受験勉強を始めた人が行き着く先は……。

どこだと思いますか?

この本
 ↓
予備校講師が独学者のために書いた 司法書士 5ヶ月合格法予備校講師が独学者のために書いた 司法書士 5ヶ月合格法
(2013/08/20)
松本雅典

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を読んで、「あぁー」と納得?してしまいました。

それは、

どうせ自分なんかいくら勉強したって受からないんだ、と諦める

ことだと述べてあるんです。

厳しいけど、統計的に正しいですね。

もちろん合格者はいます。

でもたとえば合格率3%の司法書士の場合、97%の受験生は不合格になるんです。

何年も何年も挑戦して、もしかしたら何十年でも挑戦し続けて。

いつの年か合格できた人以外の、9割以上の受験生の行き着く先は「諦め」なんですよね。



ネガティブなことは見ない、考えない……というポジティブ一辺倒で生きるのもいいですが(&それで万事うまくいってるなら何も言うことないですが)、何かに挑戦するということはすなわち、「うまくいかないという結末が自分の人生に生じる可能性が生まれる」ということです。その可能性(危険性、といったほうがいいか)を受け入れるということです。
(本人がどれだけ『いいや!受け入れないよ!』と頭では意思表示したところで、現実の可能性として不合格という選択肢が発生するのは止められないわけです)

そして、それこそ司法書士を目指すとして、不合格にならないぞと決めたということは、「100人のうちのたった3人になることを目指す」ということですよね。
司法書士以外の試験であっても、それが資格でなく大学であっても会社の昇進試験でも、それが合格率何%であれ、とにかく合格者側の%に食い込まなきゃいけないということです。

受けた人がほとんど受かるタイプの試験でない限り、合格を目指すということはつまり、

超・少数派になる

ということです。

このこと、言われないと気づかない人、けっこういると思います。

勉強のしかたにせよ考え方にせよ、たとえば100人いるなかで合格者が3人しかいない場合、残りの97人と同類でいてはいけない、ともいえそうです。

つまり、

他の人と同じように勉強していてはいけない

他の人と同じような成果・点数では話にならない


ということです。

これはもっといえば、

他のほとんどの「同士(受験生仲間)」とさえ相容れない「孤独」な在り方を貫かなければならない

ということもできるのではないでしょうか。

ようするに、

周りと同じであることに、多数派であることに安心する人間ではダメだ

ともいえるのでは、、、なーんて。



なにも資格試験でなくとも、ある分野で傑出したりユニークで他に類を見ない在り方をしている人はみな、その在り方を貫くうえでは(本人がどれだけつらいと意識するか、意識しないかは別として)

孤独な在り方を、他の誰の承認(≒『あなたは間違ってない、それでいいよ』というような相槌)ももらわずに、自分の信念だけを拠り所にして、目に見える「自分は正しい、これでいい」という根拠があるわけでもないかもしれないのに、それでも貫く

ことを、暗に求められます。

人によっては、

周りから「お前はダメだ」と(そう言う人の論がどれだけ信憑性があるかないかを問わずにすべて)自分を否定したり、誹謗中傷・罵倒してくるエネルギーを、あしらい続けて決して負けない

といったプラスαの強さまで求められます。
(これは、その人がどれだけ周囲から容認されるか、それとも風当たりが強いかに依るでしょうが)

もちろん、

「周りのみんなができてないから、自分もできてないけど、まぁいっか」という誘惑と常に闘い続け、決して負けてはいけない

ということでもあります。

周りと同じで安心するという甘えが、もしかすると一生、許されないわけです。
(受験生の段階ではなかなか意識できませんが、いざ合格して職業としてキャリアをスタートさせると、周りの同業者は全員、合格者。途端に、受験生の間では少数派だったはずの合格者が多数派になります。そして大多数の司法書士は、ある程度以上しっかりした会社に勤めるサラリーマンより稼げません。ここで多数派でいる、『みんなと同じ、並でいいや』と思っているということはつまり、『そのへんのサラリーマンよりも稼げない』現実を生きるハメになります。同業者のなかでも稼げる、少数派の『凄い人』にならないと、それなりの成果しか得られないわけです←それなりで充分ですよ、と満足するという選択肢もありますが)

