甘えとしての完璧主義

「私って完璧主義だからァ〜」

と言う人に限って、何一つ完璧なところがないように見えるのが昔から不思議でした。

でもヒーラーとして活動するうち、完璧主義を自称するはずなのにどこも完璧じゃない人の共通項として、

・完璧な人は物事に100%の責任を持ち、周囲の期待に応え、非の打ち所のない成果を出すことが求められる……が、そうでないならあとは99点も0点も同じで、やらなくていい、できてなくていい(≒自分が甘える根拠となる)

か、あるいは

・はじめから自分に「ダメ、×、よくない」と、不十分な評価をつけることが目的。決して満足も納得もしない(無限に上を目指し続ける)のを美徳だったり生きるモチベーションだったりにしている(≒自分に厳しくしていると思うことで満足している。たとえ成果が出ていなくとも、完璧を目指してる姿というだけで実は自分に○をつけて甘んじている)

があるなぁと感じるようになってきました。

完璧主義と称しておきながら、実は甘えの口実。完璧でいないことや、完璧を目指してより一層努力することを否定したり逃げることを正当化する根拠にしている。

人間って、よく考えるよなぁ……と思います。

あと、完璧主義で苦しむ自分の姿を他人の前で演じてみせたあとで、
「私がこんなふうになったのは、親が厳しかったから」
と言ったり。
(はぁ?そんな壮大な芝居までして、自分の親を他人に向かって悪者アピールし、同時に自分を悲劇のヒロインだと同情してもらおうとしてるわけェ?(でもそれって、そんなことするアンタ自身が性悪の卑怯者にしか見えないんだけど?)
私がこんな哀れで可哀想なのは親のせいであって私のせいじゃない、だから私が何か至らない点があったとしても私に責任は無いから悪く言わないで大目に見て、って?どんだけ打算的で高慢なのよ、って感じw)

あるいは、完璧主義という言葉をどちらかというと他者に対して向けていて、とりあえずまずはじめに自分自身のことは「まだ至らないから反省してます」と形だけペコリとやったら、あとは全力で他人の完璧でない有様をけちょんけちょんに叩いて攻撃して悪く言って、という……。(やっぱり性悪なだけ)
(自分の大学時代の同級生にまさにこのタイプの典型がいました。彼はいつも最初に『俺は完璧になれなかったダメ人間だから責任を負う必要もないし誰かから糾弾されるいわれもないけれど』と自分のことはさっさと棚にあげると、『東大に入った奴、出た奴は完璧であることを要求されるし、完璧でないことに対する言い逃れは一切、許されない。ほんのわずかなミスでさえも受け止めて無限に反省し、改善し続ける責任を完璧に果たさなければいけない』と勝手な前提をこしらえ、それから後は尽きることの無い悪意をひたすら東大生に向けて何時間でもぶつけ続ける……ということを延々としていました。この条件ルールは大学名だけでなく要はなんでもよくて、『自分は完璧でないから何も悪く言われるいわれはないけれど、○○という条件を満たした奴は完璧であらねばならない』という図式を勝手にでっちあげたうえで、建設的な批判などでは全然ない誹謗中傷をすべて正当化していました)



うーん、短絡的かもと思いつつ、

完璧主義って、「根が性悪」なのをカモフラージュする方便

なのかなぁ、と思わざるをえなかったり。

要するに、何かを悪く言って貶して誹謗中傷したくてたまらない人が陥るのね。

なんで誰かor何かを悪く言いたくて仕方がないかというと、自分の理想が叶わなかったり、心の傷が癒えてないから(補償行為として誰かをdisり、自分の在り方を正当化することで自分の心の傷を癒せたような一時的な錯覚に陥りたがる)。

健全な完璧主義って、少なくとも私はまだ見たことありません。

「これぞ健全な完璧主義だ!心の傷があるからこそ陥った歪んだ、病んだ状態などではないぞ!」

という方がいたら教えてください。
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