見たい現実だけ見る達人

アニメ「フィニアスとファーブ」では、フィニアスの母が絶対に、フィニアスとファーブの発明品を見ないですよね。

私の父方の祖父がまさにそのタイプで、どんなに「おじいちゃん、あれ見て!」とせっついても、まるでフィニアスとファーブのアニメのように、都合よく祖父が振り返る寸前に見せたいものが消えてしまい、

「あれ?どこだ?何のこといってんだ?」

となってしまう。

はじめ(自分が幼かった頃)は、なんかそういうもんなのかなと軽く捉えてましたが、だんだん、

これは本人が強力な現実創造能力を駆使して創り出している現象だ

と気づきました。

祖父が見なかった出来事の最たる例は、父(つまり祖父からすれば自分の息子)が私(祖父からしたら孫)に殴る蹴るの暴力をふるうシーンです。

毎日日常的に繰り広げられていた暴力を、同居していたのに祖父は一切、見ませんでした。

私の顔にアザがあってもコブがあっても血を流していても、

「まーた転んだんか。おっちょこちょいだなァお前は」

と笑顔。

事情を説明しても、どういうわけか馬耳東風で、祖父は一度も「自分の息子が孫を虐待している」と認識することはありませんでした。
(大家族で3世帯が同居していてそれ、というのが最高に凄い)

誰かに孫である私を紹介するとき、祖父はいつも
「こいつは甘やかされて育って、親にもぶたれたことがない。叩いて躾けるだけの親に躾けられなかった自分が悪いんですけどね」
という、謙遜ぶった自慢をするのが常だったのですが、あれだけ毎日毎日殴られ怒鳴られる我が家の日常を一切見ず、私のことを「親にもぶたれたことがない」と本気でいけしゃあしゃあと言える神経が、ほんとにほんとに、すごいと思っていたものですw

暴力のほか、祖父が見なかったのは、動物や人間など、生き物の素晴らしさに気づいてしまうようなシーン。
生涯ずっと祖父は、動物を蔑み、人を蔑み、この世はロクでもないと不平不満や怒りをまき散らしていました(それはとても嬉しそうに見えました。そりゃそうだ、自分の考えは正しい!という独りよがりに浸っているのだから)。

植物だけは例外で、祖父にとってこの世界で素晴らしいものは植物と自然(動物を除く)、それに音楽だけだったのかもしれません。いや、それ以上に祖父は、「世界でもっとも素晴らしいのは自分自身だ」と思っているような、高慢ちきな自惚れ屋でした(自分自身を最高に素晴らしいと言うために、そのほかのものをすべて、なんとしてでも悪く言おう、良い所があるなど思わないようにしようとしているようなところがありました)。



祖父が死に、シータヒーリングのセミナーで「死者と話す」実習をするとき、受講生の数が奇数だったので私がとある受講生と組むことに。

祖父に、

「自分の息子(私の父)の有様について、どう思ってるんですか? 世の中の有様について、生前の価値観とどっか変わったりしましたか?」

と尋ねてもらうと、生きていたときとまるっきり同じ様子で

「べつに?(何を他愛のないことを言っているんだお前は?それがどうかしたか?)」

という返答。

まったく、反省も自責の念も、なんらの罪悪感も持っていなかったのが驚愕でした。

天上天下唯我独尊

この考え方をここまで独善的に、他人がどれだけ迷惑を感じようともそしらぬ顔でふらりとやってのける手腕(っていうのか)は見事としかいいようがない。

事実、祖父は生きている間じゅう、金に困ったことはなかった様子ですし(それどころか、孫など小さい子供を見ると札束(500万円くらい?)を取り出してきてそれをハリセンみたいに自分の手のひらや机の端をぺちぺち叩き、『どうだ?じいちゃんは金持ちだろう?』と自慢する……という悪癖は、幼心に下品だなァと思いました)、10代のときは銀座の歌声喫茶でジャズヴァイオリニストとしてブイブイ言わせ、戦時中は特殊な技術力をいち早く身に付けて軍需工場では他人の何十倍?もの賃金を稼ぎ、いざ赤紙が届いて召集を受けても訓練中に終戦を迎えたため実戦は経験せずに済み、20代にして?家を買い、嫁さんをもらい、マイペースで稼げる自営業で成功し、組合でも「お偉いさん」的な肩書きを手に入れ、その運気の流れが途切れることもなく50代にして20人近い孫に囲まれ、そのまま90歳近くまで何不自由なく暮らせて大往生できるわけで。
いわゆる凡人、一般庶民的な1人の人間が望むものはすべて手に入れてきてるわけです。

