戦死者はなぜ死んだか(≒そういうふうに死ぬことを第一希望に望んだか)

戦争に限らず、大規模な災害などで大勢の人が亡くなることがあります。

スピリチュアル的な真実からすれば、現実にはその人が(本人も無自覚な潜在意識も含めて)第一希望で願ったことしか起こりません。

ではなぜ、一見そんな酷い死に様で死ぬことを、よりによって第一に望む人が大勢いるのでしょうか。
(ここでそもそも『人がそんな死に方をするなんて望むはずがない!』と考える方は読むのをやめてください)

詳細は人により多少異なりますが、共通しているのは、

「自分がそういう死に方をすることで、人類が誤った方向に進んでいかないため(≒自分たちがそうした死を遂げることで生じるエネルギー的事象が、人類が誤った方向に進もうとすることにブレーキをかける働きをする)」

です。

この考え方はルドルフ・シュタイナーが提唱しており、こちらの本(の後半)に、それとなく触れている箇所があります。
  ↓
天使と人間 (シュタイナー天使学シリーズ)天使と人間 (シュタイナー天使学シリーズ)
(1995/07/25)
ルドルフ シュタイナー

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ちなみに私が個人的に創造主とチャネリングをして、それが単なる説なのかどうなのかを確認したところ

それがどれだけ有効かどうか(≒本当に人類の進化の方向を修正しうるだけの成果が見込めるか)は別として、そういう効果が生じる(ことを期待して、そういう死に方に同意する人が戦争などの有事にはわりとよくあった)のは真実

といった答えが返ってきました。

この、ある種の儀式、イニシエーションとも呼べる死に方をすることで後々まで人に影響を与えるという方法は、それこそイエス・キリストのゴルゴタの秘儀をはじめ、ガンジーなりキング牧師なり、ちょっと前の時代までメジャーというか「それを成し遂げてこそ、人類を導く行為の成就」といった意味合いで受け止められてきました。それこそ天界(シータヒーリング的にいうなら『第五層』)のマスターとされる魂が人間の肉体に受肉する場合であっても。
(ある時代、マスターたちにとっては『人間に転生して、見事な死を遂げることでメッセージを人間界に届けられるか?』というのが、マスターたち自身にとってのイニシエーションとなっていたようなところがあるみたいです←このことは『応用シータヒーリング』の自費出版版のほうには記述がありますね)。

人類全体はDNAを有線無線の両方で共有して存在する1つの大きな生命体といえますが、ある意味では、霊的精神的に未熟な個体が多い時代には、ショック療法というか、「劇的な死を遂げる&そういう死に方をしたとき特有の霊的エネルギーの生じ方・留まり方によって後の人間にまでメッセージを響かせる」という効果が、他のメッセージの伝え方と比べて伝達効率が大きかったんだろうなぁ、という感じがします。

第二次世界大戦以降、いわゆる「戦争戦争した戦争」の体裁をとって世界規模で戦争、という事象は起こっていませんが、これには

・大きな戦争というイベントを人類が経験することがベストでないタイミングに入った
 (別のことに注力する時期にさしかかっている)

・それまでの戦争とは違う形で、しかるべく起こるべくして起こる人類の受難が起きるようになった(から戦争をしていないように見える、戦争という形態をとる必要がなくなってきている)

というのが大きな要因のようです。

戦争以外の形態をとって人類が受難している、とはどういうことかを見てみましょう。
たとえば日本なんて、戦争・紛争が起きている地域で犠牲になって死ぬ人よりも、自殺者が多い国ですから。
今の日本を平和と捉えるかどうかは個々人の感性次第でしょうが、現にいま、日本は戦争が起きている地域よりも人が「自殺によって」多く死ぬというのが統計で明らかになっています。もうそうなると、戦争があぶないこわいと特別視する考え方自体がどうなの、ともいえる話だったりして。

死までいかなくとも、「これなら死んだほうがマシ」という出来事は、(単純な比較は難しいのですが)以前の時代よりも複雑で高度になっていて、要はそれが避けられない成長のための通過儀礼だとするなら、もしかしたら昔よりも難易度は上がってきてるんじゃないのォ?という考え方もできそうです。

「戦争などによる劇的な死」 と 「ガラスの破片が混ざった真綿で首を長期間絞められながら生殺し状態でみんなが生き続ける」のどちらが、メッセージの具現化・伝達・発信記録の打ちたてに貢献するかを天秤にかけて、後者のほうをなんだかんだみんな選ぶようになってきてるのではないかなぁ。

さて。

戦争で死ぬにせよ、じわじわと苦しい現実をつらい思いをしながら生き続けるにせよ、それはどちらも「後の人類にメッセージを発信するため&届けるため」だと述べてきました。

そのメッセージの内容がおおむね、「誤った方向に行かないで」というものだとも述べました。

ということは、

「大丈夫だよ!誤った方向には行かないから安心して!」と人類が本来のあるべき方向に進めば、メッセージを発信したい人たちがそもそも戦争や過酷な現実で苦しんだり死んだりする必要がなくなる

ということにもお気づきでしょうか?

でもって今度は「誤った方向」「あるべき方向」とはなんじゃらほい(←死語)、となります。

さて、なんだと思いますか?

