スーパーマリオのテーブルクロス

思い出話です。

小学生の頃、イラストを描くのが大好きで、同級生たちにも評判がよく、1〜2年生の頃はイラストを「描いて!!」とクラスのみんなにせがまれ、毎日何十枚も描いてあげていました。

弟が小学校に入学することになり、給食用のテーブルクロスをつくることになりました。

スーパーマリオのイラストを弟が母親にリクエストしたので、母は私にスーパーマリオのイラストを描くよう言いました。それをテーブルクロスに転写?するつもりのようでした。

とはいえ、べつにスーパーマリオの絵なんか描いたことなかったので

「プロみたいにはうまく描けないよ」

と言ったのですが、母は

「いいよいいよ」

と笑顔。

それで気楽になり描いて母に見せたら、

「何よこれ!子供のラクガキじゃない!」

と激怒。

スーパーマリオのゲームソフトの箱のイラストを持ち出してきて比較し、

「あんたには、これ(=ゲームソフトの箱のホンモノのプロが描いたもの)が、これ(=私が描いたもの)に見えるの?どうかしてるんじゃないの?頭おかしい。ぜんぜん絵の才能ないのね。それとも弟への嫌がらせ?なんて性格が悪いのあんたは」

と罵詈雑言。

弟は私の描いたイラストを見て

「お兄ちゃんがまた意地悪したー。僕のこと嫌いだからわざと下手に描いたんだー」

と泣きわめき。

父親が帰ってくると今度は父親から殴る怒鳴るの雨霰。

母親がしぶしぶ、イラストをトレースしたか何かでテーブルクロスは完成したのですが、今度は母はドヤ顔で完成したテーブルクロスを私に見せながら

「美大をあきらめたアタシですら、このくらいは描ける。なのにアンタの絵は何?美大どころか、小学校も卒業できないんじゃないの?ほんとに何にもできないんだから」

と好き放題。



自分がしたことは、そんなにいけないことだったのか、とその瞬間は思いましたが、今、大人になって思い返してみると、8〜9歳の子供に、プロのイラストとまったく同等のクオリティの絵を描けだなんて要求する大人のほうが無謀だよなぁ、と思います。

怒りを感じようとすれば悔しいし腹立たしいですが、私の場合、

「こんなお粗末な程度の低い家族に何を言ったってわかりっこないもんね」

と、家族とマトモな人間関係を築くのを諦める格好の口実(の1つ)になっています。

なんでも物事は建設的に考えないと、やっていられないよね!!


なんちって。
P.S

私の絵の下手さはよっぽどだったようで、図工の時間には私の描いた絵を(性格が意地悪で有名な)女の先生が爆笑しながら持ち上げ、周囲に見せて

「みんなー!これは悪い見本!こんな下手くそな絵は、描いちゃ駄目ですよー!って、こんなに下手に描けって言われても普通の人には無理か!」

と言ったものだからクラスじゅうが爆笑。

P.P.S

小学4年生のとき、クラスのみんなの似顔絵を描いて、かるたをつくろう、という、いかにも小学校らしい企画が持ち上がりました。

で、学級委員が似顔絵を担当することになったのですが、とあるぽっちゃりメガネ女子の似顔絵を私が担当したところ、その女子が

「酷い!私こんなにブスじゃない!」

と泣きわめき、よりによってその子の保護者がいまでいうモンスターペアレンツ的な人で

「うちの娘の似顔絵をブサイクに描いた奴は誰だ!」

と学校に乗り込んでくるという騒ぎにまで発展。

その女子の女友達全員からしばらくはつれなくされるし、その女子の親からは目の敵にされるし、どうして自分は一生懸命描いたのに毎回、こんなにケチをつけられるんだとうんざりしました。

(でもいたずらっ子側の男子からは『お前が描いた絵、あの女にそっくりだよなぁ。実際ブスのくせに、もっと綺麗に描けなんてよく言えたもんだ』とフォローしてもらえましたw)

P.P.S

そんな目に遭い続けても、私は本当にイラストを描くのが好きだったらしく、落ち込むこともなければ、イラストを描くのをやめることもなく、教科書からノートから新聞広告の裏から端から、余白らしきところがあれば何かしらのイラストを描くのを本能的にやめられませんでした。

