芸事に勝敗を決める日本古来の思考(に踊らされてない?)

和歌でも奏楽でも能(など演劇、演舞の類い)でもなんでも、日本には、本来は競うものではない(のかもしれない)芸事について、勝敗をつける伝統が(主に貴族など身分の高い人たちの間で)ありました。

平安貴族の間では、笛をうまく吹けるかどうかが出世の明暗を分ける重要な1つの要素だったといいますし(貴族の仕事やお役所的実務能力と全然関係ないっぽいのにねw)、宴の場で和歌でも楽器の演奏でも舞いでも、そこでの勝敗が人生全体の明暗にリンクしてしまうわけです。あるいは、これまた日本ふうだなぁと思うのですが「末代までの恥」として、負けたことが汚点になってしまうんですね。
(というか、負けたことを汚点として極度に意識しすぎる思考が古来から日本人の集合意識で形成されていたぽい)

そこに、これまた日本の特徴であろう「穢れ」の概念がリンクして、「負け=穢れ」として、負けた人間に対して過度に冷たかったり敬遠するようなところが、他の国々(←といっても、他の国もたくさんあってそれぞれに違うので一概には言えませんが)とやはり、違う感じ。

さらに、「べつに一部の人たちから認められてなくたって、自分らしく生きていけば」と今だからこそ日本でも言えますが、長い歴史を見ると日本はなんだかんだいって、良くも悪くも集団生活の密度が高い生活&文化スタイル。
自分が属する集団での名誉的な勝敗は、「べつに気にしなくてもいいや」で済まされるものではなかったようで……。

また、天下統一以前は日本国内でも小国ごとに分かれており、敵味方に分かれてそれこそ殺し合いの戦争をしていたわけですよね。
隣国となにかと戦うことが多かった地域で先祖代々、住んでいた人というのは、名誉どころか物理的に命の危険が伴う恐怖感や緊迫した雰囲気を、物事の勝敗とリンクさせがち。
(その点、たとえば私の家系は江戸時代からずっと栃木県日光市に住み続けてきたようですが、日光東照宮があるため?隣国と戦(いくさ)をしたり、貿易などの利害関係で揉めたりといったことがまずなく、『意見や主義主張が異なる他人を敵とみなして戦う。自分を押し通して正しい&勝ちという評価を得る』というバトル的な思考が数百年単位でコロッと抜けていますw ←こういうところで生まれ育ったこともあり、大学進学したとき周囲が『周りは全員ライバル!容赦なく蹴散らして自分こそが天下を獲ったる!』と鼻息荒くしているのがあまりにもカルチャーショックで、こういう荒々しい……というか、はしたない人がその鼻息の荒さをさらにむき出しにして出世を競いあうようなサラリーマンには、死んでもなりたくないやとの思いを新たにしましたw)

この思考を遺伝的に(あるいは過去生由来で)引きずってしまい、何事につけても「勝ち」をおさめないと気が済まない、そうでないと極度に落ち込む……というクセがついてしまっている人が一定数いる印象。

まあね、そもそも弱肉強食のこの世において、負けてもいいやというスタンスになりすぎてもそれはそれでアレなんでしょうけど、その人の目指す人生の充実と直接関係ないやん!というささいな物事の勝敗を、人生最大の大勝負であるかのように捉えてしまうというのは、あんまり良い影響とは言えないかもですもんね。

思い当たる方は、チェックしてみて、当てはまってたとしてそれが自分のいまこれからの人生にとってマイナスになりうる?と思ったらワークしてみては。



上記の例は貴族バージョンみたいなところがありますが、農民など庶民レベルでも日頃の仕事の出来具合から来る「頼りがい、リーダーシップ」はもとより、米俵を持ち上げられるかどうかといった体力コンテストみたいなものの結果が、実質的に村の寄り合いのときの発言力に直結していたようなところがあったといいます。

何でどう競い、その結果がどのくらいどこに影響したか、は置かれた状況によって異なるのでしょうし、庶民の暮らしとなると歴史文献などにもそこまでこまかく記録が残されているわけでもなかったりして、今となっては調べようがないというのが実際のところ。
でも、というかだからこそ、霊視で見えてきた変な風習?の影響が自分にないかどうかを見てみるのは、超感覚ヒーリングを身につけた人にとっては有益だろうし、あるいはそういう人にヒーリングをお願いすることの意義にもつながると思います。

夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」という本で書いてあって驚いたんですが、地域によっては、男性器の大きさを村人同士で比べたり、そこに土瓶をぶら下げて持ち上げられるかどうかといった、卑猥ともくだらないともとれるコンテストがあったそうです。
でもそれが笑い話ではおさまらず、負けた男の家が村全体の祭の費用を出すことが強制されるなどの理不尽があり、破産してはたまらない&村一番の粗チン一家との誹り(そしり)に耐えられないと、チンポが小さいことを苦にして妻子を連れて一家で夜逃げ……というような、笑えるんだか笑えないんだかよくわからない逸話が、本当にあったようです。

そういう、「えっ!?嘘でしょ?」というような経験で生じたネガティブな思考を、自分の先祖から遺伝由来で受け継いでいないかどうか、ほかならぬ自分自身の過去生から持ち越してきていないかは、要チェックだと思いません?

……つか、その時代にどうしてもそれをみんなでやるのが歴史の必然(≒人類という形をとってこの世に存在した魂たちの意向)だったんだろうけど、でもやっぱり、ここ千年くらい(のうちの最初の2/3、つまり10〜16,17世紀?)のあまりにも陰惨な時間は、ちょっと解せないなぁ……と個人的には思います。美しくなくってよ!?とプンプンしちゃう(←勝手にしてろよ)w
関連記事
スポンサーサイト