魂の使命とか大それたことを考えるのは1日の1/10でOK

今年はとりわけ、

「私の生まれてきた魂の使命はなんでしょうか?」
「私がこの世で果たすべき役割はなんでしょうか?」

という相談が多かった印象があります。

しかもその「使命」とか「役割」というのが、会社員とか町内会の一員とか親としてとか、そういう具体的なものではないんですよね。

人類の霊的な集合意識を啓発して波動を上げてうんたら、とか、霊界のなんとかをこの世にもたらす~とか、もうとにかく壮大で抽象的で。

そんなことを考えるほどの境遇にいるということは、人間としてできることはすべてやりきってしまっているのかなと思うわけです、こちらとしては。

でも実態は、日常の仕事や家事、もっというと掃除・洗濯・整理整頓・入浴・歯磨きetcみたいな些細(だけど重要)な日々のタスクをまともにこなせていないとか、お金を無駄遣いしてしまうとか、会社や友達などの人間関係がうまくいってないとか、

1人の人間として、どうなの?

というグダグダっぷりなことも多くて。
(これは決して特定の個人を指してるのではなくて、あくまで傾向として、です)

自分の日常生活(よく『半径5mの環境』と呼ばれたりする、ようするに『身の回り』のこと)が理想どおりにならずストレスに苛まれている(≒自分の身の回りのことすらろくすっぽマトモにできてない)くせに、魂の使命がなんちゃら、なんてもし知ったとして何ができるの?と思ってしまいます。

そんなこと考える前に、この人間社会で生活する者として自分が望む

衣・食・住・金・人(間関係)・体(調&型)・学(力&歴(≒資格など望む要件ならなんでも含む))etc

がどんなものかを明らかにし、それを整備するほうが先決なんじゃあ、と。

べつに億万長者になるとか、この世で考えられる最高の地位に昇り詰めるとか、そこまでしなくてもいいから、

「まぁ自分は、今の勤め先で仕事もこなせてて、毎月の生活もうまく回る程度にはお金もあって、身の回りのことはやれてます。だからこそ、プラスαというか、霊的な使命みたいなものがもしあって、それを遂行するのが自分の人生の充実にもなってこの社会への貢献にもなるならやりたいと思うようになったんです」

みたいなところまでとりあえずは行ったら、魂の使命とか自分がこの世に生まれた理由とか、そういう壮大?抽象的?霊的?なことを考えればいいんじゃないでしょうか。

霊的な使命とか生きる目的とかを考えるのは、1日の行動時間のうち1/10くらいで十分

じゃね?
(16時間起きてる人なら、1.6時間……100分くらい? 2時間近くも将来のこと考えてりゃ十分だよねぇ)
(かくいう私もブログ書いたり手帳にビジョンを描いたり予定に落とし込んだりで、1日のうちトータルで1時間半くらいでしょうかね)

それから、

「私の果たすべき使命は~」

とやたら気に病む人にチェックしてもらいたいのは、

・使命を果たせずに死んだら罰せられるといった、一見まじめだけど偏った誤りの思想に呑まれていないか

・自己価値を確認できていないから、使命を遂行できているかどうかで自己価値があると思い込みたくて言ってないか(それだと独りよがりの自己満足のオナニーです)

・日常生活の目の前にある課題や嫌なことから現実逃避する口実として、そういうスピリチュアルぽい思想(それが真実であっても妄想であっても)を使っていないか


ということ。

そもそもこれを言うと元も子もないかもですが、

もし本当に何らかの使命を果たすことを社会から求められている人は、たとえ本人が何もしていなくとも、周りが放っておかない

はずです。

あるいは、もし本当にその人に使命があるとしたら、

それが使命か何かなど考えることに意識が及ばないほど、具体的なタスク(仕事や芸事の訓練など)に本人が没頭している(結果、大きな業績を成し遂げて、結果的に使命を成し遂げる)

ということも充分に考えられますよね。
(個人的に真っ先に思い浮かぶのは、スティーブジョブズですが)

自分1人で「私の使命とは何か~」と考えているわりに何も現実が進展していかないということは、もしかすると少なくとも、その人が視野に入れている領域で直近では特に何も世の中からも霊界からも他人からも求められていない可能性があります。

もし、自分が何らかの分野で活躍したい、何か(職業など)の仲間入りをしたいというのなら、使命がどーのこーのとか言ってないで、

「黙ってじっとしてたら誰からも見向きもされない。自分の居場所は、自分で強引にでもなんでも創り出さなきゃ!」

という意気込みでいればいいんじゃないでしょうか。ワガママでもエゴでも、自分がやりたいからそうしていると認めている人のほうが、「べつに私がやりたいわけじゃなくて、使命が~」とか言ってる人より、ずっと素敵だし信用できると思うんですけど?



