銭湯トリップ

よく、「思い出は流行歌と共に刻まれる」という考え、ありますよね。
当時、流行っていた歌を聴くと、その頃の思い出が蘇る的な。

あれ、私の場合は銭湯なんです。理由は不明。

水はオーラを吸う、と風水では言われるのか言われないのか知りませんが、私の実感として、良くも悪くもムンムンに放ってるオーラが、水気のあるところに行くと吸われて消えて?ぼんやりおとなしい状態になる印象があります。

もうもうと煙る湯気にあてられて、ぐでーんと気が抜けて。
そのとき、自分では意識していなくても、その時点の自分と銭湯という場が、一体化して記憶されるみたいなんですわ。

で。

数年ぶりに、とある銭湯に行ってみると。
べつに自分では何も期待しておらず、ほんの気まぐれのつもりなのに、風呂に浸かって湯気に包まれてぐでーんとなったとき、かつての自分の気持ちから記憶から、バァーッと蘇ってくるんです。

それはもう、子供の頃の写真アルバムを眺めるような、なんともいえない感慨があって。

トシのせいか、20代以前の自分が経験したことのさまざまが、本当に今回の人生で実際にあったことなんだろうかと疑わしいような、ただの妄想で実際には起こっていなかったんじゃないか的な感じがします。ある意味、過去生を思い出しているような遠さ。

そして、その頃の自分が考えていたこと、夢見ていたことと、今の自分との変わらないところ、変わったところを照らし合わせてみたりして。

そんな銭湯トリップ。

そんなこんなで私は、そのときそのときの自分を「バックアップ」するかのように、折々に銭湯を巡るのです。


P.S

銭湯トリップで昔のそのときどきの自分と比較して思うのは、

素直に心も体もエネルギーも開いてウェルカムしてりゃあ自然とちゃんと流れ込んでくる恩恵を、みみっちいこだわりや偏見や意地で拒絶し、良くなっていってしまう自分の人生の変化が怖くて現状維持に徹しようとしてみたり、要らぬ抵抗で拒否った分だけ、ショボい現実を生きるハメになる

なぁ、ということ。

また同時に自分は、

自然に素直にしてればどんどん豊かで幸せになっていってしまうその現実では嫌で、あえてそれを拒絶してショボく不幸でいるってどんな感じなのかを、なんとしてでも実現したかったんだなぁ

とも。

わかりやすい成功の形からすれば、ものすごい代償を払ったような生き方ともいえるんだろうけど、自分が手にできたかもしれないが自分の意思で選ばなかったどの形よりも、実際に生きてる今の在り方が誇らしいし一番、欲しいものを手にできてる実感はある。(これって幸せなことなの?)

だから自分は、無理くりでもごまかしでもなく、公明正大な気持ちで、過去のどの時点の自分に向かっても正々堂々と自信を持って

「今のお前の生き方は間違ってない。よくぞその生き方を、在り方を貫いてる。信念を曲げずに、わかりやすい目先の良いことを意図的に見送るような事態が重なっても折れずに、自分の決めた道を歩けてる。それはとても誇らしく、素晴らしいことだ」

とエールを送るのであります。そんなささやかな自己満足、アリでしょ?
だって、風呂でぐでーんとなってるときだもの。大目に見ようよw
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