ここでもシュタイナーの考察をベースにしますが、誤った方向とは、シュタイナーが著作のなかで「アーリマン」と呼んでいるエネルギーがそそのかす方向のことです。

感情論・精神論・根性なんて古い古い!夢をかなえるとか、人の温かさに包まれていれば幸せ、なんて幼稚で愚かな人間の思い込み!これからの時代、情報とカネ、それに自分の持つブランド力・カリスマ性に基づく人望がモノをいうんだ。
どれだけスマートに現実を動かし、自分の望むものを苦も無く手に入れられるかどうかがなにより大事。何かに真摯に打ち込むことでのみ培われる精神性があるなんて老人の戯言。イマドキはなんでもスピーディに手軽にサクッと手に入れて楽しまなくちゃ!!愛情?それは迷信だよ。オバケと同じ。あると思うからあるんだ。ほんとにあるのは、結婚という契約書だよ。……みたいな唯物論w

ようするに、どんどんドライで心のない、ロボットみたいな人間になっていく方向性ですね。誠意や礼儀なども、「関係者の心象データに影響を与えるから無難にしておいたほうが」などと、理系的にサバサバ割り切って無味乾燥なデータとして処理して終わり。誠意ある態度をとるとしてもそれはすべて「数字で検証しうる効果」を狙ったパフォーマンス……みたいな、ね。

第一次&第二次の世界大戦が直近で立て続けに勃発し、そこで大勢の人間が犠牲になったのにも、霊的な意味があるというわけです。その時期にアーリマンは「戦争さえもが、ビジネス」という、それまで人類が考えたことのないドライなものの考え方での戦争を、人間(特に、戦争を起こす起こさないの権限を持つ権力のトップ陣)に吹き込み、操ることに成功しました。
(それまでにも、たとえばある国の産出する穀物や鉱物を狙って侵略戦争が起こるということはありましたが、ビジネスという図式をつくりあげて、その形式にのっとって金儲けをするために戦争という事象を起こす、という図式はなかったように私には見受けられます)

人類が急速にアーリマンのそそのかす方向に呑まれそうになるのを、大勢の戦争犠牲者が自らの死というエネルギー事象をもって、ブレーキをかけ、ハンドルを本来の方向に引き戻そうとしたわけです。

アーリマンの力は西暦3000年頃に実際に人類の肉体に宿って降臨するイベントに向け、これからどんどん強まっていきます。

そのなかで、アーリマンに良い意味で抵抗する力を人類が獲得していくことが期待されます。

(注:ここでいうアーリマンのエネルギーそのものがなくなればいいのに、と願うような愚行をしないでください。アーリマンが人類に敵ふうな形で関わってくること自体も、人類が強く鍛えられるためのステップとして欠かせないからなんです。人間は頭では、安穏と平和に生き、愛情たっぷりでなんの心配もなく豊かに、欲しいものをすべて手に入れて生きることを、そりゃ望みますよ。でも、人間個々人の頭での考えを通り越したところで、人類が辿るべき方向性は、そして現段階の人類は、一生ずーっとそうしてることこそがもっとも望ましく尊く意義深い……といえるんでしょうかね、という話)

そしてもし、大規模な戦争による大勢の犠牲者を出すことがナンセンスだと本気で思うなら、戦争を起こしてその犠牲になって大勢が死ぬという方法以外で、アーリマンの干渉に対抗するにはどうすればいいかを人類が見出す必要があります。
戦争で死ぬより、「生きて~をしたほうが、よくね?効果あんじゃね?」という何かが見つかれば、いわゆる戦争戦争した戦争が今後、起こる可能性は低くなるでしょう。
(同時に、戦争戦争した戦争を起こすよりも効率的に人間をドライな唯物論者に貶める方法をアーリマン側でも繰り出してくることが想定されます。そうやってお互いが強くなっていくことが、人類の進化に寄与するってわけだね!)

もし戦争が起きそうで嫌だと今の時代を憂うなら、たとえば自分だけパラレルワールドにテレポーテーションしちゃえば安心~♪みたいな現実逃避の世迷言に逃げ込んでないで、現実とひたすら向き合ってみてはいかがでしょうか。

本当のスピリチュアルは、なによりも現実のなかで手も足も口も全身すべてを使って汗をかいて恥もかいて物理的にアクションを起こすことではじめて、この物質社会では意味を持つといえます。

非現実的な妄想のことをスピリチュアルと呼んでお茶を濁していても、現実は変わりませんよ。なーんてね。



っていうかさ、それしか方法がないからやむなく、だったにせよ、本当に根本から現実を変えて人類を望ましい方法に導くための最良の方法とはいえないかもしれないけど他にできることがないから、という不器用さ?有能さの限界?があったから仕方なく、だったにせよ、

人類の未来のために戦争で死ぬことを第一希望に願ってそれを成就させた人



戦争で死ぬのが嫌だから自分(や自分の家族、恋人、親友etc)だけ別世界にテレポートして助かろうとする人


どっちがスピリチュアル的に素晴らしいの?

って、思っちゃうんだよなぁ……。

(あ、率先して犠牲になることを推奨してるわけじゃないですよ。むしろこれからは『昔みたいに、戦争が起きたからといって犠牲になって死にゃあいい、ってシンプルな時代でもない』わけで。死んでしまうよりももっと別の効果的な方法で、人類にメッセージを伝える方法を、みんなで考えていくって方向性もあるんじゃないかなぁ。ましてや、スピリチュアルな事象について知識があったり、霊視などの能力が培えている人なら尚更。さんざんスピリチュアルなことを勉強して、修行だかもして、クリアリングのためのワーク?だかもした結果が、『戦争で死ぬのが嫌だから安全に生き延びたい』と願うことなんだ?『なんたって私はスピリチュアル的に優れた人間だから、パラレルワールドにテレポーテーションして生き延びる特権を神様からもらったのー。魂のステージが低い皆さんはお気の毒だけど戦争で死ぬしかないけどごめんあそばせ』と古風な優越感の浸り方しちゃうわけ?霊的ステージの品定めで他人を見下してご満悦?……それのどこが、スピリチュアル的にすごい人なの!?)

まぁ、「そう言うオメーはどうなんだよ」って話ですが(いやん)。
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