自分に絵の才能があると思ってない、まったく絵の才能がないけどそれがどうした、絵を描くのが好きなんだと開き直れていたのが大きかったのでしょう。べつに将来、美大に行きたいとか、絵を仕事にしたいなどと考えたことすらありませんでした。
(唯一あるのは、『将来、自分は漫画家になる(んだろうなぁ)』ということだけでした)

私の絵がいわゆる「うまい」ものではないことも、絵を上手に描く能力もないことくらい、わかっていましたが、中学生くらいになると、雑誌に葉書でイラストを描いて投稿して掲載され図書券を貰ったりして、なんと絵でお金(≒金券)を稼げてしまいました。
自分で言うのもなんですが、「(ヘタウマの)味」みたいなものがある画風だなァ、とはどこかでわかっていました。そこを面白半分にでも評価されたのでしょう。

私がここで言いたいのは、どういうわけか私は自分の絵の下手さを気に病む思考パターンがゼロだったため、どれだけトラウマ的な貶され方をしても、まったく傷つかなかったということです(あえて傷ついた点があるとすればそれは絵の下手さを指摘されたことではなく、下手だといって自分の絵を晒しものにされた屈辱感などでした)。

また、誰か(というかみんな)から下手だ下手だと言われても、そんなにイラストばかり描くなんておかしいとか頭がいかれてるとか何を言われても、私は一度もそれを真に受けてショックを感じたことはありませんでした。

それどころか、下手なのは百も承知で、堂々と、イラストコンクールなどに投稿してしまうわけです。しかもなぜか、入賞してお金が貰えたりしてしまう(という現実を創出できる)のです!

よく、

「誰々から〜と言われて傷ついて、それ以来、〜ができなくなった」

ということを言い訳?にして、何かができなくなった自分を正当化する人っていますけど、それってどうなんでしょうね。

何を言われても、どれだけ低く評価されても、見向きもされなくても、あるいは笑い者にされても、それを気に病むかどうかは本人次第なんじゃないかなぁ。

なーんてね。


それにしても、「自分には○○の才能が、まったくないのだ」ということを、ストーンとまっすぐ素直に受け止められると、かえって晴れ晴れしますよ。

だって私、こんだけこれまでの人生で絵のことをバカにされ、自分でも絵の才能がないとわかっていて、というかわかっているからこそ、

「どんなに才能がない人でも、努力しさえすればこの程度まではうまくなれる」

という「ある水準・基準」がどうやらどんな分野にもあるらしいことにうすうす感づき、35歳にもなって、大枚はたいて絵画教室に入門しちゃうわけですから。

もともと才能なんてまったくないと自負しているから、下手でもぜんぜん傷つかない。それに、スタート地点がものすごく下手なら下手なほど、上達が目にみえて嬉しい。

才能なんてないから仕事にするとかプロになるなんてまさかまさか、と割り切れているから、妙に「これでプロになれるか?」と気にしてソワソワすることもない。

そしてなにより嬉しいのは、しっかりしたメソッドを知っている講師から習えば、絵の才能ゼロの人間でも、いっぱしにうまく見えるような絵がだんだん描けるようになってくること!!

そうなるともう、

才能って何?

という話でもあって。

人間国宝になれるかなれないか、みたいな高度な水準の話ならまだしも、「一作業員」的な業界の末端レベルでいいなら、なんならプロのイラストレーターにでもなれるんじゃ、と思います。たとえ絵の才能とやらがゼロでも。
ちゃんとした訓練と教育を受け、自分の限られた能力をどう売りこめば最大限、商品価値を見出してもらえるか、頭と体を使ってコンセプトや戦略を練って足を使ってコネを築いてうまいこと営業しさえすれば(←ここ大事ぽい。実力だけあってもぶっちゃけ、誰も振り向かない。なんらかのセールスを駆使して、売り込まないと)。

それにしても自分でも不思議。
音楽については、幼稚園に入るか入らないかの頃から「プロになれるか、それで食えるか」を気にしすぎて結局なにもできなかったというのに、絵については、どれだけ人から悪く言われても、ケロリとして何かにとり憑かれたように描き続けるんですからね。

まぁ、いまとなってはすべて、淡い思い出ですわ。思い返したところで、どうということもなし。
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