少数派になる&少数派でいる覚悟

がないなら、どんな分野にせよ、高望みなどせず、どんなにショボくパッとしない現実でも文句言うな、ってことですかね。

たいした目的があるわけでもなく、頑張る頑張るといってそのときそのときはポジティブなフリをしてみせるけど長い目でみたら明らかにだらけていて何もしていない、そんな「みんな」と同じでいたいと願っておいて、人並みはずれた成果を出したい、成功したい、人よりも良いものを多く得たい、なんて思ってるとしたら、ちゃんちゃらおかしいんじゃないの、ってことなんでしょうか。

えー、わかんなーい。みんなと同じでいいじゃん?みんなで楽しく生きていようよー。1人だけ成功しても孤独じゃ寂しいよー。

P.S
なんで司法書士の勉強本なんか買ったのよ、と思う人いるかなと思って書いておこう。

もともと私、勉強法ヲタクのようなところがあって、単純にいろんな勉強法を提唱する人がいると、興味あるんですよ。

だから司法書士という資格自体はどうでもよかったんだけど、

「一般常識では最短でも1年半はかかるとされる司法書士に5ヶ月で合格?それってどんな変わった方法の勉強法を提唱してるワケ?」

という点が興味深かったんです。

その点でいうと、「正当派を突き詰める」ということですね。この著者の言うことは。

点獲り虫になる

ことを主眼としていると冒頭に著者みずからが述べているとおりです。

合格率3%が物語るとおり、司法書士は難関資格試験とされます。

だから、97%の受験生が陥っている「(本来、合格したいなら完璧にしておくべき点を完璧にできてない)甘ちゃん」では言語道断。

さらにもう1つ気をつけるべきなのが、「受験合格だけを視野に入れるならば、ちゃんとすべきでない点(≒試験の点数獲りと関係ない、単なる知的好奇心に基づく勉強、探求)は、バッサリすべて捨てる」こと。

とにかく、立派な法律家になるかどうかはどうでもよく、単純に試験に受かるためだけのマシーンになりましょう、という提唱でした。

個人的には大賛成です。

資格試験の合格を目指しているといいながらサイアクなのが、

・勉強そのものが好き、試験の科目&範囲に興味があり、ライフワーク的に深く学んでいる

・本番の試験で問われない細かい疑問などを、自主性を発揮して積極的に、とことん突き詰める

・試験勉強をする時点で、「試験合格後、実務についたとき役に立つかどうか」という視点を持つ

・試験の合格よりも、ある分野を自分が納得いくまで完璧に学習できたかどうかにこだわる

なんですよね。

ドライかもしれないけど、不埒だとか不真面目だとかけしからんとか言う人もいるかもしれないけど、

資格試験は受かってナンボ

です。

合格者よりも試験範囲について何かを詳しく知り尽くしている不合格者、なんて、その職業に就くために試験を受けるという意味だけでいえば、クソの役にも立たないんです。どれだけ法律に詳しくても、司法書士の仕事をすることはできないんです。

もし、ライフワークとして、あるいは趣味として、「たまたま○○試験で問われる科目&範囲を勉強している」というなら、試験の合格はゆめゆめ「目指しています」などと言わない&思わないことでしょうね。単純に趣味として、知的好奇心のおもむくままに楽しむべきだし、もし、なんちゃってで試験は受けるというのであれば、まぐれか何かで受かったときはラッキーを喜んでいいと思いますが、不合格だったときに一切、悲しんだり悔しがったりするべきじゃないでしょう。

そして、試験に受かりたいと思うなら、自分の知的好奇心や「自分なりの学び方、自分が好きだと思うことだけを好きなように、好きな深さ&広さで学ぶ」みたいな甘さは捨てるべきではないでしょうか。

もし、「試験合格のために機械的に学ぶなんて嫌だ!」と思うならば、それこそ、まっとうな実務家として大成することを目指して学習しても実際に試験で合格できるという優秀さが大前提となります。その優秀さなしで「試験に受かるための勉強など、本当の勉強とはいえない」みたいな偉そうなことは決して言うべきではない、というのが私の考えです。

ようするにスジ通せや、ってことなんですけれどもw

って、試験勉強について私がこんなところで語ったところでそれこそクソの役にも立たないし、私が今後一生、司法書士を目指したり受験したりすることもないわけですがw
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