もし、

「だって、ずっと頭のなかで、私の守護霊が、こっちに行け、と言ってくるんだもん!その声が消えてくれないんだもん!」

という場合、本当に霊の声なのかどうか信頼できる霊能者やヒーラーにみてもらい、もし違ったらそれは精神疾患の可能性を疑ったほうが現実的かもしれません。

もし本当に霊の声だったとしても、本人が現実生活を送るうえで支障をきたすほどに干渉してくる霊なら、そのままにしておくのはよろしくないわけで、何らかの手段(その守護霊のリストラ、干渉度合いについての話し合いetc)をとったほうがいいと思います。

また、ある霊体が「やれ」と迫ってくる使命とやらが、本当に自分が成し遂げたいものかどうか、受け入れることを選択するに値すると思えるかどうかは主体的に意思決定したほうがいいかも。霊が言うことならなんでもきかなきゃ、というのは単なる思い込みですよ。

(ていうか、現実でうまくいってない人ほど、チャネリングで霊たちに『誰か、何か私に頼みたい仕事ありますぅ~?』と呼びかけ、それに応じた霊からあれこれパシリ業務を言いつけられる。そしてそのパシリに振り回されることで、一時的にでも現実の憂さを忘れて現実逃避~ということが多いです)



こう言ってしまうとほんとに元も子もないかもですが、霊的な使命が云々、と言って現実の生活が手につかない人の大半は、

人間社会にうまく適応できず、仕事やプライベートなど人間関係が充実していないから(=非リア充な人間だから)、霊的な使命がどーたらこーたらと考えることで自分の殻に引きこもっている&現実がうまくいってない理由を「使命が見つかってないからetc」にしたつもりになって正当化しているだけの卑怯で卑屈な“コミュ障”で“ぼっち属性”の無能な小心者

です。

誰からも相手にされてないから、現実と向き合うのが嫌で、そんな自分を考えたら惨めで耐えられないからこそ、霊的な何かがどうのこうの、という妄想のほうに逃げる。

(もちろん、ここに挙げたような内容と異なって、本当に霊的な事象との取り組み方を考える時期&準備が整った人もいますので、必ずしも全員が全員そうともいえないのですが。ただ、準備が整った系の人は、非現実的なことばかり言って現実が手に着かないということはなくて、ちゃんとしっかり身の回りのことをすべてやったうえで言ってることが多いんです)

個人的に、一番信用してないのは、

「私が霊界の存在○○とチャネったら、こう言ってきて~。あー、どうしよー!大変だよぅ。○○ってば、厳しいんだから。でもそれが私の使命だというなら、やるっきゃないよね!」

と、チャネリングしてコンタクトをとった霊界の存在がこんなことを言ってきた(から私が困惑したり、なんらかの方向に突っ走っているのだ)、と豪語するタイプです。

チャネリングできたということ自体が怪しいことが大半ですし、もし仮にチャネリング自体が嘘ではないとしても、メッセージの受け止め方が偏っていることがほとんどです。
霊からのメッセージをわざと大袈裟に受け止めて「ひえー、これをやらなきゃあ!」と言うことで意図的に振り回されてみて、そうすることで現実の問題(自分が仕事やプライベートで人から認められておらずハブられていると感じる、非リア充な自分の惨めさを認めること)から目を逸らす。

だいたい、その霊が神格化されたほどのレベルにいるなら、チャネリングする人間の側が「私がもっとすごくなるためには、どうすればいい?」と大雑把に質問したら、とても人間には処理できないほどの修行内容やらやるべきことやらを、教えてくれるでしょうよ。でもそれは、本当に神格化された霊と等しいほどの高みに昇るならば、という前提があるわけで、その人が今すぐ取り組んですべてを成し遂げたほうが本当にいいかどうかは、慎重に検討する必要があります。
(それでも、アセンデッドマスターと呼ばれるような、本当に信頼できる高位の霊であれば、現実の生活が手につかなくなるようなことを示唆してきたりはしないはずです。『そういう霊的なあれこれを考えるのをやめて、目の前の現実にベストを尽くせ』的なことを言うはずですが?)

