもって。

ようーやく、見つかった&理解できた、という段階に来ました。

これで、ある意味では生まれたときから、もっといえば生まれる前から疑問に思っていたスピリチュアルな事象への疑問・不明点が、(こま~かい枝葉すべてまでとは言わないけど)大枠として全貌が見えたというか、話が見えた、線が繋がった実感です。

それができた途端、(ちょっと大袈裟&偉そう?かもですが)スピリチュアルな事象について誤解したり、変な思い込みで突っ走ったり、わかっちゃいるけど怖くて動けないetcのワケワカメふうな動きをしている人たちについても「どうしてそうなっているのか」がわかって、妙な厳しさ(≒本気で真剣に学ぶ人しか相手にしないよっ!的な狭量さ)さえもが、まるっと剥がれ落ちた実感です。

同時に、(もともとほとんどの霊的事象に対して怖れというものは持っていなかったのですが)霊的なものへの怖れや、もっといえば現実社会での怖れ(よくある、『生きてる人間が一番怖いよ』的な、人間を得体の知れない、酷いことをする生き物だ的な価値観)も、「どうしてそれらが怖れるにたらないのか」の理由も含めて、頭でも心でも体でも納得できるようになりました。

ここに至るためにどんだけ時間かかってんだよ、と自分の能力の低さに愕然とすることもできるかもだけど、そうはせず、この時点でここまで至ることができてひと安心というか、来られてよかったなーと思うことにします。

この例えは不遜かもしれませんが、

犬の生態や本能的行動、躾け方をマスターした調教師が、暴れ犬と向き合う

ときのような、冷静さと「うまく対処できるさ」という穏便かつ確固たる自信をもって、世渡りをしていける感覚が今はあります。
(一時の気の迷い、勘違いでないことを祈りますがw)

荒れてる犬に対して怒りを感じたり怨んだり怯えたり悲しんだり、躾けが行き届いていない犬の至らなさを責めるようなこともなく、その時点の犬の状態を観察して、適切な対処をする、的な。

どのくらい手がつけられない有様か、ある程度は躾けられているかを問わず、その時点の状態の犬に合わせた動き方をこちらがすればいいだけ。
他の犬の躾けられ具合と比較する必要もない。その目の前の犬となしうる、自分なりの全力を尽くしたベストな行動をとれば、それでいい(それでうまくいかなかったとしたら、それはそれで一興だし、全力尽くしてダメなら仕方ないじゃん、的な開き直り&納得)。

この世の物事、人に対して、そういう気持ちを持てるようになりました。

これから具体的にスピリチュアルヒーラーとして、1人の人間として、私がどうなっていくか、どうしていくことにするかは、わかっているようなわからないようなですが、(単なる楽観的な思い込み、思い上がりではなく)納得のいくものにしていける自信はあります。

追記の冒頭に書いた「usamimi側の受け入れ可能な間口」がどう広がったことになるのかわかりませんが、以前なら自分の狭量さ、いっぱいいっぱいさゆえに断っていたような依頼にも、おそらくこれからは応えていけるのではないかなぁ、という根拠があるんだかないんだかわからない自信もあります。

それにしても不思議。今年になったばかりの1月中旬までは、「もうさんざん探しても答えなんて見つからないから、この世に生きていたい気持ちをまるで持てない。べつに落ち込んでるというわけでもないけど、これ以上、人として生きていきたい動機は完全に失った」と思ってたんですけどね。求め(て動け)よ、さらば与えられん、ってことでしょうか。
(これをよく『与えよ、さらば与えられん』と言う人いますし、それが一理あるとも思うのですが、やっぱり『自分が何を望んでいるか、欲してるか』は明らかにしないと、たーだ与えて与えて、を繰り返していても見つからない印象はありますよ。欲しいと思えないものばかり与えられて『これじゃねえんだよ!』と憤ってしまったり、実は嬉しいとも思えない物・事・状況・人に囲まれて『与えられたものを黙って受け取って幸せだと喜んでいるのがいいらしい』などと無理くり自分を納得させようとあがくハメになるw)

そんなこんなで今年の夏は、シータヒーリングのインストラクター更新するのかな、やっぱり。どうなんでしょ(←は?ここまで自信がどうのとか言っといて何その曖昧さ?)。
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