それはそれでブレがなくてすごいなと思う反面、あまりに人……というか、エネルギー状態として出来上がりすぎていて、

ある固定化された時点の思考パターン、価値観のまま全然成長しないのはなんだかなァ

とも思いました。

現世では、人間が霊的に進化するのを良くも悪くも邪魔する働きがあります。

進化・成長というのはつまり変化ですから、ある時点での安定はいったん、崩れることになります。
崩れる……とまではいかなくとも(どう崩さずに進化するかも技なのですが)、揺らぐ、不安定になるのは最小限度は避けられないようなところがあります。

安定していたものが不安定になると人は「なにかよくないことの前触れ、自分がしていることが間違いだからこうなったんじゃないか」と考えるところがありますよね。
そこで「いいや、これは間違っちゃいない。進化のためのプロセスだ。成長の副産物だ」とおおらかに捉えてそのまま進めるか、ってことなんです。
(場合によってはほんとに、よくない動きの結果としてガタがきてることもあるので、見極めが難しいわけですが)

また、霊的に進化したり、(創造主の観点からみて)正しい、真実だとされるようなことは現世では「ダサい、カッコわるい、キモい」と評価されやすいようにできています。
(評価されやすい、というか、霊的な真実を否定したり疑ったり貶すことを善しとする思考パターンを持った人間が多いので必然的にそうなる)

そのなかで、風当たりがあっても、万人からの理解や支持を得られなくても、自分が信じた(霊的に進化する)方向に進めますか?……ということが、人間には問われています。

祖父は、少なくとも私から見た限りでは、そうした霊的な探求や成長、進化といったものとは無縁でした。

ある時点の、ある価値観からすれば「完成された」エネルギー状態をそのまま生涯、発揮し続けて、現世利益的に不自由ない現実を創り続けた。見たくないものは一切、見ないことを実現する世界を創出し続けることができた。(偏った物の見方で好き嫌いを言う顕在意識からすれば)生きたいように生きることができた。

それが良いとか悪いとか、言うつもりはないし、そう生きるのが本人の望みなら、他人が口を出すことではないな、とは思います。

ただ、個人的な信条を言うなら、祖父みたいな生き方は、死んでも厭です。

ある意味、(いつも愚痴愚痴いってる両親よりも)私にとってはこの父方の祖父が、理想的な反面教師となっています。
(両親は、単純に、もろもろ程度が低すぎて、反面教師としても参考にできるところがないw)

そして不思議?面白い?ことに、私はこの、父方の祖父が嫌いではないし、憎んでもいません。
ある意味、(呆れたニュアンスは入りますが)尊敬しています(ぜったい真似したくないし、憧れもしないけどねw)。



世間には、手軽に読めるライトタッチなスピ本がたくさんありますし、それらが口を揃えて

苦痛から解放されよう、欲しいものはなんでも手に入る!夢は叶う!

みたいなことを謳い文句にしてますが(それが悪いともまったく思わないのですが)、そういうものを見るたびに個人的には、父方の祖父のことが想起され、「ビミョーだなァ……」と顔にタテ線が入るのです。

そんなだから私は祖父と違って、現世(利益)的にはガチャガチャと(地味な)波瀾万丈っぷりをいつまでも続けてんのかなァ、と情けなく思うこともなきにしもピアニシモ。

「いいじゃないの!商売繁盛!家庭円満!子孫繁栄!健康長寿!……人が望むすべての現世利益が手に入るほうが、霊的な探求だか進化だか成長だかよりずっといいわ!!」

という人は、祖父みたいな在り方を理想として、夢は叶う系のスピ本を熟読したりするんだろうか。なーんてね。

オチなし。読んで損したって?ざまぁ!!w
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