霊的な使命がどうのこうのといって、あからさまに変な感じになっちゃってる人がすべきことは、とにかく、

現実で自分の置かれた境遇で、周りの人と仲良くし、受け入れてもらい、(その人たちの価値判断基準に迎合することでも構わないから)自分の価値を認めてもらい、もしそれがすぐ叶わないなら、どこがたりないのか、何がいけないのかあくまで現実的に具体的に考え、自分にたりてない能力や属性やらを獲得するために努力する

ことだったりしてね。

よく、他人に何を言われようと気にせず自分を貫けばいい、とは言われますし、本質的にはそうだと思うのですが、

生き物は、自分の周囲と仲良くできた種が生き延び、そうでない種は淘汰され絶滅してきた
(個体や種族としての能力の高さなんて、世界全体で生き延びられるかどうかを見れば、問題じゃなくなります。多少、優れていようが劣っていようが関係なく、周りとうまいこと、よろしくやれたもん勝ち、なんです)


という歴史を辿っており、この原則は今も(なかなか見えにくいし、意識することもあまりないかもしれませんが)真理の1つとして健在です。

もし、自分の周囲にいる人間全員が、自分をどうあっても認めない価値観の持ち主で駄目だというなら、引っ越しでも転職でも海外移住でもなんでもして、周囲から自分が受け入れてもらえる環境を構築することを目指すべきだと思います。

ただ、「すべては必然」ということを考えるなら、どんなに自分で嫌だと思っても、現にいま、自分の目の前に現れて接触を持つに至っている人々というのは、70億ちかい人間が住む地球のなかで、選りすぐりの数十~数百?数千?人なわけです。その人たち全員から嫌われたり、自分が距離を置いて拒絶してしまうとしたら、それは本当に、「周りの人間がすべて悪い」と言いきってしまっていいのでしょうかね?
(いま、自分の周りにいる人全員から嫌われたり受け入れてもらえてない人・あるいは相手は受け入れ態勢できてるのに自分のほうから毛嫌いして拒絶したりビビったりして距離を置いてしまう人というのは、その状態のままではおそらく、地球上のどこに行っても、たいして状況は変わらないのでは?というのが私の本音です。こまかい性格や価値観の違いはあれど、国籍や民族、文化が違ったとしても、人間のコミュニケーションの根幹は世界共通で、ようするに『人と人が仲良く接する』スキルがないとすれば、どこに行ってどんな性質の違う人ばかりのところにいっても、同じ『ぼっち生活』の繰り返しではないでしょうか?)

いずれにせよ、

スピリチュアルな使命がどうのこうのと言う資格があるのは、肉体と精神の健康から社会生活から人間関係から仕事から経済力から、この世で人間として生きていくうえで備えるのが望ましい現実的なことをすべて満足のいくものにできた人だけ

だったりするんじゃないのォ?と思ったりして。


えー?なにそれー?ひどーい。どんな在り方をしていたって、どんなことを考えていたって、その人の自由だと思うよー?勝手に自分の価値観で人のこと悪く言う資格なんかあなたにないよー?そうやって人を傷つけるようなことを言ったカルマがいつかあなたに報いるでしょう。そのときにせいぜい思い知りなさい。私こそはホンモノなんだから。本当だってわかるもん!だって直観するもん!ニセモノと違うって、わかるじゃん!あなたに何がわかるのよ!波動が低いからそんなこと言えるのよ!私には使命があるの。本当に、生まれてきた理由があるのよォ……。

とか、言ってれば?w (←誰に言ってんの?←え、べつに誰も想定してないよ?そんな感想もつ人いるわけないじゃん)



霊的な使命がうんたら、などに限らず、たとえば

・将来、今と違う業種に転職したい(ための下調べ、モチベーションアップのためのイメージトレーニングetc)

・投資、スポーツ、囲碁将棋や麻雀などの娯楽ゲーム、楽器、資格試験など「いまの目先の生活に必要ないけど将来的に充実・上達させたい専門知識&技術」がある

など、今の生活サイクルには(仕事として?他人に表明できるだけの実力を備えた趣味として?)組み込まれていないことについて勉強したり練習したり調べたり想いを巡らせたりするのも、1日の1/10確保するとよい、といわれます。

この場合、逆に毎日1時間半以上もの時間を確保するのが大変になるぽいでしょうけど。
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