超感覚的能力のいくつかを開花させるには美徳が要る

ええと、11/21のツイッターに書いたことのまとめ(転載)です。

超感覚的能力や法則(を曲げる、特例的な効き方をさせる)の習得には、美徳(Virtue)を備える必要がある…という旨をアイダホのセミナーでヴァイアナが言ったのを聞いたら皆
「自分の人生にある困難は『もう要らない』と手放しちゃ駄目なんだ。美徳を身につけるための試練だから」
と転向か。

ヴァイアナがそのことを言い始まる前から俺は創造主にそのことを聞いてたので、ブログとかで遠回しにさんざん「楽になるからって、何かを学びうる困難を手放しちゃっていいの?」と言ってきてたんだよね。創始者が言ってないことを言って異端と思われてもアレなんで黙ってたけど。

セミナーに出てくれた人には「これは雑談だよ?ガイドラインには無いけど俺が創造主から聞いたことね?」といって話してた。改めて、ヴァイアナが同じこと言い始めてくれて助かったというか、気が楽になったw

ワガママ的に「嫌なこと」を排除したがる人はそこそこいるし、「こんなつらいだけの非生産的なトラブルに苛まれることにメリットなどない」と豪語する人もいる。けど、もし、その目の前の課題が自分の人生に必要なくて何も学びうるものがなかったら、起きてないんだってばw

それで、これまた遠回しに「ブロックハンター」という名称を用いて、「困難で嫌なことに見える人生の障害は、実はそれを狩ることができれば(≒乗り越えられたら)美徳が手に入るんだよ。だから100%習得してから手放そう。その前に手放すと勿体ない」と言ってたんだ。

なんかあらためて、「影響力を持つ」ことの重大さを知らされた。現時点での俺ごときが何を言ったところで、人々はまだ、ほんのごく一部しか耳を貸さないもんなんだなぁ。でもかといって、影響力がある人が言ったから付和雷同的に賛同するなら、それがどんなに真実でもなんか微妙w

「超感覚能力を伸ばすには、できるだけたくさんの人を殺すのがよいのです」とヴァイアナなり何らかの影響力が大きい誰かが言ったら、みんなそうしちゃうのかな。地下鉄にサリン撒くんだろうか。
俺自身、エゴ的に大勢の人間に自分の意見を信じさせたいわけじゃないからなぁ……。

「自発的な気づきを促す、サポートする」というスタンスのなかで、本人が自発的に気づいてこそだと思ってるんだ、自分のヒーラーとしての立ち位置は。だから、答えを教えてしまって、相手が「それがなぜ答えなのか」も理解できないまま、ただ聞いた話を信じるのでは駄目なんだ。

べつに自慢するわけじゃないけど、ヒーリングの創始者より先を行ってる?のに、そのことをおいそれとは他人に打ち明けるわけにいかない(べつに打ち明けちゃいけないわけじゃないけど、有効に働かないと感じて自粛してしまう)って、どんだけもどかしい立場なんだろう、と呆れる。

まぁなんにせよ、これから先、シータヒーリングをやっている人が、安易にまだ学びきっていないし乗り越えてもいない人生の苦難の数々を、ただ手放しゃあいいんだ的な考え方から脱却してくれるなら、それはそれで(俺の価値観からしたら)望ましいっちゃ望ましいから、いいか。


補足……というか脱線かもだけど、ようするに、超感覚ヒーリングで何かコマンドを発動させるときは、自分や相手の信念体系で、そのコマンドの成就を疑うBeliefを持っているかどうかだけではないんです。

たとえば傷を一瞬で癒すといった奇跡的とされる、一般常識でいったらありえないコマンドの発動に際しては、それを特例的に法則たちに認めてもらう必要があります。

そして法則をマスターするには、自分がその法則に「免許皆伝(≒その法則の本当の名前を教えてもらう)」認定してもらえるだけの美徳を自らが兼ね備えていなければならないわけで。
(しかも、『私たちは皆1人1人、創造主の一部だからすべての美徳を持ってる』というのはここでは詭弁で、いろんなブロックを抱えて美徳を見失ってるかにみえるこの世界で、肉体を持ち物理的時空間に存在した状態で、その美徳としてのエネルギーを体得する、という意味での『持ってる、備えてる』ですよ)

