世界の果てまで行って(日々を)生きてますか

ようするに「現時点での自分の限界」を見てますか、ということなんですけどね。

人間が生きている現実は、その人の意図が創ったものです。

「劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語」では、ある登場人物の創った仮想世界が街1つ分で、その外が(意図で創造していないので)無いということが明らかになりますが、現実に生きている人間も実は、そういうところがあるんですね。

でも、ここでいう世界の果てというのは物理的というよりはむしろ、「現実的可能性(の限界)」というニュアンスに近いです。

たとえば50mでも100mでも、全力で走ってみる。そうすれば現時点の自分の「世界の果て」が見えますよね。今の自分がどうやったってこれ以上は超えられない、というタイムがあるのがわかるはずです。
(これを西洋のスピリチュアル用語の一部では『Ring Pass Not(超えられない輪≒境界)』と呼んだりするらしいです)

体をストレッチしてみましょう。これ以上は無理、という限界があるはずです。

重量挙げでもそう。これ以上は持ち上げられないという限界がある。

この要領で、勉強しかり、スポーツしかり、芸事しかり、あるいは「1時間以内にいくらお金を集められるか」など、アイデアを出せば出すほど、そのすべてにおいて、自分の世界がどこまでなのか、わかるはずです。

毎日毎日、その日の自分のなんらかの「世界の果て」を見ることは、そこをいつか超えるために重要な印象があります。

もちろん、自然にしててもたとえば成長期の子供が自然と背が伸びて高いところに手が届くようになるとか、べつに世界の果てを見なくても成長していくことは可能でしょう。大人になっても、日々、何かを継続して鍛錬している人は、いちいち世界の果てがどこかを確認せずとも、実質的に日々、自分の世界の果てを拡げていけているかもしれません。

ただ、大多数の大人の場合、よほどでないと、「1日、生活してみて、1つも自分の世界の果てを見ない」で終えてしまうことはよくある話。

それでいて、こまかくいえば不満やさらなる要望はあるっちゃあるけど、とりあえず死なずにその1日を終えられるし、その次の日もなんだかんだいって始まる。それが毎日、何年も続いている(ことを潜在意識が体験を通じて学習してしまっている)。

こうなるともう、自分の限界を突破することは難しくなります。

なにも凄まじいストイックさを持たなくても、普通に会社員として働いていれば、営業成績が自分は精一杯やってこんなもん、というのがわかるでしょうし、コンピュータエンジニアでは自分の理解力やプログラミング能力?頭の回転の早さなどがわかるでしょう。デザイナーでも、プランナーでも、なんでも、精一杯仕事をやってる人は、毎日ちゃんと「世界の果て」を見ています。

仕事以外でも、楽器の演奏やダンスなどなんらかの芸事に打ち込むとか、運動で限界ギリギリまで行ってる人(ランニングや水泳など、距離やタイムが数字としてわかるもの、あとは重量挙げなどはわかりやすいと思います)は、世界の果てを見ている。

もちろん、見るだけみて突破しない人は、いつまでも同じ世界の範囲内でうろちょろすることになりますが(それが悪いわけでもないのですが)、果てを見ればそれを超えてみよう、と思うことができるし、実際に果てを超えるための行動を起こすこともできます(自分の世界の果てを見ていない人は、何をどこまでどうやれば果てに行けたことになるのかもそれを超えられるのかも、わからないのではないでしょうか)。

また、世界の果てを「見たくない」という人もいます。
たいていは、自惚れ屋であり、臆病者です。
自分に限界があるということを認めたくない(何か『無敵、最強』感の幻想に浸っていたい?)んです。
それもそれで、アリアリですけどね。

つまり、世界の果てを見たとき、

「自分の限界を知って落ち込む」か「『ここを超えれば、今より強く有能で成長した自分になれる』とワクワクするか(できるか)」

によって、世界の果てを見るという体験のニュアンスも異なってきてしまうわけです。

で、世界の果てを見たときワクワクできるかどうかは、

かつての自分の世界の果てを超える体験をしてきたか&そのときの快感を知っているか

に依るのではないかなぁ、と。

自己啓発ふうにいえば、手垢にまみれた表現ですが、

小さな成功体験を積み重ねることができているか
(成功する喜びを知っているか)


に依るようです。

自分の成長の喜び(≒それまでの自分の世界の果てを超える快感)を知っている人は、とにかく早く、世界の果てまで行きたくてしょうがなくなる。果てまで行ったところがスタート。そこで、超えられるか超えられないかの七転八倒の試行錯誤。すぐにうまくいかなくても、慣れてくると?試行錯誤をして、自分の世界の果てに挑戦する行為そのものが、言いようの無い高揚感を与えてくれたりもして。
(ドラゴンボールでいう孫悟空が『おめぇ、強ぇなー。オラ、ワクワクすっぞ!』というのと同じ感覚?)

仕事がいま楽しくてしょうがない、という会社員はたいてい、この、「自分の世界の果てを、日々、更新して拡大できている喜び」を感じているからこそ、楽しくてしょうがないんじゃないかなぁー、と思います。

裏を返すと、それらを知らない人というのが、
「べつに真面目にやったってさー、どうせー」
と、悲観的かつ皮肉的な物の見方をして、いろんなことを諦めて、挑戦しなくなり、行動しなくなり、せめてもの最小限度の居場所の確保(≒保身)にだけ注力するように尻つぼみの人生になっていく、、、んじゃねえかなー、と。

まぁ、戯れ言ですが。

P.S
今日はどんな世界の果てを見たか、超えたか、を日記でも手帳にでもつけると、いいと思うなぁー。

べつに記録しなくても、「昨日(or先週、先月、半年前、1年前etc)の自分と比べて今の自分はこれだけ世界が広がっている」と思えれば、良い感じだよね。

逆に、「前はできてたのに、今は……」と、世界が狭まってきちゃうこともある。それが嫌なら、狭まった分をまた拡げるだけの行動をすればいいだけのこと。
めんどくさければ、そのまま放置すればいいだけのこと。

どれでもべつにいい。せせこましい世界でも満足、と思えば、好きなだけ世界が狭まるに任せておくのも一興。

どの生き方がどの生き方よりも良いとか悪いとかは、ない。

ちなみに個人的な価値観で判断していいなら、ダンゼン……。あ、この先は内緒w
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