中身から変われないなら、形から変えれば?

下手げに「内面を変える」系のスピリチュアルなヒーリングメソッドを知ってしまうと、

「問題を心の土台から解消するまでは、現実を変えることなどできない」という思い込みを抱く

ようになりがちです。

で、

「私、まだ土台が癒えてないから、現実を変えられてないの~(でも仕方ないでしょ?だって土台がまだ残ってるんだから)」

的に変わることができてない自分を正当化したり、癒えて変わることから逃げたり。
「あくまでも、変えたいとは思って努力してるんですけどォ~」
と言っておけば、逃げてると見抜かれずに済むもんね♡

もし本当に、変わりたいのはヤマヤマなんだけど、何がイシューの原因かがわからないから、どうしようもないの!どうすればいい?って人の場合。

タイトルに既に書いてるけど、形から入る、ってのはどうでしょう?

どういう形かというと、単純といえば単純。難解といえば難解。

望ましい在り方に変わることができた暁の自分の姿を演じる

んです。

自分が会社を興して社長になるとか、正社員に昇格するとか、管理職に昇進するとかを望んでいるなら、そうなった立場の自分が着るにふさわしいスーツを買って着る(『べつに仕事なんてどうでもいいや』という自分の気持ちがイメージする安物のスーツはもう二度と着ない)とか、15分でもいいから早く起きて髭剃りなり髪の手入れをばっちりするとか。しかもそれをしているときも、たとえば会社の今後であるとか、いかに自分の能力を高めてより組織に貢献するかとかを、今現在の自分の等身大ではなく、目標とする自分の姿が実現したときを想定してやるわけです。

これ、目標がべつに会社員じゃなくてもなんでも同じこと。

勉強でもスポーツでも、目標とする点数なり成績なりに到達した自分がやっているであろう質と量の努力を、いま、してしまう。

そして、実際にやってみて、「つれー」と思った時に自分がやめてしまうようなら、「そもそもそこまでの浅い動機による願望だったんだ」とあきらめるのも手。

大事なのは、背伸びがいつのまにか「アタリマエ」になること。
それにはだいたい1ヶ月かかるといいます。

継続するなかで、「これでちゃんとやれてるだろうか」といちいち振り返る。

「○○ができてる人って、このくらいこういうことを考えて、行動してるってので、いいのかな?」

と考え、1人で考えててもデータがなくてわからない(だってまだ本当にその夢が叶ったわけじゃないから経験しておらず、予想しかできない)から、すでにその状態に到達できている人をよく観察したり話を聞いたりして、演技内容をよりリアルなものにしていく。
(イメージに該当する知人がいなかったら、どこへでも探しにいけばいい。いまどきは直接知り合わなくても、たとえばツイッターの発言内容などから、その人がどんな考えや行動をしているかが読み解ける)



「その努力ができないから、困ってるんじゃないのォ~」

と言う人は、究極をいえば嘘つき。

ほんとはそんなの目指してないし、今と同じ状況にとどまっていたいだけの臆病者、怠け者。変わるってことが本当にどういうことなのかを知りたいんじゃなくて、自分の頭のなかの、非現実的な「何かがサクサクバリバリ楽にこなせてる状態」に憧れてるだけ。頭の中に思い描くその状態が、何もせず手に入ることになんとしても固執して、実際に現実を変化させるうえで避けて通れない道を通ることから逃げてるだけ。

なーんて?

こんなにストイックに努力できる人なんて、まずいないよねぇ。そもそもそんなふうに努力できる人だったら、今頃もっと、って思っちゃうよね?

だから最初は、たとえば何かボーッと時間を過ごしたり、通販番組で紹介されたものを急に欲しくなって電話したり、駅のホームで菓子パンほおばったり、道路にツバ吐こうとする寸前とか、とにかく何かするときに

「自分の理想である『○○になる』夢が叶った人間が、いまこれをするのがほんとにふさわしいか?」

と一瞬でも考えてみる、ってクセをつけることからやってみる、とか。。。

どうでっしゃろ?

P.S

何気なく知人と話していて、私が

「朝はわざと、忙しくしないようにしてる。歯を磨きながら、今日がこの1年の自分の目標にとってどんな意味を持つ日なのか、どう過ごすことを有意義だと自分は誇り高く感じられるか、どこまでの作業にどれだけの時間を割こうか、、、とかをじっくり考えて、モチベーションを自分のなかで練って膨らませるよ」

と言ったところ、知人は世界一の馬鹿を見るように呆れて

「はぁ?何気ない1日を過ごすためにいちいちそんなことしてるわけ?(with物好きねー、的な視線)」

と言ったんですね。

そちらのほうが個人的には驚いてしまって。

弱小零細自営業者が、しかも霊能者稼業なんて普通に考えたらそれで食うなんてアタマおかしいんじゃないのと思われてもおかしくない業種で、世の中を(しかもよりによって日本でもっとも世知辛いかもしれない、東京という街で!家族親戚一同とも無縁の天涯孤独の身で!!)おまんま食いっぱぐれずにやっていくためには、(それがどれだけ簡単なことか難しいことかはあえて明言しないけれど)そのくらいしてもやりすぎってことは、ないんじゃないの?と驚いてしまったんです。

痛々しい自己啓発病で頑張っちゃってるわけでもなし、どちらかというと朝のそういう構想練りタイムは個人的には満たされているというか、純粋にワクワクします。
同時に、安心もします。
頑張るどころか、「命綱」なんです。

自分がどこにいて、どこに行こうとしているのか。そのために何を準備する必要があるのか。。。

そういうことを毎日確認しないと、私みたいなたいして意志が強いわけでもない人間は、軸がブレるんです。

意図が現実を創るというのは本当だなと実感します。

たとえば3日、ぼけーっと過ごすと、自分が何のために生きているのか、どこにいきたいのか、いつまでに着きたいのか、そのためにこの10年で、5年で、1年で何を成し遂げるべきなのかがわからなくなる。この1年で何を成し遂げたいのかが見えていないと、この半年、3ヶ月、今月、今週、何をどこまでやっていればいいのかわからない。
もちろん、たーだ気を抜いてだらっとして遊んでいさえすれば毎日うまくいくならそれでもいい。
でも、そうでないなら。自分を見失うのは、文字通り現実的に自分が現実で存在していられなくなる(仕事がポシャってホームレス→冬の公園で凍死?)ことにつながりかねない。

べつに悲観的になるわけでもないけど、「いくらなんでもここまでは楽観的になるべきでない引き締めどころ」というのがあるのではないかと感じます。自営業でも会社員でも、もちろん主婦や学生、無職の人でも(無職の人のほうが、自分を見失わないという意味では大変かもしれない。とりあえず義務でも惰性でも、これをやっていさえすればいいという仕事がないんだから)。

まぁ、そんなこんなで私は、たいした人間じゃないかもしれないけど、たいした人間じゃないからこそ、それこそ朝の構想練り&モチベーション膨らませタイムは大事に続けていきますよ。心身の健全のためにも。

べつに誰かが「うーわ!そんなことしなきゃ生きていけないの?弱っ!ダサっ!」とか嘲笑っても、しゃーないし、というか気にしない。

なんたってこっちは、何の保険も逃げ場所もない背水の陣でタイマン張ってんだから、さ。
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