私は何を隠そう、さまざまな美徳をコレクター的に見聞き習得したいがために、あれやこれやと東奔西走しているわけです。(べつに偉ぶるわけじゃないけど)

これまでね、ヴァイアナがそのことを公式に表明してくれなかったこともあり、誰かシータヒーリング学習者から

「usamimiさんもさぁ、わざわざ大変なことに挑戦したり、自力で体験して課題を乗り越えようなんて馬鹿げたことはやめて、すべて手放してあらゆる信念と感覚感情を創造主の定義で呼び覚まして、波動を上げて、コマンドですべてちゃっちゃと手に入るようにしちゃえばいいじゃない?」

的なことを言われたとき、いつも

「この肉体(に魂が宿ったかのような、いわゆる『人間』として生きてる状態)で、美徳を備えなきゃコマンドの一部……しかも『上級コマンド』と言われるような、大々的に物理的現実に影響を与えるコマンド……は使えないのに、何いってんのこの人?でもなー、創始者が言ってないからなー。俺が勝手な解釈を述べてると思われても嫌だし。『あなたがチャネリングしてる対象は、創造主じゃないんじゃないの?』みたいな言いがかりをつけられても癪だし」

と思って、言い返すわけにもいかず、悶々としてたもんですわ。

また同時に、いわゆる「修行系」と呼ばれるような、何かを体得するためにわざわざ苦労する道を選ぶ人が、なぜそんなにまでして何かを得たいと思ってるかも、新たな物の見方ができるようになるんじゃないでしょうか。
ようするに修行系の人というのは、自分に今ない美徳を体得することに、非常に非常に、前向きなのですわ。
そして、その方法として(その人の認識が狭い故の思い込みの場合が往々にしてあるとはいえ)修行・苦行をするのが一番の近道、と思ってしまっているということですな。

ご参考までに。


そして私が今、想像して(杞憂に過ぎないことを願うのだけれど)うんざりするのが、ヴァイアナがそう言ったから・経験を積むと美徳が手に入って高度なコマンドも効かせられるようになるからというメリットを知ったから、

「たくさん経験を積んで美徳ゲットするわよー!!」

と瞳キラキラ、鼻息ムンムンに前向きにバイタリティ溢れる感じになっちゃう人の登場。

経験を積めば美徳が手に入りますよなんて、他人に言われなくても知ってろよ的なことを、他人に言われてから、欲しくなっちゃう(欲することに前向きになる)人。

しかもその美徳を欲する動機が、「超能力が開花するから」という目的のためだとなると、なんかその、エゴ的というか即物的すぎるというか、かえって美徳というものの意義を薄っぺらくするような捉え方とかが諸々、残念。

超能力は、人として洗練され美徳を兼ね備えていくプロセスのなかで、福次的に自然に開花していくもの。……だと私は捉えてまして。
べつに他人がすべて俺と同じ捉え方じゃなきゃいけないとも思わないんですが、なんかこう、芸がない気がするというか、もっとなんかねえのかよ奥ゆかしい何かがよォ!とは焦れったくてw

「もっとすごい超能力者になりたい!だから美徳!美徳頂戴よォ~ン!!そのためならなんでもするから!ね?美徳ちょうだい~、もっとォ~!!」

みたいな。

美徳乞食

みたいになってる様相の人。増えていかないよねぇ。

んぁ?増えていったほうが、それでもまだ、いいってこと?(←どの観点から見て何がどう『いい』のか考えもしないで適当に言っている)

はいはい、すべては最高最善ですねー。

って、どんだけツンなのよ俺?w
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